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第93話 襲来 1

   白銀の月が遥か高みから硬質な光を投げた。  驚くほど明るい光の下、人々の輪郭が浮かび上がり地に影が伸びる。  トベルクは外套ではなく厚手のマントを身に着けていた。  月光に浮かぶ緋色の布地。背には金糸で彩られたロサーナ王家の紋章が浮き上がっているはずだ。それは、12人の宮中伯たちしか身に着けることを許されていない。  騎士たちが戦場に出る時。玉座に向かって(ひざまず)く戦士たちの前に、同じように並ぶのは宮中伯たちだ。  王家の紋と玉座の王と。瞳に刻みつけるようにして、彼らは戦に出る。  参内する際の正装を身に着けたトベルクの後ろを、黒装束の騎士たちが固めている。  並んだ騎士たちは身じろぎ一つしないが、主が言を発すればたちまち彼を守る盾となるだろう。  ──トベルクはなぜ、あのマントを身に着けてきた?  滅多に見ることのないマントの意味を考えた時に、背筋を冷たいものが駆け抜けた。  ⋯⋯名も知れぬ賊に奪われたロサーナの王子と、取り戻そうとする正統な主。  そう見えはしないのか?  人は大義があれば他のことには簡単に目をつぶる。真実は問わず、自分たちに都合の良い筋書きを作ることが出来る。 「月夜の散歩ならば、お誘いくださればよかったのに。いつでもお供しましたものを」  トベルクの静かな声が流れる。  体が震えそうになるのを必死で押さえた。  私とヴァンテルの周りは、北領騎士団の騎士たちが隙間なく守っている。 「殿下、朝にはまだ時間がございます。もう少しお休みになったらよろしいでしょう。どうぞこちらへ」  自分に向かって差し出された手に首を振った。ヴァンテルが私を庇うようにして、さらにトベルクの目から隠す。  その時、小さな悲鳴が聞こえた。  思わず体を動かして様子をうかがうと、騎士の一人がロフの腕を捻り上げていた。騎士の腕の中でもがくロフは、必死で声を抑えようとしては苦し気な呻き声を漏らす。ロフは侍従だ。騎士とは体の大きさも鍛え方も違う。トベルク精鋭の騎士たちに敵うわけもない。 「やめろ!!」  自分の叫び声が、夜の静寂(しじま)を切り裂いた。 「⋯⋯本来ならば裏切り者なぞ、とうに罰を受けている。今日まで無事だったのはお優しい殿下のお慈悲を汲んでこそ。彼らの命は、殿下のお気持ちひとつです」  声の優しさとは裏腹に、トベルクが発する言葉の中身は冷酷だ。  ロフの隣でも悲鳴が上がる。  ブレンも同じように、別の騎士に腕を捻り上げられている。必死で悲鳴を抑えようとしても苦痛は口から零れ落ちる。騎士たちは痛みが達する直前で力を抜くのだ。決定打を与えないやり方は、ひたすらに苦痛だけを長引かせる。 「⋯⋯もう、やめろ!」  二人の悲鳴に胸が引き裂かれそうだった。痛みは人の心を抉り、最も柔らかい所を侵食して尊厳を失くさせる。 「こちらにおいでください、殿下。私も痛ましい声を聞き続けたいわけではない」  トベルクの声は、まるで聞き分けの無い幼子を宥めているかのようだった。  ふらりと歩き出しそうになるのを、ヴァンテルが手を広げて阻んだ。知らず知らず、ヴァンテルの外套の裾を掴んでしまう。 「⋯⋯クリス」  小さな呟きに頷きで返し、ヴァンテルは囁いた。 「少しだけ我慢を」  月光の下で、トベルクの表情は影になって見えず、声だけが響く。 「お戻りになるお気持ちはありませんか、殿下。では、一本ずつ腕を切り落としましょう」 「──!!」  心臓が早鐘のように鳴る。  ⋯⋯嫌だった。誰かが傷つくのを見たくはない。

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