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最終章 萌芽01
《perspective:結月》
蓮見の姿が見えなくなっても、俺は静かなロビーでひとり呆然としたまま、そこに立ち尽くしていた。
蓮見との再会は、思いもよらぬ事だった。
彼の顔を見た瞬間、5年前の自分の稚拙な言動が蘇ってきた。
当時、一ノ瀬グループは笠原商事との将来的な経営統合に向けた関係構築の最中 だった。その折、条件の一つとして、俺と笠原嬢 との縁談が内密に進められているのを、偶然知ってしまった。祖母に気に入られていない事は、幼い頃から解ってはいたものの、会社の駒のように扱われた事に、俺はただ絶望した。
そんな、心身ともに荒んでいた時に、蓮見の正論に図星を突かれて、意固地になって逃げた。
今思えば、蓮見は真っ直ぐに俺を見てくれた生まれて初めての友人で、大切にするべき存在だったのに。
そして、あの別れた日と同じように、彼にぶつけられた冷酷な眼差しと言葉が、殴られた後のように鈍い痛みをもたらし続けている。
蓮見の発した言葉すべてを理解することは出来なかった。彼の亜矢に対する罪も、俺に責める権利はない。
寧ろ、亜矢を苦しめたという事実に、より深く囚われただけ。
それなのに、約半年ぶりに見た亜矢の姿が頭から離れない。
人混みの中、遠くからでも、亜矢のことは直ぐに分かった。
少し痩せたようだった。元々、細い体だったのに……。
沙雪が焦って俺を訪ねてきた時に、遠くからでも亜矢の様子を確認するべきだった――なんて、その元凶である自分が思って良いことではないのは、解りきっている。あの時も、そうやって自制したのだから。
亜矢には、自分のことを疎かにしてまでも、人を思い遣るような優しさがある。同棲していた頃、俺が風邪を拗らせて伏せっていた時にも、伝染るからと散々たしなめたのに、ずっと傍で看病していた。自分が辛い時は、泣き言はおろか、その素振りすら見せないくせに。
密命の時も、そして半年前のあの時も、きっと隠れて独りで抱え込んでいたのだろう。
そんなにも、したたかで健気な亜矢が、好きだった。
偽りなく、温かく包み込んでくれる人がいつもそこに居ることに、まるで母親に縋る子供のように安心していた――
コツ、と近づく小さな足音にハッと顔を上げる。
「詩織」
「伯父が呼んでいます。戻らないと」
「……ああ」
「どうしたんですか?すごい汗……。気分悪い、ですか?」
ハンカチを取り出し、背伸びをして俺の額を拭う手を、そっと掴んで制止した。
「もう、大丈夫だ」
「千尋がエントランスから出ていくのを見ました。……何かありましたか?」
無言でいる俺を暫く見つめていた詩織は、それ以上は何も聞かず柔らかな微笑みを向け、「行きましょうか」と促すように背中を押した。
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