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第116話 凍宮 3

 先年、大陸を大きな地震が襲った。  大地は地上の様々なものを呑みこみ、大きく形を変える。  高地にあったロサーナの王宮は崩れ、王都フロイデンは壊滅的な被害を受けた。周辺の山崩れが続き、人々は争うように低地へ向かい、ロサーナは大混乱に陥った。  そんな中、被害の及ばなかった北の大地からは、すぐに騎士たちが救援に駆けつけた。望む者には移住も受け入れ、新天地を目指した人々も少なくない。  誰が言い出したのか。  必死に暮らしを立て直す人々の間で囁かれた噂が、詩人たちの手でひそやかに歌になった。  心地よい風に吹かれながら、荷馬車の御者台に乗った子どもが叫ぶ。 「ねえ、父さん。『裁き』って何?」 「⋯⋯誰に聞いた?」 「町で流行(はや)ってる歌! それに選ばれたものが王様になるんだって。でも、王様は王都にいるよねえ?」 「馬鹿! 王様は、この間の大地震で亡くなっただろ!!」 「馬鹿って言うなぁ! 忘れてただけだもん!」 「⋯⋯お前たち、殿下の御前では静かにする約束だからな。忘れるな」 「はぁーい!!」  父親はそれ以上は何も言わず、馬を走らせた。 「ご苦労だった。いつもすまないな」  現れた凍宮の主を見て、父親と共に跪いた子どもたちは言葉を失くした。頬を染めて、主を見上げている。人とは思えぬ美しさが、そこにあった。 「今日は二人とも一緒に来たのか? レビン、この子たちにもお茶をあげて」  主は侍従に、子どもたちの為の茶と菓子の用意を言いつけた。  穏やかな瞳の青年が子どもたちを手招くと、二人は子犬のように喜んで付いて行く。 「蜂たちが順調に蜜を集めてくれています。巣も徐々に増えております」 「⋯⋯ありがたいことだな。まさか自分がこの蜜に支えられる日が来るとは。其方たちの村を滅ぼした元凶だと言うのに」  穏やかな言葉には悔恨の念が滲む。静かな横顔を見て、男は口を開いた。 「殿下⋯⋯。私はその昔、殿下にお伝えし損ねたことがあります」 「伝え損ねたこと?」 「はい。我が村で罪を犯した者は、守り木の根元に一晩手足を縛って置いておくのです。獣にも寒さにも勝つことができれば、罪は許される。途中で助け手があっても同じことです。恐縮ですが殿下をお助けできたことこそ、神の思し召し。⋯⋯神は、とうに全てをお許しになっておられます」 「⋯⋯そう⋯⋯なのか」  主の空色の瞳が潤んでいる。  美しい瞳から溢れる涙を、傍らに立つ銀色の髪の美丈夫がそっと拭った。  帰り道で、父は子どもたちに伝えた。 「町で流行っている歌の言葉には、本当は続きがある。ただ、誰もそれを知らない」 「⋯⋯どんな続きがあるの?」 「守り木の村の者にしか伝わっていない。お前たちも、他の者に決して言ってはいけない」  子どもたちは、ごくんと唾を飲みこんだ。 「⋯⋯『裁き』に選ばれた王が立つ場所こそが、この国の都になる」 「おう⋯⋯?」  子どもたちは、顔を見合わせた後に、御者台から後ろを覗き込んだ。  突き抜けるような青い空に、一面の緑に覆われた大地。遥か彼方に光り輝く宮殿は一粒の宝石のようだ。  たたずむ白薔薇のような主は滅多に宮殿を出ないけれど、足を運べば必ず笑顔で迎えてくれる。 「ねえ、父さん。じゃあ『裁き』って⋯⋯」 「あっ! はち!!」  黄金の輝きが目の前を飛んでいく。行く手に一面の花畑があった。  丈の低い淡い白の花々に、たくさんの蜂が行き交って蜜を集めている。短い春から夏の間、彼らは少しも休まずに忙しなく働くのだ。  ──貴方は『裁き』に選ばれた、王になる者。  男は、口にしなかった言葉を思い出す。  それは自分が告げずとも、やがてとなって届くはずだ。  北の果ての宮殿に、新しい王と王を守る者たちが集う。その日が来るのはきっと、思ったよりも近い。  見上げた先には、どこまでも青い空と真っ白な雲が広がっていた。  ✿✿✿✿✿

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