108 / 152

第107話 恋慕 2

 何とか堪えようと目を瞑ると、横抱きにされて軽々と抱え上げられた。隣の寝室に連れて行かれて、硝子細工の品を扱うかのように寝台にそっと横たえられる。ヴァンテルが離れようとしたのを見て、咄嗟に起き上がって胸にしがみついた。  首の後ろに両手を回し、頬を擦り付けるようにして力をこめる。ヴァンテルはびくりと体を振るわせた後、私の背を宥めるように撫でた。  トントントントン。  指先で背中に軽く手を当てる。その合図に気付いて、腕の力を緩めた。 「⋯⋯どうなさいました?」  青い瞳が心配気に揺れる。 「あんな⋯⋯ことを、言うからだ」 「あんなこと?」 「⋯⋯置き⋯⋯去りだなんて、ひどい事を」  ヴァンテルは困ったように柳眉を寄せて、優しく告げる。 「⋯⋯寂しい思いをなさったのに、無神経なことを申しました」  違う。ヴァンテルを責めようと思ったわけじゃない。  気づいてしまったから、もう心を隠すことが出来ないだけなんだ。 「⋯⋯置き去りにするのは私だ。この先きっと、お前をたった一人で残して行く日が来る」 「⋯⋯アルベルト様」 「私は⋯⋯私はどうして、もっと⋯⋯」  ──強い体に、生まれなかったのかな。  お前と同じ時を、共に長く生きられたら良かったのに。  心に浮かんだ儚い望みを口にすることは出来なくて、だからと言って忘れ去ることも出来はしない。言葉の代わりに、再び涙が湧き上がる。  ヴァンテルは、目元の涙を唇に受けた後、そっと囁いた。 「私は幸せな男です、アルベルト様」 「⋯⋯クリス?」 「貴方と出会い、貴方のことを思って今日まで生きてまいりました。私の人生には貴方しかいなかった。それは、この先もずっと変わりません」 「それが⋯⋯幸せ?」 「これ以上の幸せがどこにあると言うのでしょう。自分の幸せは、自分が一番よく知っております」  小宮殿で共に過ごした日々は、決して長くはなかった。  会えない年月を耐えて、身を切る思いで下した決断も。  人が羨むもの全てを投げうつことさえも。  ⋯⋯幸せだと、お前は言うのか。 「⋯⋯クリスは馬鹿だ」 「こんな馬鹿な男は、お嫌いですか?」  私は首を振った。 「好きだ」  クリスが好き。  大好き。  幼い日の私が幸せそうに笑う。  あの日の私よりずっと成長した今も。 「⋯⋯お前だけが、好きだ」 「ずっとその言葉を、聞きたかった」  まるで初めての告白を受けた少年のように、ヴァンテルは頬を染めて嬉しそうに微笑んだ。  どちらからともなく、もう一度唇を重ねる。  ヴァンテルは私の体を寝台に押し倒し、そっと体を重ねてきた。均整の取れた厚みのある体が、私を押しつぶさないように気を遣っているのがわかる。  ⋯⋯細くても男の体なんだから、気にしなくていいのに。泣き笑いの顔で呟けば、ヴァンテルは微笑んだ。 「貴方は、まるで薄く張った氷や玻璃のように思えます。美しくて儚くて脆い」 「クリスが勝手にそう思っているだけだ。そんなに華奢な作りではないし、簡単に壊れもしない」  青い双眸がわずかに細められるのを見て、意地を張るように言葉を続けた。 「本当だから! 嘘だと思うなら確かめてみればいい」 「⋯⋯ご自分の仰ることがわかっておいでですか?」  ヴァンテルの瞳の中に燻る熱が、炙られるように大きく揺らめいている。  わかっている。そう言い終る前に、唇は塞がれていた。

ともだちにシェアしよう!