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第1話
──三年前の今日、俺はここで告白された。
夏祭りの日に即席で設置される屋外ビアガーデン。毎年ここで納涼会を行うのが会社の恒例になっている。
うだるような暑さの中ヘトヘトになるまで働いて、ヒグラシの声を聞きながら煽るキンキンに冷えたビールは格別で、毎年へべれけになるまで飲んでしまう。
「わかっているのに止められない。これが酒ってもんだよなぁ……」
ほろ酔いというには些か酔い過ぎた俺は、職場の女性連中に呆れられながらも、新しいジョッキを頼む。
男の一人暮らしももうすぐ二十年。若い頃はそれこそ自由に遊べていいなんて言っていても、一人、二人と所帯を持ち、今では休日に一緒に過ごす人すらいない。一人で入る飲み屋より、誰かと一緒の飲み会の方が楽しいに決まっている。
上機嫌で飲んで騒いで、そろそろちょっと酔いを醒まそうかと、ポケット灰皿を持って席を立つ。祭りの裏手の河川脇で涼みながら煙草を吸っていると、今年入社した宮下がやってきた。
長身で細身、当たりの良い笑顔が可愛らしい、ピチピチの二十歳だ。一番最初に結婚した幼馴染が今年子供が十九歳になると言っていた。つまり、俺とは親子ほど年が離れたと言っても過言じゃないわけだ。
『それは可愛いよな』と、俺は勝手に宮下を年の離れた弟のように思っていた。
「加藤さん、こんな所にいたんですね」
「ワリィ、探してた? すぐに戻るから見逃して」
「社長たちも楽しそうだったから大丈夫じゃないですかね」
「そう? だったらもうちょいのんびりしてこ」
「ですね……」
いつもだったら何も言わなくても色々と話しかけてくる宮下が黙って隣に立つ。もしかして、酔ってる?
「宮下、酔ってんの?」
「いえ……飲んでないので、大丈夫です」
「あ、そーか。そういやジョッキの中身、カルピスだったな」
乾杯の時に景気よく掲げられた場違いなジョッキを思い出す。こんなに男前なのに下戸なんてまたドえらいギャップだ。まぁ、イケメンなら飲めても飲めなくてもOKなんだろうけど。
それにしても静かな宮下が珍しくて不気味で「具合悪くないか?」と顔を覗き込んだ。
「あ、のっ、加藤さん」
意気込んで名前を呼ばれて「どうした?」と続きの言葉を待つ。
「こんな事、聞くのもアレなんですけど……、間違いじゃなければ、加藤さん、女の人苦手ですよね? ……えっと、男が好きっていう意味で……」
会社では、いや会社でも内緒にしていた事を指摘されて、思わず身構えた。
「……何で、それ……」
「やっぱり、そうなんですね。確信があったわけじゃなくて、なんとなく、なんですけど……」
「何だよ、カマかけただけかよ。で、何? オープンになってきたった言ってもさすがにそんな性的嗜好までバラされたくないんだけど……」
「あっ、脅すとか、そういう事じゃなくて……。あの、好きです!」
「…………は?」
「加藤さんが、好きなんです」
……とりあえず、理解が追いつかない。
「それで、良かったら俺とお付き合いしてください」
「…………え? 俺?」
いやいやいや、無いでしょ、さすがに。親子程の年の差だよ? 俺はもうすぐ四十歳で、宮下は二十歳だよ? って、そもそも宮下は男もイケるの?! 全然気付かなかったんだけど。
「……だめ、ですか?」
大型犬みたいにしゅんとして言われて、反射的に頷きたくなる。ここで「うん」と言ったら、もう一度恋ができるんだろうか──。
魅力的な申し出にためらって、考えて、言葉を選んで紡ぐ。
「無いな。ごめん、無いわ宮下。お前のことは可愛いけどそれだけだ。恋人とかそういう風には見れそうもない」
なるべく、未練が残らないようスッパリと切り捨てる。
「……もう少し、考えてもらうのもダメですか?」
「考えても答えは変わらない。恋人とか面倒くさいの嫌なんだ」
「だったら、恋人じゃなくてもいいです。身体だけでも……」
食い下がる宮下に更に鉄槌を下す。
「そういうのが面倒なんだって。俺はもう四十だしさ、今更生き方変えるような気はないって」
「……わかりました」
間を置いて応えた宮下の声は濡れていた。
「じゃあ、キスだけさせて下さい。それくらいなら思い出ってことでいいでしょ?」
有無を言わせず、頬を固定されて唇を盗まれる。
──キス、と言うには情熱的なキス。思わず開けた唇の隙間から舌が忍び込んで口の中で暴れる。
情熱的なのに、甘い、カルピスの味の幼いキス──。
三年前の事なのに、あの時振ったくせに、あの時を詳細に鮮明に覚えている俺は相当気持ち悪い。
あの時は、もう二度と恋はしないだろうと思っていた。
十年前にした失恋は散々だった。
最後の恋だと、一生を共にしようと誓った相手に「好きな女が出来た。お腹に子供もいる」と言われて、引き下がる以外には何も出来なかった。
たくさん泣いて、食べるも寝るもできなくなって、心だけじゃなくて身体までボロボロになった。
だけど時間と一緒に傷は癒されて、いつしか毎日の生活は出来るようになった。同僚の結婚も祝えるようになったし、恋人の話も笑って流せるようになった。
ぽっかりと空いた胸の穴はそのままで、だけど色んなものを貼り込んで、貼り込んで、穴を隠してきた。
それでも、恋だけはもう二度としないと思っていたのに──。
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