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第16章 三年次・6月(1)
薄く目を開けると、茂の頬の輪郭が至近距離に見える。高志の唇を覆う柔らかい感触は常にゆっくりと動いて、時折音を立てる。高志はいつも、その音にぴくりと反応してしまう。自分がじっと受けるだけだから、する側はつまらないだろうと思うのだが、だからと言って積極的に何かできる訳もなく、高志はただ茂のするに任せていた。
「……」
最後に少し強めに吸い付いてから、茂の唇が音を立てて離れた。反射的に眉をしかめる。茂は多分、分かってやっているのだろう。
梅雨の真っ只中の6月下旬、今日も外では静かに雨が降っている。
高志は先週末に無事運転免許を取得した。そのことを茂に報告すると、お祝いを兼ねてまた茂の部屋で飲もうという話になった。
三回生になってから高志は、ぷよぷよ会も含めれば月に二・三回は茂の部屋に来ている。そうして二人で部屋にいる時、茂は思い出したように高志にキスをした。今日も、夕食の後にビールを飲みながら二人で話していると、いつものように茂は予告もなくキスしてきた。
「……お前、何で俺にキスすんの」
高志から離れ、何事もなかったかのように再びビールを飲み出した茂に、高志は努めて淡々とした口調で聞いた。
「あ、ついに来た」
「え?」
「いや、藤代は何も聞かないなって思ってたからさ」
茂は面白そうに笑って答える。
「聞くのも勇気いるわこんなの」
茂との今までの付き合いの中で、高志は、茂は性的な許容範囲が人より広いのだろうと何となく思い始めていた。更に言えば、肉体的行為に気持ちを必要としていないようにも思える。それは常に他人と心の中で距離を取っていることと無関係ではないのかもしれない。
そう考えていたため、高志は今までこの質問をしなかった。そして何故今日は聞いたかといえば、単に居たたまれなさをごまかすためだった。
「嫌だった?」
「そりゃ」
嫌だろ、と反射的に言い掛けて、高志は途中でやめた。嫌だと言うにはもう回数を重ねすぎていた。嫌かどうかと言えば、本当に嫌だったら何としてでも避けているだろうから、そうしていないということはそこまで嫌ではないということになる。しかし嫌ではないと認めることに物凄い心理的抵抗がある。結局、高志は答える内容を少しずらした。
「……嫌かどうかっていうより、変だろ、普通に考えて」
「まあ、そうかも」
茂はあっさり認める。
「でも、最終的には藤代が嫌かどうかの方が重要だから」
茂はそう言って、高志が避けたところに話を戻す。
「それに俺、今、他にキスできる人いないし」
「最近は誰かに告白されてないのか?」
「しょっちゅうあるみたいに言うなって」
「サークルのやつらとはしないのか」
「うえ。やめろっつの」
する訳ないだろ、と茂は顔をしかめる。だったら何で俺とはするんだ、という質問は、何となく危う過ぎて口からは出なかった。
「……もし嫌だったらちゃんと言えよ」
茂は静かにそう言う。そこにはからかい以上のニュアンスが含まれていた。
「だから、嫌っていうか……」
逃げられないのを悟って、高志は観念した。茂が真顔で高志の方を見る。
「嫌っていうより……恥ずい」
高志が片手で顔を覆いながらそう言うと、茂が笑った気配がした。安堵の笑みにも思えた。
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