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第3話 お出かけ
「はぁ……」
女装がばれてしまった時の事を思い出して、思わずため息が出た。いまさら言っても仕方がないが、どうして部屋の鍵をかけ忘れていたのか、過去の自分を小一時間ほど問いつめたい。
「それに、あいつがあんなに性格悪い奴だとは思わなかった……」
冬夜はシェアハウスの住人の一人だ。ここで初めて出会った。
喋った事はあまりない。たまに仕事で早く起きた時や夜遅くに帰って来た時に共同のキッチンで鉢合わせた時に挨拶するくらいだった。
こんな事になる前は下の名前も知らなかったし、どんな仕事をしてしているかもよく知らない。
冬夜はとりあえず顔がいい、背も高くて体格もいいそれなのに顔は小さい。笑うと広告のモデルみたいに爽やかだ。
だから冬夜はモテるし人気物だ。いつも誰かと仲良くしゃべっていたり、女性に囲まれているのをよく見る。愛想もよくて、モテているから、男に嫌われていそうなのに男にも好かれている。以前のおれの印象は住む世界が違い過ぎて仲良くはなれそうにないなと思った。でも、嫌な奴ではないだろうと思っていた。
だから、あんな事をする奴だとは思わなかった。
「着替えよう……」
おれは気だるい体をなんとか持ち上げ、服を脱いだ。
「あーもう、クシャクシャになってる……」
薄い生地で繊細な女性物の服は、当然皺だらけになっている。仕方がないので軽くアイロンをかける。
「そういえば、あの後も酷い目にあったんだよな……」
おれは思い出して、またため息を吐く。
実は女装がばれた後も色々あったのだ——
あの時、冬夜にか相互オナニーみたいな事をされてしまったおれは、あまりのことに何も考えられず呆然としていた。
「どうしよう……服、汚れた……」
ぼんやりしていたが、ある事に気が付いてがばっと起き上がって言った。
着ていた服と下着には、二人分の精液がべっとり付いている。
女装しているところを見られてしまったという状況で、こんな事を気にしている場合ではないが、下着も服もそんなに数を持っていないし値段も高かった。なにより今着ているものは迷いに迷って、細心の注意を払ってバレないようにネットで買って、昨日届いて初めて着たものだった。
「うん?そんなの洗濯すればいいだろ?」
不思議そうな顔をして冬夜は簡単に言う。冬夜はというと、いつの間にか服も整えて何も無かったような顔をしている。
「洗濯機は共同なんだぞ、女物の服なんて洗えない。誰かに見られたらどうするんだよ」
シェアハウスはキッチンと洗濯機やお風呂が共同だ。いつ、誰がいるのか分からないのに女物の服を持ち歩いて洗濯なんて出来ない。
「あー……じゃあ、コインランドリーは?確か、近くにあったよな?」
「無理だよ。男の恰好で女物の服を洗濯して、誰かに見られたら泥棒と間違われる。どっちにしても女物の服を持ち歩くなんて怖くて出来ない……」
冬夜が言うように、近所にはコインランドリーがある。シェアハウスの住人もたまに使っているが、女性が使った時に下着が盗まれたという事件があった。そんな事もあって、女性物の服を持って洗濯なんていけない。
話していて絶望感に悲しくなってきた。どう考えてもこの服は捨てるしかない。
「あー……なるほど……」
それを聞いた冬夜は、流石に気まずい顔になる。しかし、すぐに何か思い付いたように「そうだ、いい事思い付いた」と言った。
「なに?」
「伊織ちゃん、他にも女物の服は持ってるよね?」
「え?ま、まあ、あるけど……」
なんだか嫌な予感がする。答えると冬夜は立ち上がった。
「じゃあ、準備が出来たら戻ってくるから、着替えておいてね」
冬夜はそう言って部屋から出ていった。
「な、なんだよ……」
意味が分からない。しかし、弱みを握られているので従うしかない。おれはのろのろ起き上がり、隠してある他の服を出して着替える。
着替え終わったあたりで、冬夜が戻ってきた。
「着替え終わった?その服も可愛いね。じゃあ、行こうか」
「え?行くって……」
おれの困惑をよそに、冬夜はそう言うと持っていたバックに汚れた女物の服を纏めて入れる。
そして、おれの手を掴むとそのままシェアハウスの外に連れ出した。
