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29.初めてのカラオケ(9)

「あ。この曲、僕も知ってます!」 「ぼくもー!」  前奏が流れ出した途端、如月兄弟が元気よく手を上げた。  ああ、確かにこのメロディは忘れもしない。  仲間はずれにならないように、俺も一応、ちょっとだけ手を上げておこう。 「お、俺も知ってる」 「え? やっぱりお兄ちゃんも知ってた?」 「うん。俺が生まれる前に大ヒットした曲なんだよね、これ」 「そうなんだ? すごく元気をもらえる歌だよね」  そう言い終えた後に歌い出したこの曲は、某女性歌手がソロ活動を始めて、五枚目くらいにリリースされたシングルだった。  本来は失恋ソングのつもりで作ったはずだったんだけど、歌詞の内容に心を打たれ、人生の応援歌として受け止めた人たちに支持されて、爆発的なヒットを記録した曲なのだ。  作詞と作曲を自分でやったその女性歌手は、当初は応援歌と捉えられる事に違和感を覚えていたのだが、時が経つにつれ、本人もそのつもりで歌うようになったのだという。  この曲を聴いていると、俺がまだ、中学生だったあの頃を思い出すなぁ。  勉強もスポーツも、友達関係までもが上手くいかなくて絶望のどん底にいた時、お袋が黙ってかけてくれたのが、この曲だった。  お袋も、最初は失恋ソングのつもりで作られたとは知らなかったらしく、背中を押してくれるかのような歌詞と、美しいメロディに心惹かれ、俺への応援のつもりで流してくれたのだ。  夢をあきらめないで――。  そのタイトルと歌詞を知った当時の俺は、こんなふがいない自分でも、支えてくれる人がいるんだという事に気付き、大粒の涙をこぼして泣いた。  そこから立ち直るまで時間はかかったけれど、それでも、今の俺がこうして一人立ちできたのは、この曲とお袋による愛情のおかげなんだ。  そういう過去があったので、この歌を聴くたびに当時の記憶が思い起こされ、俺は、自然と涙腺が緩んでしまいそうになるのである。  お袋、ありがとうな。  俺、諦めなかったから、どうにかここまでやって来れたよ。  突然で驚かれるかも知れないけど、明日の朝、お礼として実家に送るおみやげも買わなくちゃな。  それにしても、ミオの歌声……とても澄んでいて綺麗だ。  俺の表現が正しいのかどうかは分からないけれど、ミオの声質は、原曲のそれとはまた違った、透き通るような美しさがあるよな。  女性歌手が歌うために作られた曲だから当然高音域になるのだが、まだ変声期を迎えていないミオは、余裕のよっちゃんで原曲キーのまま歌えるのである。  そのミオがまた、そこいらのアーティストに負けず劣らずの歌唱力を持っていた事に驚きだ。  声量やリズム感などは申し分ないし、ビブラートもしっかりかかっている。  一学期の音楽の成績がよかった理由は、きっと、この圧倒的な歌唱力が評価されたんだろう。  もう一つ驚いたのは、サビの部分にある高音パートのハモリを、レニィ君が進んで受け持った事だ。  そっか、レニィ君たちが通っている学校でも、この曲を音楽の授業で教えていたんだな。  ミオとレニィ君、二人の澄み切った歌声によるハモリは絶妙にマッチしていて、心を震わされた俺は、ついつい聴き惚れてしまった。  ちなみに弟のユニィ君は、リズムに合わせて、控えめな音量でタンバリンを叩く係に徹していたのだが、そういや、この曲は合唱としての教材でもあるんだな。  だから歌う人と演奏をする人で分かれていて、ユニィ君はおそらく、学校では後者の方を担当したのだろう。  メインボーカルのミオ、サビのハモリ担当はレニィ君、そしてパーカッション役がユニィ君。  急ごしらえにもかかわらず、ここまで(とうと)い、完璧なコラボレーションが成立したのは、一人一人の持つポテンシャルの高さがあってこそなんだな。  みんなとの出会いは偶然だったけど、この子たちをカラオケに連れて来て、ほんとによかったと思う。

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