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最終章 萌芽 20

――10年後 「沙雪さんはモールの建築デザインを担当されているんですよね。その参考に、アルザスへ?」 「はい。郊外に造るモールなので、少し異国感を出したいなと。アルザスの中でも、特にストラスブールは絵本のような可愛らしい街並みが人気ですよね。そんなおとぎ話の世界観を加えたいと思いまして。写真映えもしますし」 長年パリで観光業を営んでいるという上司の友人が、わざわざ駅まで車で迎えに来てくれた。 ストラスブールに向かう前に、トレンドや嗜好など、地元ならではの情報を得るため、会って話をすることになっていたからだ。 車内から、パリの街並みを眺める。この地を訪れたのは中学生の時以来だった。 19世紀の雰囲気を色濃く残す石造りの白いアパルトマン、石畳の路地、エスプリの効いたブティックやオープンカフェ。景観が統一されたそこは、十数年ぶりというのに、容易に当時の記憶を蘇らせる。 市内を離れ、パリのビジネス街であるラ・デファンスに入ったとき、男性が思い出したように口を開いた。 「そういえば、この辺りに日本人が経営している建築設計事務所がありまして。個人宅の設計からオフィスの空間デザインまで幅広くやっているんですよ。CEOもまだ若いけど、たしかチーフデザイナーは、沙雪さんとそんなに歳が変わらないんじゃないかなぁ」 「へぇ、この歳でチーフですか」 「小さいんだけど、自社ビルも持っていてね。……ああ、あの並木通りの角のところ。見えます?」 ちょうど交差点の信号で止まった時、彼が左側を指差して言った。 近代的な高層ビルが建ち並ぶ一画から少し離れた所に佇むその建物を一目見て、ハッと息を呑む。 まったく同じものではないが、モダンながら西洋の中世期の建築様式をさり気なく取り入れた独特な意匠のファサードは見覚えがあった。 「なかなかセンス良いでしょう? まだ創業して5年くらいなんですが、結構評判良くてね。たしか日本の大きな不動産会社が資本を持っていて――」 ふわりと薫るレモンのような甘い匂い。 白い肌に溶け込んだ、薄茶の滑らかな髪。 すだれ睫毛に憂いを秘めた榛色の瞳。 時が経ってもはっきりと思い出せる。ずっと傍に存在するかのように、心の中から消えてなくならない幻像。 “どうか幸せでいてほしい”と、幾度も願った初恋の人……―― 「沙雪さん? 気になるのでしたら、ちょっと寄って行きます?」 じっと向こうを見つめていた俺に気付いて、男性が声をかけた。 「いいえ、このままオフィスに向かっていただけますか」 車が再び動く。 ゆっくりと流れる景色の中に、春の陽だまりのように(わら)う、その人の姿を見た気がした。 『BODY TALK ―初恋の代償―』 終

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