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episode.1

    ひとまずは落ち着いたので、ようやくエディーの遺品を整理する時間ができた。四人もの兵士達が押し込まれる部屋だから、一人一人の荷物はさほど多くない。手帳だとか、少しの服だとか、写真などを仕分けして袋に詰めていく。  先の戦いで、私は肩を壊してしまった。ガーランドの引き金が時折不自然に重い時がある。クリップで留めた8発の弾丸が、以前と比べてずしりとした重量を持っているような気がするのも、そのせいかもしれない。装填の度に手から零れ落ちる弾に、仲間は胡乱な視線を投げかける。モルヒネのせいだと言う者もいる。幸い、モルヒネを打たねばならぬほど大きな怪我をした事は、とりあえずは無い。  トーチ作戦に準じていた時のことだった。オラン地区を目標として進軍していたのだが、前方に居た一人の兵士がグレネードを投げ返そうとして爆発に巻き込まれた事があった。一命は取り留めたものの、彼の状態は筆舌に尽くしがたいほどに酷く、また意識がはっきりしていた事もあり、メディックはせめてもと、彼にモルヒネを打った。あの時の事は、きっと忘れないだろう。     銃がうまく扱えなくなった今、それでも私が退役しないのは、一重にさっさとエディーの元へと逝ってしまいたいからだろうか。  冬の足音もすぐそこまでやって来ているようで、ひどく寒い。エディーが傍にいた頃は、雪の降る戦地でさえ寒くはなかったのに。        重く立ち込める暗雲が、オレンジ色の夕陽を削り取る。彼が好きだった、レーションに附属していた粉末のオレンジ・ジュースを思い出して、懐かしいような、切ないような思いに囚われる。Cレーションを食べる時の、あのひどい表情。もうミートアンドハッシュは食べ飽きたとごねるエディーに、セットのキャラメルを分けてやって、それを嬉しそうに口の中で転がす彼を眺めていた。いつ死ぬかも分らぬ戦場で、エディーは私の希望だった。  彼ははおおらかな青年だった。優しくて、賢い犬のような雰囲気をしていた。すこし低い鼻とそばかすが、外見の子供っぽさを際立たせていたように思う。弟分の気質が、すさんだ前線ではひときわ輝いて見え、みな甲斐甲斐しくエディーを構っていた。かと言って彼がそれに甘え、周囲に頼っていたという訳でもなく、前線での任務に苦言を呈することも、不平を洩らすこともなく、着々と作戦をこなしていた。まだまだ若いというのに、内面はひどく大人びていて、それがまた彼の魅力だったのだろう。  エディーは日に焼けにくい質なのか、周囲と比べて特別肌が白かった。怪我をすると、それがよく目立って痛々しく見えたのを覚えている。髪が伸びるのが早く、頻繁に私が切ってやっていた。訓練場から時折聴こえる銃声と、はさみの交差するしゃりしゃりとした音とやわらかな手触りが、繰り返される訓練と従軍の日々の中で、一番の癒しを与えてくれていたように思う。  ぽつぽつと雨の降る兵舎は、穏やかだ。エディーの写真を指でなぞると、涙がこぼれた。写真の中の彼は笑っている。何の不安も知らないような、明るい笑顔で――。  私は思い出す。初めてエディーと会った日の事を。            *  *  *           所属していた歩兵中隊がヨーロッパで半壊し、新たに再編される事となった。前線での勤務を終え、本国へ帰国していた私は、休暇明けののちに、人員補充のためその隊へと編入する旨を伝えられ、基地へと舞い戻った。私のように、休暇中で難を逃れた兵士や、生き残った兵士らは再編され、第1歩兵師団のとある中隊へと組み込まれた。休暇が明ければ暫く再訓練に励み、その後はまた前線へと送り出される。  米軍では、兵士を戦地へ置き続けるのではなく、半年近く前線で勤務に着かせた後、後方へ引き下げられ、それが終われば数カ月の休暇期間が貰える。久々に過ごす本国での暮らしは、涙が込み上げるほどに愛しい。遠方での戦地に較べれば、本国の故郷は傷跡一つない。        再訓練も終わりを迎えるような頃、私は彼と初めて対面した。 「伍長! ドネリー伍長!!」  午前の訓練が終わり、朝食を摂るために基地内をうろついていると、盛大な足音と共に見慣れない兵士が息を切らし、ぶつかりそうな勢いで走り寄って来た。