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第十三話 救い 上

   ホテルで泊まるようになって二日が経った。なんの対策もできてない自分に晴から連絡が来ていた。 『猫が寂しそうなんだけど』  というメッセージとハルちゃんとのツーショットが送られてきた。  蓮は肩の荷が下りたようで吐息を漏らす。呑気(のんき)そうな連絡に昨日はあいつも家には行っていないということがわかった。それに晴が逆に出て行くんじゃないかと内心ハラハラしていた。  この状況下で実家に帰った方が今は安全だ。身の危険がないとは言い切れない。少なくとも可能性は低くなるだろう。それでも真っ先に蓮は思っていた。帰ってほしくない、と——。  唖然(あぜん)としてしまうほどに、晴のことを離れていても嫌われていても好きでいる自分。隠せているつもりでも、目敏い人にはあからさまなんだろう。本人にすらバレているのだから。 「かわいいな、ダブルはる」  蓮は送られてきた写真を指先で撫でながら目を細めた。  あんなに警戒していたハルちゃん。世話をしてくれているからなのか段々と打ち解けたようで、晴にも懐くようになった。イクミ以外で初めて、ハルちゃんが懐いた。ある程度仲良くなっても自ら近寄ったりして懐くのは晴が初めてだ。自分と顔は似てなくともやっぱり兄弟なんだと血の繋がりに嬉しく思う。それと同時に罪悪感が背中にのしかかる。  兄弟なのに。お兄ちゃんなのに。やっぱりやめないといけない。こんな想いは持ってはいけないことなのに。そう思うにつれ好きな気持ちも膨れ上がる。まるで禁断症状のように、ぞくぞくともっと好きになっていく自分がいた。自制すらできない情はどんなに(ふた)をしたところで取れてしまう。それならいっそのこと我慢することなく、好きでいればいい。  ずっと死ぬまで。 「晴…、はる…愛してる」  たとえ、どんなに嫌われても。    ホテルに泊まり始めて、初めての週末のライブを迎えた。この一週間晴から猫の写真ばかり送られてきて、正直帰ってしまいたい欲求に駆られた。なんとか意地と根性で平然さを偽って連絡を取り合っている。しかし、結局どう紙谷と話すかもまとまらず、新曲のためと嘘までついたのにそれすらできないことが晴にわかってしまう。  心配かけまいとアレンジした昔の曲を披露する。結果は大盛り上がりだった。晴は異様な盛り上がりに戸惑いつつ、楽しそうに笑っていた気がした。  蓮は今まで昔の曲は歌わないようにしてきた。あの頃の記憶を忘れたいのと足取りをつかせない為でもあった。過去と今、踏ん切りをつけるため、歌わないようにしてきた。  自分の作った曲が嫌いなわけではない。けれども、どうしてもまた居場所を奪われるのが怖かったんだと今では思う。歌って、広まれば注目が集まる。それぐらいの自信はある。  だからまた光を浴びたいかと()かれれば浴びたくはないと答える。ずっと俺は晴を忘れたくがないがゆえに自分をそれで守っていた。歌うことしかできない。それでしか伝えられないとそう思い込んでいた。  けれど今は晴が近くに、そばにいる。もう歌って届ける必要はない。直接言葉で伝えればいい。  蓮はそう決意してステージに上がっていた。最後にピアノだった曲をギターに変更してアカペラで歌う。  もう逃げる自分はここにはいない。  蓮の歌声は月のように甘く、静かで、綺麗だった。    ライブを終えた蓮は荷物を持つと裏口へと向かった。案の定待っていた紙谷に蓮は背筋を伸ばして、はっきりと声を上げた。 「何度も言うつもりはない。あんたの話は断る。それが嫌で犯罪紛いのことをするなら、あんたの好きにすればいい」  妙に頭の中はスッと霧が晴れたような開放感だった。思いっきり歌ってすっきりしたのか、()えていた。 「そう結論を焦らなくともじっくり考えてください。時間はたっぷりと」 「ない。結論は最初から出ているだろ。脅しはもう屈しない。話は以上だ」  蓮はもう会話しないと決めていた。そもそも話すから余計に(こじ)れるのだと口を固く閉じた。相手の糸に操られてはいけない。あれは言葉巧みに操る人形使いみたいなもの。考えてみても関わること自体面倒なんだ。なら、もう勝手にさせておけばいい。もう辛いことは経験した。失うものは晴ぐらいだろう。  蓮は振り返らず、歩き進めた。走ることなく、堂々と裏口からホテルの方向と歩いていく。 「いや、今日の歌声は実に惚れ惚れしました」  負け惜しみなのか、食い下がるのが嫌なのか、話しかけてきた紙谷に蓮は「知ってるよ」と言った。  会話する必要はない。