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1 ☆
私立聖愛 学園は、幼稚舎から大学院まであるエスカレーター式の学校だ。多額の学費と寄付金を必要とするため、良家の子女でもないと通うのはなかなか難しい。
橘冬馬が中等部に進級してひと月、この教室に姿を見せたのは両手の指の数ほどもなかった。特に何をしているわけでもなく、ただ広大な敷地の中のお気に入りの場所にいるだけだった。
一週間ぶりに姿を見せたのは、ほんの気まぐれだった。──隣の席に見知らぬ少年が座っている。この特殊な学園に中途編入してくる者は多くない。
「──おまえ、だれ?」
頭に浮かんだ言葉はそのまま外に零れ落ちた。無愛想な問いに、ややあって答えが返ってくる。
「……石蕗 、秋穂 です」
声変わり前の幼い声。少年は柔らかく微笑んだ。
やけに色が白く、やけに線の細い──。
(──なんか、硝子細工みてぇ……)
授業は始まっていたが、冬馬はまったく聞いていなかった。教室にいても授業に参加していないのはいつものこと。普段は誰もいない席の向こうの空を眺めていた。今はその席に座る編入生の顔をぼんやりと見ている。
だから──気がついた。
秋穂の身体がこちらに傾いでくるのを。冬馬は咄嗟に手を伸ばした。
ガシャン。
椅子が二脚分倒れる物凄い音が、静かな教室に響いた。重さを感じさせない身体を抱えたまま、冬馬は床に座っていた。
「どうした?大丈夫か?」
教室中がざわめく。教壇から教師が駆け寄ってくる。冬馬は弾かれたように立ち上がった。抱えた秋穂を誰にも触らせたくないかのように見えた。
「保健室に行く」
中学一年になったばかりで既に百七十センチを超えている男は、身体の細い同級生を軽々と横抱きにして教室を出て行った。
さすが上流階級、と思わせる寝心地の良いベッドで眠る秋穂の顔は、白を通り越して、蒼い。
校医は「貧血かな」と言って簡易個室を出て行ったので、今はふたりきりだ。今日初めて会ったばかりの人間に何故ここまでするのか。そんな自分が不思議でならない。保健室まで連れてきたのだから、いつまでも付き添うことはない。校医に預ければいい。
(──なのに──)
眠る蒼白い顔を見続けている。女の子よう──というわけではないが、綺麗な顔立ちをしている。しかし、その顔色も、細すぎる身体も何処か病的だ。
(どっか、悪いのか……?)
今日は少し汗ばむ陽気だ。細く開いた窓からの風が、秋穂の柔らかそうな髪を舞い上げた。冬馬は指先で、頬にかかるその髪に触れた。
(……やばっ……)
自分の身の内に何故だか僅かな熱を感じた。
それと同時に秋穂がゆっくりと眼を開け、一瞬ふたつの視線が──合った。冬馬は慌てて眼を逸らした。黙って立ち上がり、そのまま部屋を出て行こうとした。しかし、そうすることはできなかった──秋穂が手を握っていたから。冷たい手だった。
「……付いていてくれて、ありがとう」
少し苦しげな声。
── 一度目の微笑みは、柔らかであったけれど、人を寄せつけない何かがあった。二度目は、口許を綻ばせ──花が咲くように微笑 った。
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