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エピローグ6:幸福の果て

「ウィズ。俺、旅をしようと思ってるんだけど」 「は?」  俺は誰も居なくなった酒場の店内で、ウィズに正面から抱きかかえられ、何度も何度も口付けをしていた。  口付けのし過ぎて、少し唇が痛い。  けれど、これは俺とウィズの週末の決まり事だ。  週末、店を閉めたら俺は必ずウィズの酒場に泊まるようにと言われている。これは俺が仕事復帰をしてから、ウィズにきつく言い渡されている”ウィズとの25の約束”のうちの一つだ。  ウィズと俺の25の約束。  最初は3つだった決まり事が、徐々にウィズの機嫌を損ね、それを挽回するうちに今や25にも膨れ上がった。  きっとこの約束は、今後もどんどん増えていく事だろう。  以前、この事をバイに何気なく言ったところ「約束が嫌になったり、監禁されそうになったら騎士団に走って逃げてくるように」と言われた。どうして、この約束が騎士団へと逃げる事への提案に繋がるのか、俺にはちっとも分からなかったが、バイには「わかった」と頷いておいた。 「旅、とは。アウト一体どういう事だ。一つ一つ順序だてて説明しろ」 「えっと、旅。ここではないどこかへ、行く。知らないものを見る。楽しいこと」 「いや。俺は“旅”の意味を知りたいんじゃない。お前がどこへ何の為に、どのくらいの規模で行こうとしているのかを尋ねているんだ」  ウィズは一気にまくしたてるように言うと、一旦開いた時間の隙間を埋めるように口付けをしてくる。あぁ、これは俺のマナの中に居るオブとちっとも変わらないじゃないか。  いや、一応店を閉めた後だから、オブよりはマシか。 「んっ」  口付けを甘んじて受けながら、俺はウィズとの決まり事を思い出す。  そうだ、この何かあったら一つ一つ順序立てて説明する事、というのもウィズとの約束だった。  いけない、ちゃんとしないと約束破りになる所だった。俺は“約束破り”にだけはなりたくない。破った相手が傷つくから。  俺の唇を一舐めしながら離れて行ったウィズに、俺は先程尋ねられた旅の概要について、指折り数えてウィズに説明した。 「行先は南部。目的は海を見て、ちゃんと俺の器に本物の海を作りたいから。インが海を見たいっていうし、オブと遊ぶ場所を増やしてやりたいんだ。今年の夏季休暇を使って1週間くらいかな」 「……アウト。それは旅ではなく旅行と表現した方が良い。あらぬ勘違いを生む」 「へ?」  俺を膝の上に乗せたウィズが、少しだけホッとしたように肩をゆらした。  あれ?旅と旅行は違うのか? 「旅と旅行は基本的に意味は同じだ。ただ相手に与える印象として、旅はしばらく帰ってこない印象を与える。だから、俺は肝が冷えたんだ」 「そうなのかぁ」  愛してるという始点から歩き出した俺達は、まだ余り時間が経っていないにも関わらず、たくさんの勘違いや、すれ違いを起こして、すったもんだをした。 「難しいな、言葉って」  そんな俺の中身のない、ぼんやりとした感想にウィズは、今度は俺の首筋に口付けを落とすと、静かに吸い付いた。ピリとした感触が首筋に走る。 きっと、ウィズは俺に跡を付けたくて必死なのだろうが、如何せんおれの超回復のせいで、跡を付けてもすぐに消えて無くなる。 「っくそ」  今回ももちろんそうだったのだろう。ウィズは俺の首筋に舌を這わせ、チッと舌打ちをした。ウィズは跡を付けるのが、本当に好きだったらしいので、とても申し訳ない気分だ。   「まぁ……俺にとってはアウト、お前が一番難解だ」 「俺にはウィズが難解だよ!」  だから二人の約束は、今や25にも増えたし、こうして、ゆっくり口付けと共に、様々な事を報告する時間を作っているのだ。  とにもかくにも、すれ違わないようにするためには、言葉を賭すしか方法はない。  今のところ、この作戦は上手くいっていると思う。  と、思っているのだが。 