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6 ☆☆
新学期が始まり二週間が経とうとしていたが、秋穂はまだ学園に姿を見せていなかった。
なんの連絡もない。
秋穂のいない教室に行く意味もないと思っている冬馬は、秋穂が現れることを願いながらいつも“秘密基地”で時間を潰していた。
服のデザインが描かれた白い紙が散乱する中、いつも秋穂と座る木の根元に独り座っていた。冬の日暮れは早く、午後五時前になる頃にはもうだいぶ薄暗い。
(今日は来るような気がしたけど、やっぱ、駄目か)
それでも待っている自分の諦めの悪さを、冬馬は苦々しく思う。
帰ろう──ふっと、小さく溜息を吐いて立ち上がろうとした時、微かに足音が聞こえた。振り返ると、長いこと待ち続けていた少年の姿があった。
「アキ……」
幻かと思うほど儚げに微笑んでいる。
しかし、幻ではない。差し伸べた手に遠慮がちに載せられた指先を取り、隣にいざなう。夏でも少しひんやりした手は、今はとても冷たい。冬馬の手も冷えきっていたが、触れあっていると少し温かくなってくる。
「冬馬……誕生日、おめでとう。……間に合って、よかった」
少し掠れた柔らかな声で囁く。
冬馬は、誕生日を心待ちにしている子どもみたいな嬉しさを僅かに口許に滲ませ、秋穂を見つめる。
「もう……身体、大丈夫なのか?」
「うん。ほんとはだいぶ前に退院してた」
その言葉通り、見える範囲には目立った外傷はなく、取り敢えず安堵する。
「連絡できなくてごめんね。今日はぜったい来たくて、冬馬の誕生日をお祝いしたくて……どうにか話まとめた……」
「ん?」
軽く首を傾げて後を促す。
秋穂はしばらくそんな彼を見つめていたが、意を決したように話し始めた。
「僕、婚約、決まったんだ」
「え……?」
今聞いた言葉の意味がすぐに理解できず、心の中で反芻する。さすがの冬馬も驚きを隠せない。しかしそれはほんの僅かの間で、秋穂に見せるいつもの笑みを浮かべた。
ふたりは見つめあっていたが、ふっと秋穂の方が視線を逸らす。
「大学を卒業したら、結婚することに決まった」
自分のことなのに他人事のように淡々と話す。
「──義母 は、壱也さんをとても溺愛している。薄々僕らのことは気づいていたようなんだけど、今回のことで半狂乱になって、すぐに僕を追い出そうとした。でも、義父 が──」
父親の命で秋穂を引き取った石蕗社長は、歓迎はしなかったが、打算もあった。石蕗リゾートの為に役に立つ日が来るんじゃないかと。
秋穂を折々に呼び戻して、パーティーに出席させていたのもその為だ。
内輪と言いながら、有力な取引先や合併を考えている大企業の上層部など、出席者は毎度錚々たるもので、一対複数の見合いみたいなものだった。
「義母 のヒステリーを抑えるのに、とにかく話だけでも纏めることにしたんだ。それまでは、外にも出して貰えず、連絡すらできなかった。
──もう、これで出たくもないパーティーに出なくていいし、壱也さんも留学させられて、もう会わずに済む」
秋穂は冬馬を見つめ、柔らかく微笑む。
「──なんでも良かったんだぁ……早くここに来れるなら。冬馬の誕生日に間に合うなら」
「アキ……」
冬馬はひどく切ない気持ちになって、秋穂の肩を抱き寄せた。
秋穂が折々に呼び戻される理由──既に冬馬は、秋穂の十三歳の誕生日に聞いていた。あの時からいつかはこんな日が来るかも知れない、と思っていた。
(でも、まさか、こんな早く……)
「アキは、それで幸せになる?その娘 を好きになれそう?」
「どうだろう……」
秋穂はその問いには少し困ったように首を傾げる。それから、考えながら、ゆっくりと話す。
「でも、僕らはよく似た境遇なんだ」
秋穂の婚約者は、ホテル業界では石蕗以上のシェアを持つアカツキホテルの社長の娘だという。しかし、後妻の連れ子で、義理の姉たちには邪険にされる上、のちに弟が産まれてからは実の母からも見向きもされなくなった。
「お互い、家の厄介者。気持ちは解り合えると思う」
いつ裏切り合うかわからない両家が、失っても痛くないものを人質に出したというわけか。
(戦国時代じゃあるまい)
冬馬は喉許に苦味が浮かぶのを感じた。
でも自分たちの生きる世界では、それもありえない話ではない。その手の話は冬馬にも何度となく舞い込んでくる。彼自身はきっぱり拒否していたが、秋穂は勿論、そして恐らくその彼女も拒否できる立場にはない。
「でも彼女は優しくて、とてもいい娘 だよ」
「そうか……なら、良かった」
大学を卒業するまでまだ六年ある。それだけあればお互い育む想いもあるかも知れない。
(俺じゃアキを幸せにできない)
冬馬は抱き寄せていた肩をそっと放した。
(あの男がいなくなった今、俺はもう秋穂を守る必要がないのか……?肌を合わせて、温めてあげることもない……)
そんな冬馬の行動をどう受けとめてか、秋穂はまた微笑む。
──哀しいくらい、綺麗な微笑みだった。
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