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第四話 夢をみさせて
悪夢を見た。ずいぶんと久しぶりで、できれば見たくなかった昔の、記憶。瞳のレンズに強制的に写しだされるのは、思い出したくない映像場面だ。
「俺さ…、男の人が、好きなんだ」
いわゆる同性愛者なんだと語る自分の顔は苦笑いを浮かべていた。しっかり笑っていたつもりだっただけで、顔は引きつっていたのだと今になって思う。それでも、目と目を合わせ、両親の顔をはっきりと見た。真剣な話だったから。そして、なにより知って欲しかった。俺という人間がどういうのかを。たとえ、これで亀裂が入るのならば、まだやり直せる。完全に折れる前ならなんとかなると思ったからだ。
両親の育て方が悪かったとは言わない。確かに荒れた時期はあったけれども、けしてそういうのではないのだから。
これは俺自身の存在証明だ。嘘をついて生きていけるほど器用な人間ではなかった。ゆえに告げないといけないと思った。理由がどうあれ、将来的迷惑をかけると思ったからだ。
この告白をする直前、俺はCD発売と共にデビューすることが決まった。実は高校生の頃から地道に路上ライブをしていた。音楽は昔から好きだった。特に歌は、俺の唯一といっていいほどの救いだった。歌だけは、なにも考えず、自由に羽ばたけた。これは悲痛な叫びでもあった。なにかを伝えたいとか見てほしいとはまた違う。心が、俺が叫ばずにはいられなかったからだ。そして、それが誰かの目に留まったというだけの話だ。スカウトされて、両親には内緒で少しずつライブをしていた。すこし大きめなライブが決まった時は流石に今の状況と自分がしていることを伝えた。あまりいい顔はされなかったが、それでも少しだけ褒めてくれた。それが認められたようで嬉しかった。俺は吹っ切れたようにだんだん歌うことが楽しくなり、遂にこの日が来た。少しだけ報われたような気がした。これで本格的にアーティスト活動ができる。それは同時にテレビに出るという出演もあり、全国や世界に俺が映ることになる。必然的に家族にはなにかしらの重しがつけられる。だから、はっきりしておかなくてはいけないと責任を感じた。
初めての告白になにも言わなくなった家族。俺は、上手く唾を飲み込めなかった。シーンと物音すらしなくなった空間はそれだけで一気に俺の背中に大きな岩を乗せた気分にさせた。今はきっとなにも言わないだけだ。驚いて声も出ないのだろうとどこか安心しきっていた自分がいた。しかし、数分経ってもなにも言わない両親。弟は笑いながら茶化してきたが、素直に告げると黙ってしまった。多分この雰囲気から和まそうとしたのだろうが、余計に悪くさせてしまった。ずしりずしりと背中が痛くなってきた。
戸惑うのも無理ない…か。ずっと隠してきた。でも、きっとなにか、言葉をかけてくれる。
背中にどっとつたう冷や汗と、生暖かくて気持ち悪い温度の拳をぐっと握りしめた。そんなに悪い人たちではない。だって俺の両親なのだから。世間の、腫れ物扱いする嫌で汚 らしい大人たちではない。今にも不安で飛び出しそうな脚をぐっと釘 を刺すように手で押さえる。両親ならわかってくれる。深い深呼吸の後に、父、母、弟とそれぞれしっかりと見つめた。目を逸らしてはいけない。ここで逃げたら、一生逃げるような気がしたからだ。
しかし、なにを、期待していたのだろう。両親から放たれた言葉は残酷だった。
「この家から出て行ってくれ」
勘当 だと、そう言われた。
包丁で首を掻 っ切られたような衝撃に襲われた。父はそんな風に育てた覚えはないと怒鳴 る。母は今までのを堪えるように泣き崩れ、一番理解してほしかった弟にはあれからなにも言われず黙ったままだった。ただ、見つめた目をそっと逸らされた。
目の前で人が車に轢 かれて死んでしまったみたいに突然だった。避けられるはずもなく、俺はその言葉に殺されてしまった。痛いよりも先に悲しみの渦 が身体中から大波のように目に押し寄せてくる。頭も真っ白になり、ぐるぐると目が回る。俺は初めて、両親の前で泣いてしまった。
いてもたってもいられない俺はふらつく足取りで逃げるようにその場を離れた。なにも言わず、部屋からそれが当たり前のように出て行った。
手から脚の爪先までギチギチと身が引きちぎられそうな痛みと喪失感に涙が止まらない。なによりその場からいなくなりたかった。
誰にも、両親さえ理解されないのであれば、一人の方がよっぽどいい。愛されていないわけではないと理解できても、わからなかった。
わからない。
なんで、どうして。許せない、なんでだよ、と怒りたかった。理由も聞かず、疑問にも思わず、ただ言葉を何度も何度も刺していく。リピートされたように、何度も、何度も。まるで壊れたラジオのように繰り返し繰り返し、俺は殺された。
それでも抱きしめてほしかった。
ドタドタと廊下を走る音がした。玄関のドアノブに手をかける寸前に弟が走ってきた。しかし、顔を見ても目は合わせず、口を鯉のようにパクパクさせている。軽くパニックになっていた。
なにかを必死に言おうとしているのはわかる。頭では言葉が出てきても、声にまでにならないその状態がなによりの証拠だ。晴は何かに怯えるような歪んだ顔で泣いていた。蓮はぎゅうっと肺ごとしぼられるみたいに心が折れそうになった。
失敗した。
自分で壊した手の感覚が消えない。そんな顔させたわけじゃなかった。
蓮は震える手で、必至に口を押さえた。
仲は良かったと思う。喧嘩も弟にはしなかったし、なにより俺は晴を大切にしていたから。だからこそ、弟の、晴だけは優しい言葉をかけてくれると思った。
しかし、その結果がこれだ。自分の自惚 れに反吐 がでる。蓮の目からは、ぽろぽろと淀んだ真珠が落ちていく。下唇をぐっと噛み、しぼり取るような、掠 れた声だけが吐き出された。
「──じゃあな。ごめん…っ」
どうか、幸せで。
爪が食い込む手の痛みすらなかったかのように玄関を飛び出した。
蓮は走りながら泣いた。
言えなかった。たったの、あの一言が。
あぁ、なんて愚かなことをしたのだろうか。ここがそんなに甘い世界じゃないことぐらい知っていただろ。
蓮は土砂降りの中、それでも派手で煌びやかな夜の街を慟哭 しながら駆け抜けていった。
しかしここから渦に巻き込まれたように情景が一気に変わる。眩暈を起こしそうになり蓮は目を閉じ、再び開けると爽やかな天気が映った。涙ひとつ流さない空。爽快に笑う太陽。穏やかに歌う風。
二人の子供が、小指を交わしていた。
公園の広場で走り回る子供たちがいる中、その二人は道草にいた。背の小さい男の子は泣いていた。もう片方はその子の頭を撫でながら微笑んでいた。
「お兄ちゃん、ずっと隣にいてね」
約束だよ。
その小さな男の子が、なにかを言っている。けれどその先が聞こえない。ノイズが走って映像が途切れ途切れになる。
あれは、俺と晴だ。
けど、なんだったか思い出せない。
その刹那 、ぶわりとこちらに向かって風が吹いた。
たんぽぽの綿毛がシャボン玉のように飛んでいったのを俺はただ眺めていた。
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