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第99話 合図 3
「⋯⋯殿下! どうぞ言葉を差し挟む無礼をお許しください」
ホーデンが、突然声を上げた。
「閣下は、トベルク様の元に何度となく向かわれました。それこそ宮中で頭を垂れて懇願されても、全く聞き入れてはいただけませんでした。朝となく昼となくずっと殿下を捜してこられたのです」
「⋯⋯黙れ、ホーデン!」
ヴァンテルの叱責が飛ぶ。
「いいえ、黙りません! 私は閣下からご連絡を受け、ずっと話をうかがってまいりました。火をつけたのも、先方が殿下の御命が明日をもしれぬようなことを仄めかしてきたからではないですか! もはや少しの猶予もないとしか思えなかった。多少非道ではあっても、殿下を取り戻すための賭けが間違っていたとは思えません」
「ホーデン!!」
今度こそ騎士団長は口を閉じ、深く頭を垂れた。大きな体が怒りの為か小刻みに震えている。
ヴァンテルは、私の手を取って自分の頬に当てた。指先からわずかに震えが伝わってくる。
「貴方がいない日々は地獄のようでした。どこかで倒れて御命が尽きていたらと気が気ではなかった。トベルクを刺して行方を吐かせることができるならとまで思いました。ただ、トベルクはそんなことでは口を割らない。時間ばかりが過ぎて、あの方法を取りました。道を外れた馬鹿者と罵られても構わなかった」
「⋯⋯馬鹿は、私だ」
「殿下?」
「トベルクから聞いたお前の非道ぶりに、ずっと怒りを抱いていた。⋯⋯だが、お前にそんなことをさせたのは、この私なのに」
自分の愚かしさを思い知る。
領民たちの糧を焼かせるほどにヴァンテルを追い詰め、心の痛みを与えてきた。
過分なほどの愛情と犠牲を、いつの間にか当然のこととして身に受けて生きている。
「トベルクも知らないことだ。城に運ばれてからずっと、旅の間も守り木の村の二人が私に蜜を与えてくれた。村長が、村を出る彼らに渡したものだそうだ。おかげでここまで、倒れもせずに来ることが出来た」
私は取られたままの手でヴァンテルの頬を撫でた。近くで見れば肌に艶はなく、美しい瞳の下の皮膚は黒ずんでいる。不安げな瞳は痛みと悲しみに満ちていた。
夢で見た、昼夜なく私を捜す姿を思い出した。
⋯⋯地の底まで捜しに行くと言ってくれた。あれは正夢に違いない。
「すまなかった。お前を責めるようなことを言ってしまった。我が身を棚に上げてものを言う私は、本当におぞましい生き物だな」
私はヴァンテルの頬から手を離した。
ヴァンテルが瞳を見開いたところを、踵を返して扉に向かった。
「ホーデン、そこを開けよ」
「⋯⋯し、しかし」
「殿下!!」
ヴァンテルの声にも振り向かずに、部屋を出た。
いつのまにか、自分にあてがわれた部屋にいた。扉を閉めて、背中をつけたままずるずると座り込む。膝を抱え込むようにして丸くなった。
幼い頃、小宮殿にやってきた兄は王族としての生きる道をよく語った。
自分の膝に私の頭を乗せて髪を撫でながら優しく話す。
「王族たるもの、常に怯まず前に進まねばならぬ。時には他国と戦ってでも国を守り、安定をもたらすのが我等の役目。弱き者たちを導いていくのが責務なのだ」
国を守り、安定をもたらすのが我らの役目。
その言葉は、幼い私にも大切なことだと思えた。
「兄様、弱きものって?」
「民だ。彼らは心弱く、ものを知らぬ」
「⋯⋯ぼくも色々なことを知らないから、弱いのかな?」
楽しそうな笑い声が上がる。
「王族と民は違う。ものを知ることは強さにはなるが」
あれから少しはものを覚えたはずなのに。
愚かで弱いことは、何も変わらない。
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