よほど一生懸命に走ったのか、肩が大きく上下に揺れている。 「えっと……」  透明度の高い青色に、少しだけグレーの溶け込んだ瞳。どことなくこの瞳に見覚えがあるような気がした。 「突然、すみません! エドワードです。エドワード・ニコルソンです。 あの、兄がドネリー伍長にお世話になっていたと窺っていたものですから……」 「ニコルソン……、もしかしてきみ、ウィリアムの弟さん?」  そう問うと、エドワードと名乗る青年は嬉しそうに何度も頷いた。一重の眠たそうな目がにっこりと細まる。こんなふうに笑う誰かの顔を見たのは、随分久しぶりのような気がした。        件のウィリアム・ニコルソンとは同期に入隊し、休暇に入る少し前まで同じ隊に所属していた。しかし、あともう数日で任務が開けるという時に、彼は暴発したグレネードに右足を持って行かれてしまった。幸いその事故で死者は出なかったが、ウィリアムはそのまま除隊させられ。本国へと返された。それが彼に幸いしたのかどうかは分からない。少なくとも、彼に戦場は似合わなかったように思う。先の休暇で真っ先にウィリアムの元を訪れたのだが、彼はどういう訳か絵描きに転身していたので、大いに私を驚かせた。それも、芸術にはなんら関心もなく、造詣も無い私ですら感嘆してしまうほどの秀作をいくつも描きだしていたのだから、人というのは分からない。 「吹き飛んだのが腕ではなくて良かったよ。絵も自慰も諦めなければいけないからね。僕は両手で扱かなきゃイケないんだ」  ウィリアムはなんとも返答しにくい冗談を吐いて、豪快に笑った。彼はそういう男だった。部隊のムードメーカーとして、頼れる兄貴的な存在として、時にはみなの士気を高めるため、先陣を切ってアサルトライフルを携えて敵部隊に突撃する事もあった。尉官にこってりと絞られていたのを遠巻きに見て肝を冷やしていたのを覚えている。        そんなウィリアムと、彼の弟であるエドワードは、同じ色合いの瞳をしていたが、顔の造形自体はあまり似ていないようだ。妙に白い肌の上に浮かんだ、薄いそばかすがウィリアムの面影をかろうじて映している。 「ビルに弟がいた事は知っていたが、まさかこんなところで会うとは、いや、驚いたなあ。ビルは元気にしているか?」  ウィリアムの愛称はビルだった。久方ぶりに舌の上に乗るこの発音に郷愁がやわらかく刺激される。 「ええ。毎日部屋にこもって絵を描いているようですよ。その中に、伍長の絵もありました」 「俺の絵?」  驚いて目を丸くする。ウィリアムはかつて、人物画は嫌いだから風景画しか描かないのだと言い、実際、部屋に無造作に転がるキャンバスには風景画ばかり描かれていたのだ。 「兄は人物画が苦手だと言っていたのですが、どうやら伍長だけは特別なようでして……。あ、その、変な意味ではなく。ドネリー伍長は素晴らしい男だ、俺の足がこんな事になれなければずっと側で走っているのにと毎日わめいているんですよ」 「ビルは相変わらず調子がいいな」  買い被られたものである。しかし、間接的にでもそう言われるのは気恥かしくもあるが、とても嬉しいものだ。思わず口元を緩めると、エドワードも照れたように微笑んだ。 「いえ、あれはきっと本心ですよ。――あ、お忙しいのに呼び止めてすみませんでした。僕はこれから整備がありますので、これで……」 「ああ。また、ビルの話を聞かせてくれ」  エドワードは頷くと、駆けて行った。その背中を見つめながら、少しだけ哀しくなった。かわいい弟を戦場に送り出すウィリアムの気持ちもそうなのだが、彼のような若い兵が戦場へと向かう姿はあまり見たくないと、珍しく感傷的になった。なまじ戦場での経験を積んでいる分、余計にそう思うのかもしれない。綺麗な戦場などあり得ない。いつだってそこら中には誰のものかも分らぬ手足が落ちている。敵味方関係なく、千切れた体のパーツが混じるように散乱する。彼だって、いつか私の目の前でばらばらに弾け飛んでしまうかもしれない。逆に、俺がそんな姿をエドワードに瞳に焼き付けてしまうのかもしれない。俺は暫くエドワードを目で追っていたが、諦めて歩き出した。      

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