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第16章 三年次・6月(2)
「舌は入れてないだろ」
「そういう問題じゃない」
あと音たてんな、と言うと、
「じゃあ、舌入れなくて音もたてなかったらしていいってこと?」
と茂が悪乗りして聞いてくる。その質問は高志の許容範囲を既に超えていて、高志は答えることができない。していい、なんて言える訳がない。
「……」
顔を隠したまま俯き、いつまでたっても答えない高志を見て、茂はそれ以上聞こうとはしなかった。そのまま沈黙が続く。
「……藤代に彼女ができたらやめるよ」
ぽつりと茂が言ったのを聞いて、高志はようやく少しだけ顔を上げた。
「いつのことだよそれ」
「何でだよ。俺より藤代の方がいけるだろ」
「合コンで完敗だったのに?」
そう言って、二人で少し笑い合う。
その笑いが消えていった頃に、高志は無意識に一つ溜息をついた。今まで誰にも話したことのないことが自然と口をついて出ていた。
「……ばかみたいだけど。俺、前の彼女と結婚するって本気で思ってた」
俯き加減で話す高志を、茂はじっと見つめる。
「そのために就活も頑張らないとって大学入った時から思ってたし。就職して何年かしてプロポーズして結婚してって、そういう人生がこのまま順調に進むって思い込んでた。今考えたら人生経験も足りないし、視野も狭すぎたけど」
「うん」
「だから正直言って、また誰かと恋愛できる気が今はしないっていうか」
「……うん」
「というか、誰かを好きになれる気がしない」
そっか、と相槌をうちながら、茂は一口ビールを飲む。
「まあ、藤代の場合は最初から本当に好きな子と付き合えて、しかもそれが三年も続いたから、次のハードルは上がってしまうかもね」
「かもな」
「でもお前は大丈夫だよ」
何の根拠もないのにそう言う茂を、高志はかすかに苦笑して見返す。
「それに、多分それは彼女の方も同じだろうし」
「え?」
「元カノも、初っ端からお前みたいのと付き合っちゃったら、これからやりにくいだろうなって」
「……」
「もしこの先他の誰かと付き合っても、絶対にそのうちお前の良さを再認識する時が来るよ。彼氏のちょっとした対応とかに、お前ならこうしてくれた、って思い出しちゃってさ。これは藤代に気を遣ってるんじゃなくて、想像したらそうかなって本当に思ってる」
「……」
高志はその言葉を聞いて、久し振りに遥香との別れを思い出した。でもあの時自分の腕の中から出ていったのは遥香の方だ、と思った。遥香が自ら他の男を選んで高志から離れていった。思い出して、未だに少し胸が痛むことを、高志は他人事のように観察していた。それでも、遥香の恋愛がこの先上手くいかなければいいとも思わなかった。もちろん、他の誰かと幸せになってほしいとも思わない。ただ自分とは関わりのない場所で普通に生活していてくれればよかった。
「……どうだろうな。向こうはもう好きなやつがいるみたいだったから」
今頃は付き合っているのかもしれない。その男とまたあのマンションで一緒に過ごしているのかもしれない。あの狭い部屋のベッドの上で。
遥香の部屋で過ごした時間にいつも感じていた穏やかな幸せを思い出しかけて、高志は眉根を寄せてそれ以上考えるのをやめた。
「お前の持ってる優しさを当たり前のものだと思ってなかったらいいけどな」
思ってたらきついだろうな。茂は淡々とそう言った。
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