固く閉じたはずの口が簡単に開いてしまった。けれど、逃げるように行くより、堂々とするべきだ。これで話が終わるならそれに越したことはない。  蓮は顔だけ紙谷の方へと向けた。 「あの最後の歌はデビューして半年くらいに出したものですよね。懐かしいです。何気に好きなんですよ。いや、全部好きですけどもね」 「そりゃどうも」  素っ気ない態度で一応お礼を言うが、なにを企んでいるのかと紙谷を睨みつける。胃がムカムカとする二人の空間から早く抜け出したい。 「実は今日のそれでRENは芸能界へ復帰するんじゃないかっていう話が出てきて、今中ではそれで持ちきりでしたよ」  確かにそれは予想していたが、それを盛りに盛ったのは目の前にいる奴だろうなと簡易にわかる。黙って聞いていると紙谷が笑いながら話を進めてくる。 「ありえない話じゃないんですよ。私のツテでいいプロデューサーさんがいまして。お願いすれば、また芸能界で活躍できるんですよ。いい話だと思いませんか!」 「ただしそれには条件があって、おまえの記事のインタビューを受けろってわけだ」 「ご明察! よく私を理解してますね」 「気色悪い言い方すんな。俺は断ると言ったはずだ。それに俺にはもう必要ないことなんだ」  その居場所はもう必要がない。俺はそこにいなくてもいい。  今度こそもう話すことがなくなった蓮は真っ直ぐ前を向いて銀座の街に溶け込んだ。    ホテルに帰ると晴から着信が来ていた。さっさとシャワーを浴びようと決めていたのに、声が聞きたいという下心に負けてしまう蓮。急いでかけ直すとワンコールで出てくれた。 「ごめん、今気づいて…寝てたか?」 「まだ。それよりいつまでホテルにいるの」 「あ~…もうちょっと?」 「どこのホテル」 「ライブハウス近くの、ファーストグランっていうビジネスホテルだけど…」 「なんで家じゃ駄目なの」 「いや、ちょっとバタバタしてて」 「俺がいるから?」 「いや、お前がいるからじゃなくて、これは俺の問題で…」 「俺といるのが嫌になったんじゃない?」 「それはない」 「……だったら猫がはやく帰って来いってさ」 「は? あ、あぁ…わかったよ。近いうちに帰るから」  切れる前に愛猫の鳴き声と共に早くしろよなという小声が聞こえて蓮は笑みが止まらなかった。  正直顔を合わせずらかった。今すぐ帰るのも迷うほど葛藤している。それはあまりにも緊張することで、躊躇(ちゅうちょ)している。  蓮は帰ったらちゃんと晴に告白しようと考えていた。好きだと伝えて、抱いてもらえて嬉しかったことを言うつもりだ。晴がここにいて、一緒に住んでることが夢のようだったと伝えたい。  それで拒絶され、出て行ったとしても後悔することはないだろう。いや、悔いはどうしたって残る。けれど、伝えずにいることの未練はなくなる。  素直にならなければ素直な子に取られてしまう。取られるのが必然だとしても伝えなければ永遠に誤解されたままで、それだけは絶対に嫌だった。後悔したとしても、俺はおまえだけなんだと知ってほしい。  わがままで自分勝手だと思う。晴にとっては不快でしかならないとわかっているのに、止められそうにない。言わない方が晴のためになるなんて考えなくても当たり前のことだ。けれど抱かれて気づいてしまった。心がほしいと。だから手に入らないのなら、せめて偽りのない愛を知ってほしいと願ってしまった。  写真が送られてきたあの日。大学の女の子と楽しそうに笑っている晴がいた。俺の前で笑ったりすることはあっても、こんなに楽しそうにしている姿はないと思った。  取られたくない。  女の子と付き合えば、いずれ結婚して、子供ができる。そうなれば俺のことは眼中にもなくなる。下手をすれば存在を忘れられるかもしれない。それだけは嫌だと全身の細胞が叫んだ。だから帰るのに時間が要する。人生最初で最期の告白になるのだから。  今日はそのせいでせっかく目が合ったのを、勢いよく逸らしてしまった。それに帰ったら抱かれてしまうかもしれない。そのとき気持ちが先走ってしまう可能性が大きい。  なにより感じすぎてしまう。 「ゔ~~…恥ずかしすぎる」  蓮はベッドの上でバタバタと足を上げては下ろして暴れる。  今更とは思う。なにせ告白の段階を吹っ飛ばし、セックスはしてしまっている関係だ。最初から告白もなにもできない状況だったとはいえ、それでも伝えるタイミングはいくらでもあった。  身体を合わせる方が恥ずかしいに決まっている。けれど、本当は言葉にする方が百倍も難しくて身体が燃えてしまう。  自覚していたけれど、晴のことになると貞操(ていそう)感覚すら狂ってしまう。したいようにさせて、言われた通りの奴隷に成り下がる。