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第1章 契り 16

《perspective:結月》 家に着くと直ぐに、亜矢を風呂に入らせた。 『伝えなきゃいけないことがあるんです……』 車内でそう言った亜矢は、酷く落ち着いていて、それでもどこか、緊張した面持ちで。 ――何を告げられるのだろう。 リビングのソファに深く腰掛け、心を鎮めようとするが、静かな室内が逆に冷静さを失わせる。 生まれて初めて、人を殴った。拳が焼けるように痛い。 俺は先刻(さっき)自分がとった態度を、怯えた亜矢を、静寂の中で思い出していた。 暫くして、まだ少し髪を濡らした亜矢がリビングに入ってきた。 「ココア、飲むか?」 せめて気分を解せたらと、ミルクパンで温めていたココアをマグに注ぎ、テーブルに置くと、亜矢は小さく頷いて隣に座った。 それを一口飲み、ゆっくり目を伏せる。俺はその横顔を見つめて、言葉が発せられるのを待った。 「――結月さん。僕……」 亜矢が重々しく口を開く。 「僕、1年の時からずっと、同級生や先輩にをされていました」 スッと、滑り落ちるように伝えられた衝撃的な告白。 ただただ絶句する。 “ああいうこと”。先刻の思い出したくもない光景が、無情にも脳裏に蘇ってくる。あの男達への憤りが再び迫り上がってきて、血が滲むほど唇を噛み締めた。 「僕が初めて男の人を知ったのは中学生の時でした。相手は10歳年上の叔父で。僕はその人に憧れていたし、大好きでした。だから、何度求められても拒めなかった。  その人が居なくなった後、高校の先輩に無理矢理されました。でも、僕はその時……」 静かな声で語っていた亜矢はその先を言い淀み、膝に置いた小さな拳に力を入れた。 少し経って続けられた言葉は、あまりにも衝撃的なものだった。 「その時僕は、犯されても気持ちがいいとしか、感じなかったんです……!」 細い肩が小刻みに震えている。俯いた横顔から涙の雫がパラパラと宙に落ちるのが見えた。 「こんな自分が怖い。簡単に壊れてしまう自分が。僕はたぶん、酷くされないと満足できない……。結月さんに抱いてもらったら、きっともう自分が抑えられなくなって、幻滅させそうで、怖かったんです……。  こんな恥ずかしいカラダ、結月さんに見られたくなかったっ……」 「亜矢ッ……」 涙混じりの悲痛な声に胸が張り裂けそうになって、思わず亜矢の体を抱き締めた。 なんて馬鹿なんだ。今ようやく解るなんて。 最初から、気付くべきだった。 河川で出会ったあの夜の、俺に対する亜矢の怯えよう。発した言葉……。 『……こわ……い……。自分じゃなくなって……。そんな自分も怖くてっ……、嫌いで……。死のうと思った……っ――』 何が怖いのか、何がそうさせているのか、その時は解らなかった。けれども、あの叫ぶような声は、忘れてはいなかったはずだ。 「亜矢ッ、ごめん……ごめんッ……」 いつも独りよがりで、亜矢の本当の心にまったく寄り添えていなかった。自分の不甲斐なさに嫌気が差す。 「悪かった……こんなに、辛いことを話させて……。俺は亜矢を泣かせてばかりだ。最低だ」 亜矢は胸に顔を埋めたまま、勢いよく首を横に振った。 「結月さん……僕、初めて結月さんにキスしてもらったとき、すごく幸せだったんです。  今までこんなに愛を感じたことなかったから……だから」 そっと涙に濡れた顔を上げ、俺を見つめる。 「ずっと思ってたんです。あの時、初めて抱いてくれたのが、結月さんだったら良かったのに、って。もう今更、いくら思っても無駄なのに……」 紅い唇が紡ぐその言葉に、心臓がゴトリと音を立てた。 「無駄なんかじゃ、ない」 「っふ……ッ……!」 気がつくと亜矢の顎を持ち上げ唇を押し付けていた。 性急過ぎる、と頭の片隅で思っても、昂る感情が抑えきれない。 柔らかな唇を触れるように舐め、歯列をなぞり、一瞬の隙を突いて舌をねじ込んだ。 「っゆ……んっん……」 驚きのあまりか逃げ惑う舌を半ば強引に攫う。 暫くすると、亜矢はふっと力を抜き、素直に舌を絡めてきた。 榛色の瞳は恍惚として潤み、唇が離れるたびに甘い吐息が漏れ出す。互いに抱き合ったまま、心が揺さぶられるほどの甘い口づけを交わした。 「悪い、いきなり……」 唇を離して直ぐに謝り、亜矢を見ると、くたりと頭を垂れ、肩で大きく息をしていた。 濡れた唇を指の腹で撫でてやると、ビクリと肩が跳ねる。 「亜矢?だいじょ――」 「っ僕、変っ……」 遮るように言った亜矢は、やや前かがみの体勢になっていた。みるみるうちに首まで真っ赤にしたその様子を見て、下半身の異変に気づく。 「――そんなに気持ち良かった?」 亜矢は頬を紅潮させてコクリと頷いた。その素直な反応があまりにも可愛くて、思わず口元が綻ぶ。 「……亜矢。今までの行為は、本物なんかじゃない。君が今、どんなカラダであろうと構わない」 肩を引き寄せ、再び腕の中に閉じ込める。薫る濡れ髪にキスを落とし、耳元で告げた。 「すべて忘れさせて、これからは、俺だけにしか感じないカラダにしてやる。……約束だ」 愛した以上、責任を取りたい。 本当に愛されていると心の底から思ってくれるまで、俺は何度でも、君を抱くから……――

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