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最終章 萌芽 04
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先ずは志乃さんの生い立ちから、話をしようか。
君はおそらく知らないと思うが、志乃さんは孤児だった。それで子供のいない一ノ瀬家に引き取られてね。幼いながらも恩を痛いほど感じていたんだろう。あの時代でも海外に留学出来るほど、熱心に勉強をして、元々古くからの商家だった一ノ瀬を、一代で大きくしてしまった。
婿を取ったが、その夫は早くに病死してしまって。きっと相当の重圧の中、息子を一人で抱えながら頑張ったんだろうね。
そんな志乃さんを支えたのが、彼女の親友のひとりだった。創業当時の副社長であり、薫の母親だ。
彼女はまだ小学生だった薫を残して死んだ。癌だったそうだ。元々母子家庭で寂しい暮らしをしていただろうに、唯一の心の拠り所だった母親まで失くしてしまった。志乃さんは、そんな薫を、幼い頃の自分と重ねたのだろう。母親の亡き後は、実の娘のように、薫を可愛がっていたようだ。
大学の学費も支援していた。その恩に報いる形だったのかは本人しか知らないところだが、幼馴染みのように育った君の父親と婚約した。もちろん、志乃さんが唆したわけではないようだが、それはそれは喜んだという。自分の目の届く範囲にいる限り、薫――親友の娘に、辛い思いをさせることはもうないのだから。
まさか、実の息子に裏切られるとは思ってもみなかっただろう。そして、最終的に命を落とすことになるなんて。どれほど、哀しく、絶望し、怒りに震えたか。想像を絶するものだったと思う。
もちろん、我々身内は激怒した。志乃さんのことさえも強く責めた。彼女はそれを償うように、死物狂いで経営に力を入れ会社を大きくした。親友と創り上げたものまでも、失うことはできないからだろう。
穏やかだった彼女は、もうずいぶんと変わってしまった。人格はああも変われるものなのだと、僕は怖く感じたほどだ。
それはどうしようもないことなのだと思う。
息子や相手の女性を怨む気持ちは、僕にも解る。彼らに対しての仕打ちに関しても、諌めることはしないし同調もしない。なにも罪のない君まで、産みの母親と引き離すことはなかったのではと思うが、それが志乃さんの、息子に対する唯一の戒めだったのだろう。君には酷な言い方だが、罪の形が常に傍に存在するのだから。
ただ、結月君本人に関してはおそらく、憎しみだけで縛っていたわけではないと、僕は思うんだ。
薫が亡くなった直後、君の母親はフランスに強制送還され、まだ幼子の君は一ノ瀬家に残された。事情の知らない周囲の人間は、その子の容姿を見て、正妻の子ではないと直ぐに気づいた。
若くして、しかも当時では珍しい女性経営者が大企業にまで成長させたと世間から注目されていた志乃さんに、黒い感情を抱く人間は少なくなかったらしい。
これは僕の勝手な憶測だが、君をなるべく屋敷から出さないようにしていたのも、身の危険や好奇の目から守るためだったのではないだろうか。
このことを君に話したのは、過去を償って欲しいからでも、悲観して欲しいからでもない。
薫のことを、志乃さんのことを知っていて欲しかった。
彼女たちの過去や想いに目を逸したままでは、いつまで経っても変わらない。すべてを憎んだままになってしまう。
君が幸せになるために、必要なことだと思ったから話した。
君にも、愛するべき人がきっといるはずだ。
もし自分の生い立ちに囚われて、その人を手放そうとするのなら、僕が許さない。
それは、彼女たちに、向き合っていないのと同じことだから――
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