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17:想定外の出会い
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春日と太宰府がトイレの個室に入って10分後。
つまりは、宮野と甘木がトイレをノックする10分前。
甘木は余りにも戻りの遅い太宰府に、その不安は頂点に達していた。
それもその筈。今日の今日でミスをしている甘木だ。
会社からの電話だと言ってこれほどまで席を外されては、悪い予感ばかりが頭をよぎる。
そうでなくとも、甘木はここまで色々と面倒をかけて教育係りをしてくれていた太宰府に「無理」だとか「辞めたい」と甘えた弱音を吐きまくった後なのだ。
もう心中穏やかではない。
甘木は意を決して、太宰府の向かったであろう部屋の奥まで向かおうと立ち上がった。
そして、そのまま両脇が個室になっているスペースを抜け、最後に待ち構えていたお手洗いへと向かおうとした時。
「ったく!どんだけ待たせりゃ気が済むんだ!あのクソ部下!上司待たせるとは最後まで迷惑ばっかかけやがって!あぁぁもう!」
パシュン。
そう、乾いた襖の滑る音と共に、甘木の立っていた隣の個室スペースが開けた。
そして、中からは少しだけ目元を赤くした、30代程の男が出て来る。
どうやら、なにかとてもご立腹のようでグチグチと文句を言いながら脇に置いてあったスリッパを取りだしている。
「どんだけメンタル弱ぇんだよ、最近のゆとり!仕事もまともにできねぇからって一から十までコッチを頼りきりにしてんじゃねぇっての!仕事舐めてんのか、アイツ!そろそろ自分のケツくらい自分で拭えっての!馬鹿が!」
グサリ、グサリ、グサリ。
男から聞こえてくる言葉の棘の数々が、容赦なく弱っていた甘木の心を刺す。
しかし、どれを取っても自分に当てはまるものだから、それがまた悲しい。
あぁ、悲しい、悲しい、悲しい、悲しい。
「っ!?うおい!?何泣いてんだよ!?」
甘木はその場で立ち止まったまま、ハラハラと涙を流していた。
そして、突如として泣き始めた甘木を前に、個室から出て来た、宮野はギョッと目を見開いた。
きっとトイレで泣き腫らしているであろう手のかかる部下を迎えに行こうと部屋を出て見れば、今度は見知らぬ若い男が目の前で泣いている。
一体何事かと問いたい。
「おい、どうした。具合でも悪いのか?」
「いっ、いえ……ただ、俺も上司に、そう思われてるのか、なと思ったら……俺」
「…あー、そういうこと」
宮野は目の前でシクシクと涙を流す甘木に「はぁ」と息を吐くと、まるで過去の自分でも見ているような懐かしい目で甘木を見やった。
そして、軽く未来有望な若者の肩をポンポンと軽く叩き、言った。
「100パー思われてる。命懸けてもいい!」
「っひ!やっぱりそうなんだ…!」
そう、余りにもあっけらかんと言われた衝撃的な言葉に甘木は小さな悲鳴を上げて、肩を叩いてくる宮野を見上げた。
そんな甘木に宮野はカラカラと笑いながら、ポンポンと何度も肩を叩いてやる。
そして、次の瞬間にはフッと表情を緩めると、彼特有の若さ溢れる笑みを浮かべて口を開いた。
「どこの上司もそう思ってる。お前だけじゃない。世の中の部下は世の中の上司に、みんなそう思われてるんだよ。だから気にするな。これは自然の摂理みたいなもんで、覆しようがない」
「……でも、俺、他の同期の誰よりもミスするし、いつも迷惑かけでばかりで、いつも上司を怒らせてばかりで、だから、もう仕事辞めようかなって……。俺が居ても迷惑かけるだけだし、本当はもっと仕事できるようになって、恩返しとかしたいんですけど……もう俺、無理だし」
「お前なぁ、さっきの俺の言葉聞いてなかったのか?どこの上司も迷惑かけられてクソがっ!って思ってんだよ。それにな、上司は怒鳴るもんなんだ。そんな事でいちいち気ぃ使って辞めてたら、お前ニートにしかなれねぇぞ」
「でも!俺、ほんとに誰よりも駄目で、出来なくて……!」
「だったら」
宮野は甘木の、半ば叫び声になりつつある声を遮り肩を叩いていた手を、甘木の頭上に持って行った。
そして、またしてもニヤリと笑うと、その手を勢いよく甘木の頭に振りおろした。
「っ!???」
乾いた音と、ピリッとした痛みが甘木の頭頂部を襲う。
何故か甘木は、この見知らぬ男に平手で頭を叩かれていた。
目を白黒させる甘木の目からはいつの間にか涙は止まっており、楽しそうに笑う宮野の姿がしっかりと目に映っていた。
「だったら、お前は誰よりもその上司から、成長を期待されてるってこった」
