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episode.2
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1942年11月、アフリカ。私はすっかり参っていた。砂埃が酷いので、早めに銃の手入れをしなければならない。頭の中でぼんやりと考えるのだが、体が動かない。少し、熱っぽいような気もする。喉が妙に渇く。目も痛痒い。銃の手入れをしなければ、食事を摂らねば、休まなければ――。考えれば考えるほど、頭がぼんやりと重くなるようだった。
昼間に見た兵士の最期がずっと脳裡に焼きついている。
彼、ミゲル・ホワイトは勇敢だった。近くに投げ込まれたグレネードは、逃げるよりも投げ返した方が生存率が高くなる事の方が多い。彼はとっさに投げ返そうと、グレネードに走り寄った。爆発まであと数秒はある筈だ。ミゲルがいまにも手の中のグレネードを投げ返そうとした時だった。ほんの僅かに遮蔽物から出した手を、銃弾が撃ち抜いた。恐らく、奇跡のように運の悪い着弾だっただろう。もしもこれが直接グレネードに着弾していたのなら、彼は苦しまずに死ねたかも知れない。とにもかくにも、ミゲルは急いで手から零れ落ちたグレネードを瞳で追った。もう投げ返す事さえかなわないと、瞬時に悟ったのだろう。使える方の手でグレネードの上にヘルメットを被せ、そして彼は――――。
半身が欠けても尚、意識を保っていた彼。モルヒネを懇願する表情。メディックが震える手でポーチから注射器を取り出す光景を、私は立ちすくんで見ていた。それまで痛いほど聞こえていた銃声も、尉官の声も、何も聞こえなった。
グレネードで爆死する兵士も、欠損死体も珍しくは無い。見飽きるほどに彼らの遺体を見て来たというのに、今回は堪えた。痛くてたまらない、せめてモルヒネを、そう呟くような声が、聞こえたような気がしたのだ。少しだけ盛り上がった瞳が、私の姿を捉えたような気もしたのだ。私は堪え切れなくなって、視線を外した。
さ迷う私の景色の中に、目を見開くエディーの姿を認めた。
あまりの疲労に、口の中へ押し込んだ食事を戻しそうになる。手軽に栄養を補給できる分、レーションの味は悪い上に、メニューの種類も少ない。それでも、空挺部隊の食事に較べればずっとマシだ。彼らはパラシュート降下をしなければならないので、身軽でなければならない。食料もそうなのだが、銃器も空から降ろすので、もしも降下に失敗したら身一つで遠く離れた場所にある銃器を取りに行かねばならない。降下兵として儚く散った昔の友人をふと思い出し、とうとう食事をする手が止まってしまった。そういえばその友人は少し、ビルに似ていた。
幾度目かになるため息を吐き、ねちゃつく柔らかい豆を口へ運ぶ。
暫く戦闘地域での食事が続いている。まだまだ不味いCレーションのお世話にならなければいけないと思うと、さすがに辟易してくる。
「ミートアンドハッシュ、ミートアンドベジタブル、ミートアンドビーンズ。ミートミートミート。僕はマカロニアンドチーズが食べたいんだ」
いつの間にか隣に座っていたエディーが、うわごとのように呟きながらレーションをスプーンでつついている。
「似たような事をビルも言っていたよ。ここで散々ミートを食わされた挙句、いざ後方へ引き下がれたと思いきや、また同じような料理をたらふく出されるんだって」
「はは、やっぱり兄弟って似るんですかね。そういえば、除隊された後に兄貴も愚痴を溢しながらマカロニを食べ散らかしていたなあ。あんまり急いで作るものだから、中途半端に茹であがった堅いマカロニが出来ちゃって、それについてまた愚痴を溢したりして……」
テーブルに肩肘を突いたままフォークをくるくる振り回して怒るビルの姿が容易に想像できて、思わず吹きだしてしまった。
笑った事が幸いしたのだろうか。鬱屈して膿みそうだった胸が少しだけ楽になる。
「あいつは食事に関して妙にうるさいからな」
「伍長もやっぱりそう思います? 今度会った時、説教して下さいよ、あんまりわがままばっかり言うなって。きっと伍長の言う事なら大人しく聞きますから」
「いや、従軍中も何度か窘めたんだけど、こればっかりはどうしようもなかったよ」
エディーは苦笑し、まずいまずいと喚きながら肉をスプーンですくう。私もそれに倣い、同じように食事を進めた。
しばらくぽつぽつと会話を交わしながら、私はふと思い立って、リンゴのスプレッドをエディーの前に置いた。
「ええと、なんでしょう?」
「今日は、いや、今日もか。疲れたろ。甘いものでも食べたら、少しは緩和されるんじゃないか?」
ほれ、と指でスプレッドの袋を押しやると、エディーは無言でそれを押し返してきた。 エディーが真顔で私の目をじっと見つめる。自分で食べろ、と言っているように思えたが、私は懲りずにもう一度押し返す。けれど、やっぱりそれはまた私の方へ返って来てしまった。
「それならば、僕なんかに気を使わず、伍長が食べるべきですよ。とても疲れた顔をしている」
「いや、いいんだよ。実は朝のスプレッドを残していてな。それから食べないといけないんだ」
そう説明するとようやく納得したのか、エディーはそれ以上スプレッドを押し返しては来なかった。束の間の小さな抗争は、無事終結したようだ。
私はぱさぱさしたクラッカーを口に押し込めながら、隣の彼を何気なしに眺める。その不躾な視線に気付かないのか、エディーは複雑な表情をしながらリンゴのスプレッドをしげしげと見ている。何かを遠くにある思い出を探るような仕草だ。
「どうした?」
思わず声をかけると、エディーが困ったようにはにかむ。
「いえ。……ただ、伍長が僕の事を構ってくれた事が、嬉しかっただけです」
いじらしいと思った。くしゃっと笑う幼い顔が、あたたかい。ひだまりのようだ。ふんわりとしたひだまりが、芳しいネーブルオレンジの実を照らす、故郷の春が私の心を駆け抜けた。ゆるりと尾を引く郷愁が匂い立つようで、ひどく心地が良い。泣きたくなるほどの安堵感に、私の愁眉は和やかに開かれる。
「それなら、良かった」
形の良い頭を撫でると、エディーは嬉しそうに瞳を細めた。
エディーがクラッカーにスプレッドを塗りつけては口に運ぶ様を暫く眺めていると、どこから見ていたのか、リックという愛称の若い奴がふらふらとやって来て、スプレッドをエディーに投げてよこした。
「やるよ。お前が美味そうに食ってるから、やりたくなった」
それだけ言うと、リックはさっさと行ってしまった。その後ろ姿を、私達は呆然と眺めるしか無かった。
翌日の食事の時間、また同じような事が起きた。スプレッドだけではなく、チョコレートやキャンディーをエディーに分け与える。からかいながら、服の中に落とす奴もいた。最初はエディーも律儀に断ろうとしていたが、なんだかんだで押し付けられてしまう上に、みんなが妙に楽しそうなので、結局受け取らざるを得なくなってしまったのだ。エディー自身は最年少だから可愛がって貰えるのだ、と解釈しているようだが、私はそれだけでは無いように思えた。
きっと、みな私と同じような気持ちになったのだ。不思議に故郷を思い起こさせる、エディーの中に、優しくて底なしにあたたかい、ひだまりを見たのだ。
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