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最終章 萌芽 03
「こんなに泣いちゃってごめんなさい。迷惑でしたよね」
暫く経って、差し出したハンカチを受け取った詩織は、気まずそうにはにかんでそう言った。
「じゃあ、ここで」と、慌てて車から出ようとする彼女を、俺は咄嗟に引き止めた。
「ちゃんと送らせてくれ。危ないから」
彼女の家の門の傍に車を停め、助手席のドアを開けると「最後にお願いが」と控えめな声が聞こえてきた。
「ちょっとだけ、手を繋いでくれませんか」
膝の上に置かれた小さな手を、そっと握る。
門の前まで、たった数歩の距離を手を繋いだまま、並んで歩いた。
これが償いになるとは思っていない。それでも、出来ることはもう、これしかないのだから――
「今まで、本当にありがとう」
やっとの思いで伝えた言葉に、「酷いんだか、優しいんだか、よく解らない人ね」と、詩織は泣き腫らした目を三日月型にした。
翌朝、俺はある場所を訪れた。
美しい木立の中に広がる集合墓地。
綺麗に手入れされた墓石の前に立ち、一度手を合わせる。ここに来るのはずいぶんと久しぶりだった。
百合が供えられた花立てを両手に持ち、水汲み場へ向かう。水を新しくし、痛み始めた花と持参したスターチスとを入れ替え、それを持って再び墓石へと戻った。
するとそこに、一人の初老の男性が佇んでいた。
「ひょっとして、結月君かな?」
少し離れた所で立ち止まっていた俺に気づいた彼が、そう声を掛ける。
「はい、そうですが……」
「ああ、やっぱり」
初めて見る顔だ。彼とどこかで会ったことがあるのだろうか。自分の記憶の糸を辿る。
「会うのは初めてだね。薫 の従兄だ」
それを聞いてすぐに会釈をした。
一ノ瀬薫――今は亡き、父の正妻。
彼女の親族に会うのは、記憶上初めてのことだった。
「ずいぶんと昔、君の写真を見たことがあるんだ。幼稚園生くらいのものだっただろうか。その髪と眼で直ぐに解ったよ。もう立派な大人になったんだね」
彼は目を細めて穏やかに言った。
ぎこちなく微笑みを返す。その物腰柔らかな雰囲気に戸惑ったのだ。俺の存在は、彼女の親族に憎まれて当然のものなのだから。
「結月君。この後時間あるかい?」
「……はい」
「少し、話をしようか」
何を言われるのだろう。
花立てを戻し、線香をあげて再び手を合わせた後、緊張しつつも彼について行き、近くの純喫茶の店に入った。
芳醇な香りの立つコーヒーカップが目の前に置かれる。ボリュームを落としたBGMと陶器の触れ合う音だけが聞こえる静かな空間で、暫く互いに黙ったままそれに口をつけた。
「すまないね、いきなり。初対面なのに、気まずいよね」
「いえ」
「君は今、一ノ瀬グループに勤めているのかな?」
「ええ」
「そうか、志乃 さんも安心しているだろうな」
その言葉に、思わず俯いて無言になる。
安心?きっとそうなのだろう。
志乃――祖母は、自分のテリトリーから俺を外に出すことはない。監視するために。
「君は、志乃さんを憎んでいるね」
さっと顔を上げて彼の目を見た。先程と変わらず、穏やかな瞳だった。
「君に、いつか話しておきたいと思っていた。一方的に話すことになると思うが、聞いてくれるかな」
真剣な面持ちでそう言った彼に応えるように、俺はゆっくりと頷いた。
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