「いい天気で良かったな」
「お、おい。何考えてんだよ」
おれは突然女装のまま外に出されて道の真ん中で固まる。女装は部屋で一人で楽しむことはあったが、外に出たのなんて初めてだ。
履いているのはロングスカートだが、やけに足がスースーして心もとない。幸い今は、周りに人はいないが誰かに見られていたらどうしようと思って顔が上げられない。
「大丈夫だろ。一応これ着といて」
冬夜はそういって大きめのパーカをおれに頭から被せた。
「え?な、なんで……」
「これで手をつないで歩いてたら、彼氏の上着を借りてる女の子に見えるよ。顔も隠せるだろ」
そう言って冬夜はおれと手を掴むと指を絡めるように繋ぐ。確かに、傍から見るとイチャイチャしているカップルみたいだ。
「な、なんでこんなこと……」
「ほら、ちゃんと彼女の振りしないと。前から人来たよ」
「っ!」
おれはびっくりして思わず冬夜にくっつく。そして、ウイッグで出来るだけ顔を隠して俯いた。
前から歩いて来ているのはサラリーマン風の男だ。スマホを見ながら歩いていてこちらのことは気が付きもしていない。
少し、ホッとしたものの、何かの拍子にこちらを見るんじゃないかと思って気が気じゃない。
そんなおれの様子を見て冬夜は楽しそうな表情だ。
「ビクビクしちゃって本当に可愛い。大丈夫だよ。ほら、行こう」
「ま、マジかよ……」
やっぱり行くのかと絶望的な気持ちになりながら、手を繋がれているので半分引っ張られながら歩き始める。
冬夜の少し後ろをびくびくしながら歩く。
緊張しすぎていつもどうやって歩いているかわからなくなる。しかも女装しているのだからいつも通り男っぽい歩き方だとダメだと気が付き、さらにパニックになってくる。
それでもなんとかコインランドリーに着いた。
「ほら、大丈夫だったろ」
建物に入ると冬夜は平気そうな顔をして、汚れた服をランドリーに入れる。
「本当に何か考えてるんだよ。大丈夫ってまだ帰りもあるんだぞ」
おれは顔を俯け周りを警戒しながら言った。一応店内には他の客はいないもののコインランドリーは外から中がよく見える構造だ。まだ油断出来ない。
「これで、後は待つだけだよ。ほら、ここにこうやって座ってれば大丈夫」
冬夜はそう言っておれをベンチに座らせ、腰を抱くようにして横に座る。
「ち、近い……」
文句を言いつつも、おれは大人しく座ることにした。確かにこれなら服を洗いにきたカップルに見えなくない。
それでも緊張はする。
なんとか気分を紛らわすために、グルグル回る洗濯ものを見つめる。
「そうだ、伊織ちゃんの連絡先教えてよ」
しばらくすると、冬夜はそう言ってスマホを取り出した。
「な、何でだよ。……いやだよ」
「そんな事言っていいの?見て見て、よく映ってるよ伊織ちゃんの可愛い姿」
そう言って冬夜は写真のフォルダを開く。
「っ!それ、いつの間に撮ってたんだよ」
スマホにはおれが少しぼんやりした顔でベッドに横たわっている姿だった。しかも分かりやすくスカートが捲れて下半身が丸見えで精液で汚れている。
女装している姿だけじゃなくこんな姿まで撮られているとは思わなかった。
「だって本当にエロいんだもん。ほら、教えて」
「わ、わかった……」
しかたなく自分のスマホを取りだし教える。
「伊織ちゃんのアドレスゲット!これで、いつでも連絡出来るね」
冬夜は相変わらず何が嬉しいのか楽しそうに言った。
「山野辺さん、楽しそうですね」
「冬夜」
「え?」
「俺の名前。今はカップルって設定なんだから下の名前で呼び合わないと」
「え?なんでまた……」
「ほら、他の人が聞いたら変に思うよ」
「今、誰もいないだろ……」
「今から練習しとかないと。ほら、呼んでみて」
「……と、冬夜?」
しつこいので渋々そう言った。
「ふふ……なに?伊織ちゃん」
冬夜はそう言うと、引き寄せてわざとらしくおでこにキスをする。
「あんたが言えって言ったんじゃん……」
おれは腕で突っぱねながら言った。本当になにが楽しいのかわからない。それに、カップルの振りにしてはやりすぎな気がする。
「そういえばさっきちらっと見えたけど、伊織ちゃんもこのゲームしてるんだね」
クスクス笑いながら、冬夜はそう言ってスマホを見せながら言った。
