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第7話

 しばらくの間、触れ合う身体から響く互いの鼓動に包まれていた。 聞こえてくる誠司君の鼓動がまるで子守唄のようで心地いい眠りに誘われる。 「アイさん」 俺の首筋に顔を埋めていた誠司君の静かな声に重い瞼を持ち上げた。 頭の芯が痺れたようにまだぼんやりとしたままだ。 このまま朝まで眠ってしまいたいほど満たされている。こんな気持ちはいつぶりだろう。 いつもなら事が済めば別れを告げ、日常へと戻る。 今だって動けないわけじゃない。いつものように後腐れなく別れるべきだ。 だけどまだ誠司君といたいと感じてしまうのは、なかなか消えない余韻のせいなのか。 「アイさん、大丈夫ですか?」 「ん……少し疲れた、かな。誠司君は?」 「俺は平気です」 心配そうな顔で俺の頬を撫でる掌の硬さにふと視線を向けた。 そっと触れてみると何度もマメが潰れたような痕は硬く、厚くなっていた。 「何かスポーツでもやってるの?」 「っ……子供頃から剣道を……」 指先に唇を押し当てたまま見上げると誠司君は困ったように視線を逸らした。 なるほど。彼の真面目さや礼儀正しさはそこからきてるのかもしれないな。 それにしてもこんな事くらいでそんなに照れなくても……だけど俺にもほんの些細な相手の行動にドキドキしていた頃があった気がする。 「アイさん、眠いですか?」 ぼんやりと思い出を巡らせていた俺が眠そうに見えたらしい。 そうだよな。やる事は終わったんだから帰りたいよな。いつもの俺がそうだったように。 だけど礼儀正しくて優しい誠司君は「帰ります」とは言い出せないでいるのかもしれない。 「あぁ、ごめんね。先に帰っていいよ」 自分で言っておきながら離れていく誠司君に寂しさを感じて苦笑が漏れる。 割り切った関係以上のものは面倒でしかなかった。 身体の欲求が満たされればそれでよかったはずなのに、向けられれば煩わしいと感じていた感情を誠司君に抱いてしまっている。 さすがに「まだ帰らないで」と口に出せるほど若くはないが、気持ちまではどうしようもない。 見送るのが寂しいと思うなんて……こんなことなら先に帰ればよかった。 「え、何……」 溜息を吐く俺の前に差し出されたスマホの明るさに思わず目を細めた。 「俺の番号です」 それは見れば分かる。 番号だけじゃなくフルネームと住所まで画面に映し出されている。 普段なら「教えられても困る」と丁重にお断りする所だが、困るどころか喜んでいる自分がいる。 俺とまた会いたいと思って連絡先を教えてくれたことは素直に嬉しい。 嬉しいがこれは……。 「そんな簡単に教えたりしない方がいいよ」 本名を隠そうともせず、それどころか住所まで教えてくる。 正直に馬鹿がつくよ誠司君。 誠司君の危機感のなさに嬉しさよりも心配の方が大きくなる。 「アイさんじゃなきゃ教えませんよ」 「信用してくれるのは有り難いけど、こういう場合は――」 「アイさんに嘘つきたくないですから。それに、本名で呼ばれたかったんです」 「あ、そう……」 まっすぐな誠司君の眼差しに心臓を鷲掴みされたようで言葉がうまく出てこなかった。 そういえば名前を呼んだ時すごく嬉しそうな顔してたな。 「連絡先……教えてもらえませんか……?」 返事を待つ誠司君の瞳に不安が浮かんでいる。 連絡先の交換くらい普通にするだろうに何をそんなに緊張するのか。 俺だからなのかと都合のいい解釈をしてしまいそうになる。 どっちにしてもこのまま終わりたくないと思ってしまっている自分の感情に困惑しながら小さく息を吸った。 「貸して」 返事を待たず番号を登録したスマホを誠司君の手に戻した。 「相川……美晴……」 画面を見つめる誠司君の口から俺の名前が零れ落ちる。 呼ばれ慣れているはずなのに誠司君に呼ばれるとなんだか胸がざわついた。 俺に名前を呼ばれて喜んだ誠司君の気持ちが分かった気がして、口元を緩ませながら見上げた誠司君は画面を見つめたまま固まっていた。 てっきり喜んでくれると思っていたが……何かマズかったのか。 「あの……誠司君?」 「アイさ……相川さん!!ありがとうございます!すごく嬉しいです!」 「うゎっ……」 我に返ったように力いっぱい感謝の言葉を述べた誠司君は力いっぱい俺を抱きしめた。 冷え始めていた身体に誠司君の体温を感じながら抱きしめ返すと嬉しそうに何度も俺の名前を呼んだ。 名前じゃなく苗字というのがなんとも誠司君らしい。 誠司君の力強さを感じながらふっと小さく息を吐いた。 「あ、すいません」 身動きがとれずにいる俺に気づいて力を緩めたものの、どうやら離す気はないらしい。 何かに執着することもなく、人にあまり興味も持たない。そんな自分は冷めた人間なのだと思っていた。 なのに今は抱きしめられた身体から染み込んでいく誠司君の暖かさを失いたくないと感じている。 「誠司君……」 誠司君の熱に浸食されているかのように吐く息は熱を帯びていた。 「相川さん……相川さんのこともっと知りたいです」 耳元で聞こえる誠司君の優しい声にふわふわとまるで雲の上にいるような感じた事のない心地よさを感じていた。 「ん……そのうち、ね」 俺だって誠司君の事をもっと知りたい。 だけど今はもう少しだけこのまま誠司君の温もりに包まれていたい。 初めて恋をしたような甘い柔らかさの中、重くなる瞼をゆっくり閉じた。                                  FIN

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