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最終章 萌芽 19
僅かな光を感じてふと目を開ける。横になったまま窓の外を見ると、いつのまにか雨雲が去り、澄んだ夜空に満月が浮かんでいた。
隣に視線を向ける。
彼が寝ていたはずのそこは、ぽっかりと空間が出来ていて、僕は勢いよく上体を起こした。
シーツに触れるとひんやりとした感覚が指を伝う。
その瞬間、最悪の事が脳裏を掠めて、咄嗟に大声で彼の名前を呼んだ。
「――亜矢?」
カチャリと扉が開くと同時に、愛しい声が耳に入ってくる。
「どうしたんだ、そんなに大きな声出して」
目を丸くした結月さんの姿を見るなり、一気に全身から力が抜け、思わず「どこに行ってたの」と拗ねたような台詞を漏らしてしまった。
「どこって、隣のコインランドリーで濡れた服を洗濯していただけだが」
自身が纏っている服の、大きく開いた襟元やだぶついた袖口を見て、それが自分のものではないことに気づく。ふわりと微かに、懐かしい柔軟剤の香りと彼の匂いがした。辺りを見回すと、生活感のないキッチンや、数冊の本と一つのスーツケースだけが置かれたリビングが目に入った。
――そうだ。土砂降りの中、結月さんに腕を引かれて彼のアパートメントに来たんだっけ。
「……夢かと思いました。全部」
ポツリと呟くと、結月さんは何も言わずに傍に寄って、ベッドの縁に腰掛けた。
「おいで」と腕を伸ばして、優しい声で促される。擦り寄るように近づく僕を、彼は優しく抱き締めてくれた。
「怖かった?」
「うん」
馴染みのある香りと体温にこの上なく安心する。
本当に怖かった。彼が居ないことが。彼の居ない世界が。
「亜矢、これ見て」
結月さんはそう言って、静かに掌を僕の目の前に差し出した。
それを見るなり、「あっ」と声を上げた。
そこにあったのは、ひとつの小さな青い花。
「君が残してくれたメモに、挟まっていたみたいだ」
まるで溶けるように柔らかな微笑みに、トクリトクリと優しい鼓動が胸を打つ。
――ああ、この笑顔をずっと傍で見ていたい。
何故かこみ上げてくる涙を隠すように、彼の腰に手を回して肩口におでこを擦り付けると、「どこにも行かないよ」と、また泣きたくなるほどの温かい声に包まれた。
これから永遠に、不変の愛が続く保証なんて無い。
それでも、彼と、一緒に生きてゆきたい。
何度も重ねた心と体が教えてくれる、確かな幸せを頼りに。
そして、二度とない「恋」であることを信じて。
彼の掌からそっと受け取って、月明かりにかざした勿忘草は、花びらの薄青色が月光の白に滲んで、それはまるで幻のように美しく輝いていた。
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