「え?なに?ああ、それか……」
冬夜が指したゲームはたしかにおれも遊んでいるゲームだった。アドレスを交換した時に見えたのだろう。
昔、友達がやっているのでつられて始めたもので長く続いているゲームだ。リリースされた時は話題になって人気があったが、年月が経って最近はあまりこのゲームで遊んでいる人は見かけない。
「このゲーム、最近始めたんだけど遊んでいる人もうあんまりいないから嬉しい、フレンドになってよ」
「ま、まあいいけど……っていうか最近始めたのに随分レベルが高いな」
「ちょっとハマっちゃってさ結構課金しちゃったんだ。でも伊織ちゃんもレベル高いよね?」
「おれはだいぶ前から始めてるから、嫌でもレベルは上がるんだよ」
最初は楽しかったが今は完全に惰性で遊んでいる。でもちょっとした休憩や空き時間に遊ぶには丁度いいのだ。何も考えなくていいから楽で、新しいゲームをする気力もなくてここまで来てしまった。
「そんなに長いんだ。じゃあ、攻略とか教えてよ。これハートとかフレンドに送れるよね」
「まあ……いいけど……」
ハートとはこのゲームをプレイするためのエネルギーみたいなものだ、時間で回復するがそれ以外だとお金で買うかこんな風にフレンド同士で交換するしかない。
ちなみにおれはそこまで熱心じゃないので、無課金で適当に遊んでいる。
冬夜がこのゲームをしているのは意外だった。撮られた写真で脅されるよりはましだからおれはそれに応じる。
そんな風にゲームの話をしたり、実際にプレイをしていたら洗濯が終わった。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん」
まだ、帰りもあるし油断はできないが、とりあえず服がも綺麗になったのでひとまずホッとした。
帰りも行きと同じく冬夜はおれの手を繋ぎ、歩く。
相変わらず緊張する。限界までフードを降ろして俯きながら歩く。
しばらくするとあと少しでシェアハウスに着くところまできた。シェアハウスの周りは人通りも少なくなる。
あと少しだと思ったところで、冬夜が思い付いたように言った。
「そうだ、コンビニに寄っていい?」
「え?い、今?」
何を考えているんだと思ったが止める間もなく、冬夜はおれの手を繋いで引っ張るように、店に入って行く。
「手が塞がってるからかご持って」
「っていうかこんなの後でもいいだろ?なんならおれが後で買ってくるから……」
おれは出来るだけ小声で言う。
店内には他にもお客さんがいた。怖くて顔を上げられないから、性別や年齢も分からないが、あまり近づきたくない。
しかし、冬夜は平気そうに飲み物やお菓子をかごに入れていく。仕方がないので出来るだけ冬夜にくっついて隠れるように付いて行く。
せめてカップルに見えればましだ。
「あ、そうだこれも買おうと思ってたんだ」
冬夜はそう言って、店の奥の方に向かい、コンドームを手に取ってかごに入れた。
「っ!お……な……!!!」
お前は何かんがえてるんだと叫びそうになって寸前のところで口をふさいだ。あまりのことに唖然としていると冬夜はかごをおれの手から取る。
「じゃあ、買ってくるから」
そう言ってレジに向かう。おれは唖然としながらも慌ててついていく。冬夜は支払いを済ませると店の外に出た。支払っている時は身の置き場がなかった。
そうしてなんとかシェアハウスに着いた。
コンビニからシェアハウスの道やおれの部屋までは幸いな事に人とはすれ違うことはなかった。
そして、部屋の前で冬夜がさらに言った。
「じゃあ、このゴムは伊織ちゃんが持ってて」
「!え?な、なんで……」
買ってきたコンドームを取り出すと冬夜はおれに渡す。
一体なんのつもりなのか分からない。しかし冬夜はニヤリと笑い答える。
「次する時困るだろ?」
「つ、次?」
「出したもので汚さないようにしないと……」
冬夜はそう言って意味深に笑うとチュッとおれの頬にキスをした。そうして更に言う。
「次する時は、連絡するね」
そう言うと冬夜はドアを閉め。おれは何も言い返せずそれを見送ることしか出来なかった。
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