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第4章 再会 04

《perspective:亜矢》 あの家を出て3ヶ月が経った。 僕の中の感情は、あの日欠落してしまったかのように、色も匂いも感覚も解らなくなった。 もう何も考えたくない。 彼の声も顔も体温も、すべて忘れてしまいたくて。 名前すらも忘れてしまいたくて。 それでも結局、左耳のピアスは外せないまま、何も変わらず今を生きている。 僕はあれから実家に戻っていた。それから直ぐのこと、急遽父がニューヨーク支社に転勤することが決まり、その1ヶ月後、母はそれについていった。 両親が日本を発って、僕は広い家に独りになった。 それが寂しさに拍車をかける。 いつものように、部屋の調光は最大に、テレビは賑やかなバラエティ番組をつけて、ダイニングテーブルの椅子に座る。 目の前には、2日かけてブイヨンから手作りしたビーフシチュー。煮出した野菜と肉の旨味が凝縮したデミグラスソースに、ほろほろと口の中でとろける牛肉。 幾度も作ったそれが、美味しくないはずは無いのに、まったく味がしない。 一人では食べ切れない量も、いい加減、学習しない自分に嫌気がさす。 こんな、傷口に塩を塗るようなことをして、僕は一体、何がしたいのか。 「……っ」 彼の名前が喉まで出かけて、咄嗟に口を噤む。 この行為を、これまで何度繰り返してきたのだろう。 名前を呼んだら、きっと僕は……。 ブブブッ……。 テーブルの上に置いたスマホのバイブレーション音に、ハッと我に返る。 慌てて通話ボタンを押すと、明るい声が聞こえてきた。 『亜矢、元気にしてる?ご飯、しっかり食べてる?大学はどう?』 「心配しなくても大丈夫。ちゃんと大学にも行ってるし、元気でやってるよ」 相変わらず質問攻めの母に苦笑する。 実家に帰るなり、2週間ほど大学を休んで自室に籠もった。 これまで、たとえ高校時代、性的いじめをされていた時でさえも、長く学校を休むことはしなかった。若くして僕を産んでくれ、過保護なまでに愛してくれた母に、知られてしまうのが怖かったから。 だから今回のことは、両親にずいぶん心配をかけてしまった。気を遣われているのが分かってからは、努めて明るく振る舞うようにしていた。 「それにしてもこんな時間に電話なんて珍しいね。急用?」 向こうはまだ朝方だ。母は『そうだった!』と、思い出したように、そして少し嬉しそうな声で言った。 『明日から、千尋(ちひろ)がそっちで暮らすことになったから』 突如出てきたその名前に、思わずスマホを落としそうになる。 「えっ……!今、何て……」 『千尋よ!シカゴ支部に異動になって、ずっとそっちにいたじゃない?どうやら本部に戻ってくることになったみたいで。あ、もう向こうを発っている頃かも』 ――どうして…… 「……何で、うちに……」 『千尋が、亜矢一人だときっと心細いだろうからって。一緒に住んで面倒を見ると言ってきてね』 「そんな、ことを……?」 あの人が? “面倒を見る”だって……? 『正直助かったわ。亜矢、戻ってきてから様子がおかしかったし。無理してるんじゃないかって不安だったから。もう寂しくないわよ。それでね、明日……』 最後のほうは、もはや耳に入ってこなかった。 全身からさっと血の気が引いてゆく。 ――あの人が帰ってくる…… 「逃げ、なきゃ……」 でも、一体どこへ……? もう僕には、そんな場所なんて、どこにも無いのに。

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