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1・プロローグ
【プロローグ】
葬式とは死者を弔う行為。であるけれど、現代のこの国における葬式に、死者との別れを惜しむ暇はない。暴力的なまでに強制力のある社会的な手続きによって、「死」の事実を強引に受け入れさせられる。
人が死ねば、まず事件性がないかを調べられ、棺を手配し、身近な人、職場、学校などへ連絡し……。墓に骨を納めるまでに気が遠くなるほどの行程がある。
それらを煩わしい、不自然だと感じる僕はきっと社会不適合者なのだろう。
「死」に向き合えなかった僕は、逃げた。
「お前、まだ俺に本名教える気ないの」
リビングのソファでだらけながら、家主の芦港零 が尋ねた。
「ナギは本名だよ」
「苗字の方。ナギなんか国内にいくらでもいる」
人の名前に対してひどい言い草だと苦笑しながら、零の質問に心をざわつかせる自分がいた。
「言ったら通報する? 未成年者の家出だって」
「どうでもいい。お前は使えるし、俺が捕まるならそれはそれでネタになる」
「そっか」
会話が途切れる。質問はただの好奇心だったようだ。
零とは二ヶ月ほど前の春に出会った。行くあてもなく実家から逃げ、漠然と海を目指して電車を乗り継ぎ、所持金が尽きた先の駅で放心していたら声をかけられた。
『出かける前からいたけどどうしたの。腹でも減った?』
『腹は減ってないんですけど、お金と家がなくて』
『ふぅん。うち来る?』
驚いた。出会って数秒の他人を簡単に家にあげたりする人が本当にいるのかと。
『俺、作家的な仕事しててさ。お前みたいなワケありっぽい奴好きなんだよね』
死ぬ前の月のように弧を描いて笑う彼の目は、どこまでも暗い色を湛えていた。
そうして案内された海沿いの一軒家はひどい有り様で、小綺麗な零の見た目からは想像できないほどゴミで溢れていたから、開いた口が塞がらなかった。
『なに、これ、やば』
『あ、そういうの気にするタイプ? 悪いけど適当にくつろぐ場所探して』
確かに足の踏み場もなかった。自分より五歳そこら年上に見えるこの人間の今後が心配になる程に。
『……ここにおいてもらえるなら、僕家事します』
その日を境に僕は、表向きは零の従兄弟ということで芦港凪 と名乗り、ひたすらに家の掃除を行った。お陰で家は外見に恥じない、丁寧に使い込まれた木材の壁や床が映える素敵な住居として蘇った。
ささやかだが仕事も始め、新しい生活に馴染みつつあることで、駅付近のベンチで抱いていた希死念慮もほぼ感じなくなっていた。
「顔色よくなったね」と、零が細い指を僕の頬に滑らせ、軽く笑った。
「そうかな」
「初めて会ったときは死にそうに蒼かった。暑い日だったのに」
「あのときは、うん。海で溺死でもしようかと思ってた」
「なんで海?」
「なんでだろう。憧れてたのかな……海で泳いだことないから」
ソファで溶けただらしない姿勢のまま零はタバコに火をつけ、今度一緒に海行こうか、と言ってくれた。
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