66 / 126

第4章 再会 03

あれは今年の2月7日――俺の誕生日だった。 プレゼントに添えられた、名刺サイズの小さなカード。少し厚めの紙に、金文字で『Pour vous』――フランス語で『貴方のために』と印字されたそれには、青い小さな花の押し花が散りばめられていた。 「綺麗だな、何の花だ?」と訊ねると、亜矢は「勿忘草(わすれなぐさ)です」と答えた。 「結月さんが生まれた日の誕生花なんです。……変ですよね、こんな、女の子っぽいことして」 「変?どうして? 君らしくて、俺は好きだよ」 今更何を言うのかと小さく笑って、「ありがとう」と、滑らかな髪をくしゃりと撫でた。 「ところで、亜矢の誕生日は何の花なんだ?」 亜矢は、はにかむように微笑んで言った。 「貴方と同じ花です」 その言葉に、もう一度カードに目を落とした。 「同じ……」 「実は昔、誕生日に母から同じような手作りのカードをもらったことがあるんです。母はよく、花言葉や誕生花に縁のある花を自分でアレンジして人に贈っていたので。  僕、そのカードがすごく好きで、お守り代わりにずっと持っていたんです。それで、ふと結月さんの誕生花を調べてみたら、偶然……」 「結月さん。勿忘草の花言葉、知っていますか?」と亜矢が穏やかに訊いた。 宙を見つめて少し考え、文学などで一度は知るその言葉を思い出した。 「“私を忘れないで”、だったか」 「そうです。それと……“思い出”という意味もあるみたいです」 「“思い出”……」 ハッとして亜矢を見ると、大きな榛色の瞳が少しだけ揺れた。 「だから、貴方に、これを渡したかった。  ――僕は、結月さんに出会って、貴方を好きになったこと、ずっと忘れません。たとえ、それが“思い出”になったとしても」    * * * どうしても、捨てられなかった。 窓の外を見る。 屋敷の門の向こう側に広がる雑然としていて自由な世界。 「亜矢……」 あの時は密命を終える前だった。 あんな非道なことをさせてもなお、そう言ってくれたのに、どうして、綺麗な別れをしてあげられなかったのか。 それでは駄目だった。忘れて欲しかった。 幸せな時間を惜しみながら離れるより、これで良かったのだ。 父が正妻と母にしたことと同じように、亜矢も詩織も、これ以上傷つけることはないのだから。 そう、知らず識らずのうちに自分自身を納得させてきた。 それでも、亜矢の存在を記憶から消そうとするたびに、一緒に過ごした日々の情景が思い出されてどうしようもない。 出会ってからあれほど泣き顔を見てきたというのに、いつまでも残り続ける亜矢の幻像は、まるで俺を責めるかのように、儚げな微笑みを(たた)えていた。

ともだちにシェアしよう!