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番外編 父王の遺言 1

   凍宮に戻ってから三か月が経った頃。    父王陛下が崩御されましたと、王都から早馬がやってきた。  私は凍宮を動かなかった。廃嫡された私が葬儀に加わることでいらぬ混乱や詮索を招き、静謐な時間は消え去ってしまうだろう。それだけは、何としても避けたかった。ヴァンテルが直ちに私の弔意をもって王宮に向かう。王の葬儀や全ての儀礼が済むまでには時間がかかる。私は訃報がもたらされた日から喪の黒を身に纏った。  本葬の日には王都の方角にある側塔に登った。細い螺旋階段を踏みしめて扉を開ければ、広大な地を見渡すことができる。北の地に訪れた春は息を呑むほど美しいのに、鈍色(にびいろ)の空に重い雲が垂れこめていた。空も地上の王の死を嘆いているのだろうか。フロイデンの方角に目を向けると、大地が果てもなく広がっていく。その中にうねるように続く細い道があり、遥か先には輝く花の都フロイデンがあるのだ。  頬に当たる強い風を受けながら、父を想う。  幼い頃の記憶を辿ろうとしても、たくさんのものは浮かばない。幼い頃に小宮殿に移された私には、父との思い出らしい思い出がなかった。  ふと、白い手を繋いだ思い出がよぎる。あれは、いつのことだっただろう。  ヴァンテルの訪れがなくなり、唯一人で日々を過ごしていた頃。  小宮殿の小道の先に人影を見つけて、夢中で走り寄ったことがあった。見つけたのは、求めていた人の姿ではなかった。 「⋯⋯クリス、じゃない。だれ?」  ほっそりした体に柔らかな微笑みを浮かべて、その人は立っていた。豪奢なマントを身に着けてはいても、頭上に王冠はない。あまりに久しぶりに会ったので、自分の父だとは気が付かなかった。 「大きくなったな、アルベルト。なるほど、其方は私とよく似ている」  父はしゃがみこんで、私と目線を合わせた。銀に近い金の髪も明るい空の瞳も、自分と同じ色だった。じっと覗き込めば、頭を優しく撫でられた。 「其方の父だ、アルベルト」 「⋯⋯父上?」  私は父の姿を上から下まで、じろじろと見た。きっと、疑うような視線を向けていたと思う。周りに乳母や従者がいたら、たちまち咎められたことだろう。だが、小宮殿の花咲く庭には、父と私の他には誰もいなかった。 「⋯⋯父上はお忙しくて、ぼくのところまでは来られないんだ」 「ああ、そうだな。だから、其方に忘れられてしまっても仕方がない。全く、不肖の父だ」  父は眉を下げて困ったように笑った。男性なのに、まるで庭の薔薇がひっそりと花開くように美しい。 「小宮殿の暮らしに不自由はないか。欲しいものがあれば、何でも言うがいい」  私は首を振った。欲しいものなど思い浮かばなかった。望むものはたった一つだけ。だが、彼が来られないことはわかっている。宝物の手紙は何度も何度も読んだ。時折開いては、またそっと大切な箱の中にしまい込む。 「何もないよ。⋯⋯あのね、会いたい人はいるんだけど、たくさん学ばなければならないから来られないんだって」 「来られない? ここを訪ねる者がいるのか?」 「ううん。前は来てくれたけど、今は来ない⋯⋯」  うつむいた私に気が付いた父は、慰めるようにもう一度頭を撫でた。

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