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62.お魚さん尽くし(19)
意を決したら、即時行動に移す。弱気になった時点で俺の負けだ。
「なあ、そこの柔道家さん! これ以上、事を荒立てるのはやめといた方がいいぞ」
「あァ!?」
食堂の店主たちと揉み合いを続けていた鷹野が、遠く離れた俺の呼びかけに反応する。
「何じゃいワレェ? 何でオレの事、柔道家やと知ってけつかんねん。このドサンピンがよ、おお?」
分かってはいたけどガラ悪いなぁ、いきなり人を三下 扱いとは。しらふでもこんな感じなのか?
「呼び止める前に確かめたからな。あんた、鷹野嘉吾郎 だろ? 国内の大会じゃあ、上位入賞の常連に名を連ねるくらい強かったそうじゃないか」
「せやから何やねん。こっちは取り込み中やさかい、用があらへんのやったら引っ込んどれ!」
酔っ払い男の素性が明らかとなった瞬間、やにわに周りがザワつきだした。それもそのはず、今でこそ増量しているが、現役時代の鷹野は九十キロ級の選手だったのだから。
しかも今の鷹野は、酒におぼれて人相まで変わってしまっている。これでは見分けがつかないのもやむを得ないだろう。
やむを得ないとはいえ、俺たちは柔道の実力者と揉み合っていたのか? そういう心の声が漏れ出たと同時に、あえて一人で止めに入った、見知らぬ男の無謀さを案じている。だいたいそんな旨のザワつき方だった。
「話を聞いてなかったのか? 警察の厄介になりたくなきゃ、これ以上暴れるのはやめた方がいいって言ってんだよ」
「……やかましいやっちゃのう。ここは大阪やど。何を標準語で、偉そうに説教かましとるんや、ボケェ」
泥酔しているせいか、言ってることがメチャクチャだな。悪事をたしなめるのに、標準語も関西弁も関係ないだろ。
「ええか兄ちゃん、オレはここにメシ食いに来てんねんぞ? こんなショボくれた親父どもに、何で入店を止められなアカンねん」
「へぇ、『メシを食いに』ね。全店舗から出入り禁止の処分を食らったくせに?」
「そんなん処分、知らんな。さっきからグチグチグチグチ言いくさって、何ぞ文句があんねやったら、証拠を出さんかい!」
いいぞ、鷹野がさっきよりイライラし始めた。ここまでは作戦通りだ。
「証拠というか、証言なら取れてるよ。見覚えのある酔っ払いの大男が、食堂の店主をビール瓶で殴ったのも決定的な理由になったってな」
「せーやーかーらーそれが何やっちうとんねん! ポリの回しモンか? おどれはぁー」
裏を取った証言を突きつけられて、それでも尚、開き直ろうとする奴の悪どさを咎める必要はない。狼藉 を止める役割を買って出た以上、今は奴の注意を、俺だけに引きつける事こそが大切なのだから。
「いや? ちょっと小耳に挟んだだけさ。〝精力善用〟の理念も忘れてしまった、とある柔道家が、武器に頼って弱い立場の人へ暴行を働いちまったってね」
「ワレェ……ほうか、おどれも痛い目に遭わな分からんようやのぉ」
それまで据わった目の赤ら顔で、ろれつも回らぬままクダを撒 き続けていた泥酔男の表情が、見違えるほどに引き締まっていった。
どうやら俺は、鷹野が持つ、悪意に満ちた闘争心を呼び起こす事に成功したらしい。作戦を検討する前から分かっていた厳しい賭けだが、もしもの為の正当防衛を立証する場合に必要なプロセスなので、欠かすことのできぬやり取りだったと割り切らなくてはならない。
「エエやん、ちょうどメシ食えんとイライラしとったさかい、おどれにケンカ売ったる。素人相手に投げまくるんは久しぶりやけど、下はコンクリやさかいに覚悟しとけよ?」
よほど組み技に自信があるみたいな口ぶりだが、その得意げな顔も、全てが録音されている事を知ったら、きっと青ざめてしまうんだろうな。
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