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7 ☆

 細く開いた扉の隙間から、キスを交わす男女が見えた。  男は、背が高く均整のとれた体つきをしており、眼は切れ長で少し浅黒い精悍な顔立ちをしている。上質のスーツを少し乱して着ているところに男の色気が漂う。  女は──いや、女のことはどうでもいい、と彼は思った。こんな場面は何度となく見ているし、たいがい女はいつも違う。  柑奈詩雨は小さく溜息をついて、軽くノックをした。女が慌てて離れるのが見えた。返事も聞かずに部屋に入ると、彼女は詩雨を睨みつけながら出ていった。 「おじゃまさま」  そう言いながら、手に持っていた封筒を冬馬のデスクに置いた。 「どうも」  まったく悪いとも思っていない詩雨と、羞恥の欠片も見せない橘冬馬。 「この前見た時は、違うオンナだったよなぁ?」  冬馬の乱れた襟許を直しながら言う。最後にネクタイをキュッと上げる。 「ほんのひと月くらい前の話だと思うけど?」  生粋の日本人とは違う薄い色の瞳は、濃い色のコンタクトレンズで覆われていたが、その何もかも見透かすような強い光は失ってはいない。慣れない人間には少し怖く感じるその視線をまともに受け、冬馬はやや高慢にも見える笑みを浮かべている。 「そうか?覚えてない」  そう嘯く。 「ふうん」  詩雨は小さく鼻を鳴らし、両腕を冬馬の首に絡めた。 「ただの性欲処理なら──オレでも、いいんじゃね?」  白い肌に際立つ紅い唇が挑戦的に微笑する。  冬馬はそんな媚態にも惑わされない。 「お前、男じゃん」  悪戯っぽい顔で、拒絶。 (はあ?おまえがずっと想っている相手は、男でしょうがっっ)  声を上げそうになるが、我慢。ふと見ると、眼前の男はふざけた顔を引っ込め、真剣に自分を見つめていた。 「──駄目だ、お前とは、」   その言葉に更にムッとするが、髪に優しく指を差し入れられると、黙って身を任せた。  ──は、まだ残ったままだ。  肩よりも少し長めの髪を、昔と変わらず紅い紐で結っている。しかしその髪は、陽に透けて金色に煌めいていた昔とは違う。瞳と同じく濃い色に塗り替えられている。  冬馬にはそれが少しだけ痛ましく思えた。 「お前のことは大事だ──だから、」  その眼差しは温かい。それが詩雨には哀しい。その温かさは愛情ではあっても、恋情ではない。 (────そうだな、も、結局おまえはオレを抱いたりはしなかった。ただ、お互いの手で、した、だけ)  小さく溜息を漏らした。 「まあ……」  瞳に翳りを残したまま、にっと笑う。 「それはさておき」  自分から仕掛けておきながら、今までの展開をサラっと流した。  冬馬のデスクに置いた封筒を手に取り、中から四つ切サイズの写真を出す。 「この間の写真なんだけど──」  冬馬が受け取り、その数枚の写真を眺める。 「ああ、いいな。これでよろしく」 「りょーかい」  すっかりふたりとも仕事用の顔になる。  アパレルショップ《Citrus(シトラス)》のオーナー橘冬馬は、プロカメラマン《SHIU》に仕事を依頼していた。  冬馬と秋穂は聖愛学園の大学部に進学したが、詩雨は写真・映像の学科のある大学を受験した。趣味で続けてきた写真を本格的に始めてみれば、こちらでも才能を発揮した。大学内コンクールでも、学外向けの学生のグループ展でも、常に注目を浴びていた。  大学入学を機に、詩雨は髪と眼の色を変え、今は本名や私生活を明かさないカメラマンとして活動している。  対して冬馬は、在学中に服飾系の大企業タチバナの、新しいブランド《Citrus》を立ち上げた。元は、歳の離れた冬馬の姉・華恋(かれん)がオーナーであるブランド《HANA─華─》のショップに置かれていたが、卒業後、HANAのまだ無名の若いデザイナーを連れ独立。本格的に始動した。  HANAは世界でも名の通った最高級ブランドだが、Citrusはもう少しカジュアルでリーズナブルだ。ショップ自体は数店舗だが、ネット販売も行っており、若い世代を中心に人気が出てきている。  SHIUは芸能・ファッション系の仕事は基本受けないが、親しい人間の依頼は名を明かさないことを条件に引き受けるとこもある。  今回のタチバナ春夏コレクションでの、Citrusのパンフレット用フォトと会場を飾る大型スチルの仕事もそうだ。

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