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61.中期滞在(27)
「あれっ? 東条会長、今日はご不在ですか? 追加工事の見積書をお届けする約束だったんですが……」
仮事務所の開設から一週間後。ウチの大阪支店と取引がない下請け業者との契約もまとまり、庭園リフォーム工事に着工できる準備は整った。
ところが、東条会長は突然、夜間照明の全LED化や、洋風の枯山水 を取り入れたいなど、当初の打ち合わせに無い工事をいくつか追加で発注してきたのだ。
要するに、早速「設計変更」が生じたため、俺は急遽、設計士との再打ち合わせを行い、できうる限り予算を抑えた見積書を作って持って来た。来たのだが、それを読む人がいないというのである。
「すみません、柚月 さん! 昨日まではピンピンしてたんですけど、今朝がた、急に体調を崩してしまって。今は検査入院中なんです」
そう答えつつ、申し訳無さそうに頭を下げているのが、東条会長の第二秘書で、とっても美人な京堂 さん。会長が不在の時は、大邸宅の管理を一任されるほど信頼が厚い。
「え!? それは心配ですね。この間、追加工事の発注を電話でお伝えされた時は、とてもお元気そうだったのに」
「いえ、それが、何とお答えしたらいいのか……」
ん? 変だな、一体どうしたんだ?
京堂さんともあろうお人が、こんなに歯切れが良くないのは珍しいぞ。あまり悪い方には考えたくないが、よっぽど重い病気か何かを抱えてなきゃ、即日の検査入院にはならないはずなんだが。
「あのぅ。こんな事を伺うと失礼かも知れないですけど、もしかして会長は、内臓疾患の疑いか何かで?」
「えっ! いえいえ、そんな重い病気じゃないんです。ホントにここだけの話、実は会長、雨天決行の魚釣りに行ったせいで、カゼを引いちゃいまして――」
「ああ、なるほど。って、昨日は相当な大雨でしたよね。その上で、雨天決行の釣りに行かれたんですか!?」
「はい。私は何回も止めたんですけど、『今、串本に行かなんだら、イトヨリの旬を逃してまうやないかい!』と言って、聞き入れてくれなかったんです。柚月さんとの約束もあるから、お体の方が大事だと言ったのに……」
「えっと……それは何というか、バイタリティに溢れてはいらっしゃいますよね。とは言え、その釣行で、ご自身のバイタルを削ってしまったのはシャレにならないですけど」
本当にシャレになってないんだが、活力と生命力を横文字で例え、表現をマイルドに抑えたコメントが奏功したらしく、京堂さんの顔に、ようやく笑みが戻った。
断じて自画自賛ではない、という大前提で解説をするならば、機知に富んだ言い回しを活用して緊張をほぐすのも、俺らのような営業マンに不可欠な話術なのである。
ただ、横文字が苦手なミオにだけは、天然ならではの覚え間違えが炸裂する事によって、毎回俺の方が笑わされてしまうわけだが。
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