兄だから甘やかしてしまうのかと属性に納得したけれど、そうじゃないとわかる。 「好きだからなにされも嬉しいだなんて…」  いつか晴にMだと罵られてた。(あなが)ち間違いではなかったと自分から認めてしまうなんて、とんだ恥知らずだ。  蓮は落ち着かせるため、中学生の修学旅行のような暴れ方をやめて深呼吸をする。上半身を起こし、枕を抱いてまた深呼吸する。それから枕を晴だと思い、それをベッドに押し倒した。 「す、きだ。晴のこと、本気で……すき」  当然ながら返事のない空間に虚しくなる。しかし、練習であったとしても蓮の顔は赤い金魚のようになっていく。  押し倒すのはまずい。というか身体が目的だと引かれる。 「でも、あいつ結構俺の身体は好きだと思う…んだけど…」  そう考えるのは何度も俺を抱くようになってから気づいた。最初は傷痕をつけるのが好きなんだと思い込んでいた。けれどそれがだんだんキスマークへと変わっていたことにぞわぞわと身体の奥まで支配されるような官能に嬉しさが込み上げてきた。  勘違いだったとしても、キスマークの数が増えていったことは事実。毎回風呂場で数える自分の顔はまるで乙女のようだった。 「晴も同じ気持ちならどんなにいいんだろうな…」  同じ好きでも意味が違う。ましてや晴が俺を好きなことはない。それでいいと思えるほど俺は晴にしてほしいことをさせてもらった。淋しくて胸がはち切れそうなほど嫌だけれど、晴と過ごした時間だけを抱いて生きていけそうだ。それぐらい辛くても幸せな同居生活だった。  幸福だと言えるほどのキスをして、抱き締めてもらった。愛し方は人それぞれだ。身体だけだとしても、接し方までは酷くなかった。むしろ優しかった。それがどんなに嬉しかったことか晴にはわからないだろう。  晴と一緒にいたい。そばにいたい。けれど誰よりも幸せになってほしい。  晴の笑った顔が俺の幸せなんだ。だからもっと早く手放すべきだったのに、自分のことを満たすばかりでみないようにしていた。手放して、見守らないといけない。それぐらい、もうできるだろう。  蓮は自分を納得させるため何度も呟いた。明日こそは帰ろう。もう大丈夫だと、何度も言い聞かせる。  すると突然、部屋の電話が鳴る。 「はい」 「お休みのところ申し訳ありません。先ほど部屋に行かれたのでまだ起きていらっしゃると思い、急ぎ電話させて頂きました。ご無礼をお許し下さい。それで、一ノ宮様宛にお荷物が届いています。至急届けて欲しいと言われましたもので…」 「荷物…? わかりました。取りに行きます」  受話器を戻してから、蓮は顔半分を手で覆う。背中にだけ氷の板をつけられているような嫌な予感がした。  階段を駆け足で降りる心の余裕がなく、落ち着きがない手足でエレベーターを使って下へ降りた。フロントへ行くと少し怯えている様子の女性と目が合う。すぐに頭を下げられ、謝罪された。 「どうしても今すぐ届けて欲しいとのことで、なにか急用かと思いまして」 「いえ…もしかして紙袋でした? お渡しするよう頼まれたの」 「え、はい。こちらです」  ぴくり、と蓮の眉が上がる。 (やっぱりまた写真か。なんで居場所がバレた) 「ありがとう。ごめんなさい。こんな時間に」 「いえ、お客様のお役に少しでも立てたのなら幸いです。どうぞゆっくりお休みなさいませ」  フロントの女性はこういうことが初めてだったのか、俺がエレベーターに乗るまで頭を下げていた。  部屋に着いたとたん、腰が抜けてその場に座り込んでしまう。写真すら見る勇気がなく、紙袋ごと放り投げた。 (一体いつ後をつけられたんだ…。注意しながらいつも帰っていたのに)  まだ一週間しか経っていない。見つけるのがいくらなんでも早すぎるような気がした。あのストーカー記者ならやりかねないが、ここまでする必要があるのか。  狂気的な執着心に蓮はバスルームへと駆け込んだ。  悍ましい呪いにでもかけられたようにあいつの目や声が張りついているような気がして、早く洗い流したかった。ここまでくると帰ることはより難しくなってしまった。ここに留まることもできなくない。明日には別のホテルに泊まろう。できれば警備が万全な高いホテルに。  蓮は血が出てしまいそうになるほど身体を洗い続け、髪も乾かさずベッドへと沈んだ。  無理矢理目を閉じ、休むことに集中する。けれど、紙袋があるという事実から目が背けられず寝ることはできなかった。まるでいつ襲ってくるかわからない猛獣と一緒に部屋を過ごした気分だった。    

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