「じゃあ、ウィズ。南部はいつから行く?どこに泊まる?どこに行きたい?何かおすすめの観光地はある?」 「え?」  俺がウィズとの南部旅行に想いを馳せ、ウィズを挟んで足を伸ばした。いつも思うのだが、この体勢はウィズには重くないのだろうか。 「その旅、とは俺も一緒に行っていいモノ、なのか?」 「え?当たり前だろ!俺、一人旅なんて、怖くてムリだ!寂しいし!」  まぁ、重くてもウィズが決めた25の約束の一つだから、文句を言われる筋合いはない。  ウィズと会話をする時は、必ずこうして向かい合ってウィズの上に乗るようにと、ウィズが決めたのだから! 「南部はさ!蜜月周遊で一番人気なんだって、バイが言ってた!ウィズは一回仕事で行ったからつまんないかもしれないけど、あんまり嫌だったら言ってな!別の海の見えるところを探すから!」  あぁ楽しみだ!ウィズと行く“蜜月周遊”なんて、本当に楽しみでしかない!   「蜜月周遊……それは、俺と、アウトの、か?」 「当たり前だ!蜜月周遊は愛する二人がする旅なんだからさ!ここでバイとトウの蜜月周遊の話はしないだろ?」 「…………はぁっ」  ウィズは俺の首と肩の間に頭を乗せると、何故か疲れたように溜息を吐いた。あれ?また俺は何か“間違った”だろうか。 「ウィズ、俺は何か間違った事をしたか?約束破りをした?」 「……いや。お前が一番正解だ。俺が、間違っていた」  どうやら、今回はウィズが大間違いだったらしい。まったく、こうして言葉を賭しても、頭の良いウィズですら“大間違い”をするのだから、二人って本当に難しいと思う。  一人なんかより、沢山温かくて、けれど、一人よりとても難しい。 「そうだな。お前が一人で旅行をする筈などなく、もちろんお前が旅行をするなら俺と共に。そして、愛する二人が行く旅行は、すなわち“蜜月周遊”という訳だ」 「ウィズ。さすがにそこまで当たり前の事は口にしなくてもいいんじゃないか?」 「っふ、当たり前か。そう、そうに違いない」  ウィズは本当に何故そんな当たり前の事を確認するような事をするのだろう。まったく、ウィズは俺をバカにし過ぎだ。きっと言わなければ俺が、ウィズを”愛している”事すら忘れるとでも思っているのだろう。 「アウト、お前は……全く難解で、けれど。本当にどこまでも正解だよ。愚かな俺が勘違いしてお前に酷い事をしないように、俺はこれからも“当たり前”の事も口にする事にする」 「あははっ!ウィズはおかしいな!ウィズが俺にする事で、ひどい事なんてないよ!全部嬉しいからなー」  俺は余りにもおかしなことを言うウィズに腹を抱えて笑っていると、それまで俺の首と肩に頭を乗せていたウィズが、俺を抱えて突然立ち上がった。  あぁ、これはいつもの奴だ。ウィズはいつも“急”で、俺は本当についていくのが難しい。 「ウィズ、シャワーを浴びよう」 「そんなモノはいらん」 「……はぁ」  ウィズは無言で俺を小脇に抱えて歩き出す。向かう先が寝室である事は、もう分かっている。分かっているけれど、先程のウィズのように俺はわざわざ当たり前の事でも、口にする事にした。 「ウィズと俺はあいしあっているから、今から情交をする?」 「そうだ。その通りだ」  大正解だ。  俺はウィズの「その通りだ」の言葉に、湧き上がってくる笑みを止められなかった。きっと、このまま明日の朝まで俺達はとても長い夜を過ごす事になる。  きっと、途中気を失ったりして器の方に行くかもしれないので、その時はインに本物の海を見せられる事を報告しよう。 「ウィズ。今、幸福か?」 「あぁ、当たり前過ぎて言っていなかったな」  俺の問いにウィズは、到着した寝室のベッドへと俺を静かに下ろすと、まるで夜の月を背負うような静かな声で言った。 「幸福で、死にそうだ」  その言葉に、俺も共に幸福の海へとどっぷりつかった。

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