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(外伝24):金持ち父さん、貧乏父さん(24)

『ニアのダンスは、俺の次に素晴らしいな!』 『……お父さんのそういうところ、少し好きで、少し嫌いだわ』 『なんだ?ニア』  いや、さすがにいくら何でも俺より上手くはない!これも本当!  俺は耳元で、ぶすくれた声を上げるニアを抱きかかえたまま、俺達の方を笑って見ている夕まぐれの方へと歩み寄った。 『夕まぐれ、お前も上手になったな!お前はあまり良い奴ではないが、サヨナラだから、お前にも春をやろう!』 『春、ね』  俺はポケットの中に一輪だけ用意していた黄色の花を取り出すと、夕まぐれの方へと突き出した。黄色の花は、一番たくさんヨルにあげたが、一本分くらいなら、コイツにもあげていいかなと思ったのだ。 『こんな春は、初めてもらったよ』  俺から春を受け取った夕まぐれは、なんとも言えない顔で黄色の花を見つめていた。その隣では、ともかく終始ぽかんとしていたビロウの姿がある。俺は、急いでもう片方のポケットから、白い花を一輪取り出すと、ニアに渡した。 『ニア、これをビロウに』 『……なんで?』 『なんでも!』  何が何だか分からなかっただろう。  あぁ、なんて可哀想なニアに恋する哀れなビロウ!最後くらい、ちょっとでも良い想いをさせてやらねば、この男の子の恋心があんまり可哀想だ!  俺は名残惜しい気持ちを抑えながら、抱っこしていたニアを地面へと下ろした。すると、地面に足をついたと同時に、ニアはクルリとビロウへと体を向ける。 『ぅあっ!に、にあ』  その瞬間、ビロウの心臓の音が、俺にも聞こえたのかと思う程、ビロウの体が震えた。  そんなビロウに、ニアはスンとした表情のまま、一輪の白い花を差し出しながら、小さく一言だけ呟いた。 『ごめんね』 『え!?まだ告白もしてないのに!?うそ!』  そうだぞ!ニア!まだ告白もされていないのに、事前に男を振るとは、一体どんな悪い女なんだ!さすがに、告白くらいはさせてやれよ!  そう、俺が思っているとニアが眉を顰め、訳が分からないといった表情を浮かべた。 『何を言っているの?……足をふんで、ごめんねって言ったのよ。私は』 『あ』  そうか、ニアは恋する男の気持ちを早々になぎ倒したのではなく、あの日のダンスについて謝っているのだ。  たくさん、足を踏んでごめんね、と。 『……ニア、あの、その』 『なあに』  ビロウがニアから貰った白い花を見つめ、耳を真っ赤にして、次の瞬間、ニアに向かって大いに叫んでいた。 『俺、また来ます!大きくなってまた来ますから!その時は、また俺と踊ってくれませんか!』 『…………』  息子の突然の未来への約束の告白に、夕まぐれが面白い位に目を瞬かせている。どうやら、息子のこんな姿を見るのは初めてのようだ。  もしかして、男の成長というのは遅ればせながら”恋”が運んで来るモノなのかもしれない。  俺は、顔を真っ赤にするビロウを前に、はたとそんな事を思った。 『そう、私とダンスを……』  そんな必死なビロウの姿に、ニアは口元だけの形の良い笑みを浮かべると、どう考えても、もう赤ちゃんではな言わない台詞を言い放った。 『その時の、あなたしだいね』 『っ!』  あぁっ!ニアはもう完全に男を手玉に取る方法を会得してしまった!なんて悪い女の笑みなんだ!  これはもう完全に赤ちゃんのニアとはサヨナラだ!そして、サヨナラがある時、必ずそこには次の”はじめまして”が存在する。 ---------はじめまして、大人のニア。  俺は足元で繰り広げられる、小さな大人達の悲喜こもごもを、なんとも言えない気分で見つめていた。そのせいで、俺は気付かなかった。  いつの間にか、ヨルと夕まぐれが二人して向かい合っている事に。 『よお、見送りはないと思っていたが、来てくれて嬉しいよ』 『エア、お前は……いつも、俺を』  兄弟二人が、何か俺には分からない話をしている。きっと、ヨルも夕まぐれにサヨナラを言いたくなったのかもしれない。どんなに嫌な奴でも、兄は兄だ。家族なのだ。 『一つ、お前に謝りたい事があった。最後にそれを伝えられそうで、良かった』 『……なんだ』  夕まぐれが俺の渡した黄色い一輪の花を手で遊ばせながら、フッと小さく笑った。その顔は、まるでヨルだ。ヨルを恐れなくなった夕まぐれは、もう、殆ど夜になった。  素敵な顔になったじゃないか。 『…………』  けれど、そんな夕まぐれをヨルは心底不愉快そうに見つめている。似合わない程に拳を握りしめて。 『昔、お前のカナリヤをインクで黒く染めた事があったな』 『……そのせいで、あのカナリヤは死んだ』  そうだったのか。かなりやは死んだのか。  俺はその瞬間、拳を握り締めるヨルの後ろに、またしても、小さなヨルを見た。かなりやの亡骸を手に、おいおいと泣く、小さなヨル。  それはピーちゃんが死んでしまって泣きわめく、俺の姿と重なった。 『悪かった』 『っ!』 『俺は、少し……あのカナリヤが羨ましかったんだ。それを心底大事にするお前に、腹が立ったんだ』  黄色い花は夕まぐれの手の中で風に揺れた。  あぁ、もう本当の春だ。暖かい。気持ちいい。  俺が頬を撫でる風を感じながら、目を閉じ、夕まぐれの謝罪を歌のように聞いていると、その曲は驚くほど容赦なくぶった切られた。  もちろん、ヨルによって。 『絶対、許さん』 『……お前』 『死んでも許さん』  あぁっ!まったくヨル!お前ってやつは!そんなに、そのかなりやが大好きだったんだな!大人になっても忘れられないくらいに!  もしかすると、ヨルの恋の相手は、そのかなりやだったのかもしれない。  そう思うと、俺は漏れ出る笑いを隠す為に、夕まぐれ達に背を向けた。  夕まぐれへのサヨナラは、歌に込めた。  だから、もう良いのだ。

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