「っ!」
「つーかな、恩返しなんて上司にしようと思うな。上が下の面倒をみるのは当たり前の事だ。お前が世話してもらった分はな、上司に返すんじゃない。今度はお前が部下の面倒をみる事で返すんだよ。そこんとこ間違うな。お前はまだ、上司に迷惑をかけろ!そして、いつかお前の部下に存分に迷惑をかけられろ!」
「なる、ほど。そんな風に、考えた事は……ありませんでした」
そう、目から鱗とばかりにその目を大きく見開く甘木に宮野は、振り下ろした手をそのままグシャグシャと甘木の頭を撫でまわしてやった。
「だいたい!上司の面倒を見てやろうなんて、100年早いんだよ!部下の分際で!」
甘木のように不器用で実直な部下を見ていると、本当に自分の世話のやける部下を思い出す。
「(どこの部下も同じってこったな)」
そこで、宮野はトイレで泣いているであろう自分の部下の事を思い出し、先程出したスリッパを履いた。早く迎えに行ってやらねば、このどこかの部下がトイレに入った時に驚かせてしまうかもしれない。
宮野は最後に甘木の頭をポンポンと撫でてやると「お前、便所か?」と甘木に尋ねてみた。
すると、甘木は一瞬ポカンと宮野を見上げていたが、次の瞬間みるみるうちにその顔を赤く染め上げた。
心臓がうるさくて仕方が無い。
一体どうしたと言うのだろうか。
今更、こうして知らぬ誰かに自分の感情を吐露した事は恥じているのだろうか。
「(どうしたんだよ、俺は……!)」
甘木は自分の顔の熱を振り払うように、ブンブンと大きく顔を縦に振った。
ただ、宮野に触られていた頭頂部をやたらと熱く感じるのは気のせいだろうか。
そんな甘木の様子など露知らず、宮野は「うーん」と唸ると、トイレで一人泣き腫らす部下を思った。こうして第三者が一緒では帰って来ずらいだろうか。なんて、柄にもなく小さな気遣いを部下へとしてやっていた。
しかし、それは甘木が放った一言で無意味だと悟った。
「えっと、俺の上司がお手洗いに行ったまま戻って来ないので……様子を見に」
「あちゃー。時既に遅しか」
「へ?」
「いや、こっちの話」
と、なれば、きっと部下、春日はこの上司という奴と鉢合わせしているか、最悪介抱されている可能性もある。
それならば。
「っへ!?」
「よし、どっかの部下。俺と連れションしようぜ」
「!???」
そう、いきなり馴れなれしく肩を組んで来た宮野に、甘木は引きかけていた熱が再来するのを感じた。いや、再来どころの騒ぎではない、爆発レベルだ。
しかし、やはりそんな甘木の様子など気にした様子もなく宮野は小さく一人ごちるように言った。
「上司も好きで怒鳴ってんじゃないからな」
その言葉に、顔を真っ赤にしてアタフタしていた甘木はハッとして右上にある宮野の顔を見上げた。そこには、どこか遠くを見ながら、少しだけ赤く腫れた目をこさえる宮野の姿。
甘木は心臓を鳴り響かせながら、聞き逃さぬよう宮野の次の言葉を待った。
「怒るのってホント、めちゃくちゃ体力使うんだわ。ほんとなら、俺らみたいな年食ったヤツじゃなくて、体力の有り余ってるお前らみたいなのに……俺達を怒って欲しいもんだぜ」
「……すみません」
「お前らから見ればなんでも知ってるし、何でも出来るように見える上司や先輩だってな、ふっつーの人間だ。上司だってたまには誰かの指示に従って、誰かに助言してもらって、誰かに導いて欲しいと思う。そんな年食った面倒な普通のオジさん達だよ」
「……はい」
静かに頷く甘木の横顔を見ながら、宮野は甘木と連れだって奥のお手洗いに向かうと静かにその扉を開けた。
そしてその瞬間、聞きなれた声が宮野の耳に飛び込んでくる。
「辞めて欲しくない!まだ、いろいろ教えて欲しい!」
奥の扉の締まった個室から聞こえてくるその言葉に、宮野はヘタリと眉を落としゴクリと唾を呑み下した。
「甘えんじゃねぇよ……バーカ」
そう静かに呟いた宮野の顔を見たのは隣に立っていた甘木だけだった。
そして、同時に響いて来た叫び声を追うように聞こえて来た小さな、頼りない声に甘木も息を呑んだ。
「俺も、怖いです」
それは、いつも凛としていて、自信に満ちていて、不安なんてまるでないような鉄仮面を被る上司の、声で。
初めて聞いた上司の頼りない声に目を見開く甘木の表情を見たのは、同じく隣に立っていた宮野だけだった。
こうして、二人は何故か1つの個室に閉じこもる互いの上司と部下を迎えに行くべく奥の個室の扉を叩いたのであった。
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