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Ⅸ-4

 初めてシエラと出会った場所でヴァシレフスはゆっくりと腰を下ろした──。  ヴァシレフスは誰の静止も聞かずに城からシエラの亡骸を連れ出した。柔らかい赤紫色のトガにその細い体を大切に包み、腕の中で眠らせたまま静かに木に凭れ掛かる。 「まだここに川があったら……お前に幾らでも原石を分けてやったのに──。お前のことだからずぶ濡れになって採り続けたろうな……」 ──奪ってしまった。村にいるお前の家族から、大切な妹から……誰からも、何もかも──。 「皆、お前が帰るのをずっと待ってるだろうに──」  ヴァシレフスは枯れたと思っていた涙がまだ出ることに腹立たしくなった。泣いたところでシエラは二度と戻りはしないのに──。 「シエラ、すまない。お前や、家族の希望の種を俺が全て摘み取ってしまったんだ──。本当にすまない──」  話すべきじゃなかった──。  シエラをどんなに怒らせても、なじられても、あのまま帰らせばよかった──。  己の犯した罪の告白など、自己満足でしかなかったのだ──  その十字架は自分が一人、最後まで口を噤み墓場まで持っていけばシエラを失わずに済んだのに── 「俺は……間違えてばかりだ──」  遠くで落雷の音がした──。  暗い雲が次第に青空を侵食し始めていた。雨が近いのだろうとヴァシレフスは悟ったが、そんなことはもうどうでもよかった。  嵐が来ようが雷に打たれようが── 「もう、どうでもいい──」  秋風に触れるシエラの体から次第に温度が奪われ、綺麗な肌色がゆっくりと色を失くしていくのがヴァシレフスには悲しかった──。 「俺は本当に星見なんて信じてなかったんだ。だけどお前だったから、俺は──。運命も悪くないなんて思ってしまったんだ……。お前はやっぱりいい加減だと笑うかな──」  ヴァシレフスの頬に涙みたいな雨粒が当たった──。  自然の摂理に抵抗することなくヴァシレフスは眼を閉じた。大量の雨が次第に体温を奪っていくがそれすら最早気にならない──。  俺の命も持っていけば良い──。  あの時雷に打たれて死んでいればこんなにもシエラを苦しめずに済んだのに──。 「お前に言いたかった……ちゃんと……」 ──お前を愛してると。    黒い空を突き破って耳を(つんざ)く激しい音とともに雷が近くの大木に落ちた。  木の焼ける匂いと煙をあげる樹木にヴァシレフスが薄ら眼をやると、白い蛇のような体をした竜がその周りに(とぐろ)を巻いており、その体はゆらりと天高く空に延び、深い赤色をしたガーネットの鋭い眼がこちらを覗き込んでいた──。 『愚カナ人ノ子ヨ──。真理ニヨウヤク辿リ着イタカ』 「何もかも思い通りになって嬉しいかっ、だがお前にシエラは渡さないっ。欲しいなら俺の体でも命でもなんでも持っていくがいい!」 『私ハ 何モシナイ。私ハ オマエヲ見テイタダケダ。チャント辿リ着ク事ガ出来ルノカ否カヲナ』  竜は大きな体をぐにゃりと曲げヴァシレフスの面前まで近付いた。大きく不気味なガーネットの目玉でシエラの顔を覗き込み、そしてまた離れた。   『美シイ子ダ。ソウカ。ソレガ オマエノ運命カ──』  ヴァシレフスは竜の真意が理解できなかった。竜は自分かシエラのどちらかを喰らうつもりでいたと思っていたのに──。 『己ノ欲ニ負ケテ 命ヲ落トシタ者タチニ、オマエガ罪ノ意識ヲ感ジル必要ハナイ──。タダ 私ハ 知リタカッタノダ──。オマエガ 自ラ運命ヲ切リ開ケル者カ 否カヲ──』 「何を、言って……それに俺はシエラを死なせた。俺のせいで……、それが罪でなくてなんだというんだ?!」 『異国ノ者ニモ涙ヲ流セル。オマエコソ王ニ 相応シイ。ヴァシレフス。オマエハ 正シイ王ニナレル──。決シテ ソレヲ忘レルナ──』  竜が空に向かって大きく吠えたかと思うと同時に空が一面光に包まれた。あまりの閃光にヴァシレフスは眼を開けていることが出来なかった。  走り抜けた雷鳴に一瞬鼓膜がふれ、最早音すらわからなくなった──  全ての音を失ったかと思った次の瞬間、激しい水の音が耳に飛び込んできた。それと共に大量の水が川へと流れ込んでゆく──。  真っ黒だった空が一瞬にして透けるような青色を取り戻し、どこかに繋がるようにして大きな虹が遠くへと掛かっていた。  呆然としているヴァシレフスの耳に知った声が微かによぎる。 「すげぇ、綺麗……」  そこには子供のように瞳を輝かせて虹を眺めるシエラがいた──。 「シエ……ラ……」 「おはよ、ヴァシレフス」    そう言ってシエラは嘘みたいに優しく微笑んだ。 「シエラ……」    ヴァシレフスはただ、名前しか呼ぶことが出来なかった──  愛しいその名前だけを── 「わっ! 俺服着てない、なんで! ヴァシレフスの馬鹿っ、こんな格好で俺を連れてくるなよっ恥ずかしいだろ!!」 「誰も見てない──ここには俺しかいない」 「そういう問題じゃ……あっ、川だ! 見ろよヴァシレフスっ、川が蘇ってる。わあっ、すごいなぁ、綺麗だなぁ」 「──やっぱりお前は思った通り、色気のない騒がしい奴だ……」  ヴァシレフスは幸せそうにその体を優しく抱き寄せた。腕の中でシエラが何かを喚いているが、もうどうでも良かった。もうこの体温を二度と失くしたくない──ただ、それだけだった。

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