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第2話

 三年前の告白の後、思い出の言葉通りに宮下は想いを断ち切ったらしい。けれど宮下の「好きです」の言葉は俺の中にじんわりと沁みて、俺は事ある毎に宮下の事が気になるようになった。  ゆっくり、ゆっくり時間をかけて、気付いたら恋をしていた。俺のことを思い出にすると言った男に、今更、恋をしていた。  今更と言われるだろう。きっと宮下はもう新しい恋をしているだろう。若さは傷を癒すのも早い──。  一度は「好きだ」と言われた男に気付かれないようにひっそりと想いを温める。不毛でしかないけれど片想いは楽しい。小さな事で一喜一憂して、でも「好きだ」と告げる勇気はなかった。  これ以上近付かなければ傷付くこともないから──。  と、そう思っていたのにな……。  三年の間に少しは酒が飲めるようになった宮下はカルピスサワーのジョッキを片手に、中途入社で入って来たばかりの女子社員と肩を寄せてコソコソと内緒話をしている。  彼女は女性にしては豪快に笑い、宮下の背中をバシンと叩いた。宮下は「痛い」と言いながらも、楽し気に、熱心に話しをしている。斜め前に座っている俺なんかには目もくれずに……。  彼女は二十三歳の宮下よりは五、六歳程上だろうか。俺とも大分年が離れていたし、宮下は年上が好きなのかもしれない。あの時は聞かなかったけれど、ゲイじゃなくてバイなのかもしれない。  仲睦まじげな二人に遠慮してか二人の間に入る人は誰もいない。  知らない所で、知らない人と幸せになってくれれば……なんて思っていたのに、考えの甘さを思い知らされる。まさか、目の前で仲睦まじい様子を見せつけられるなんて。  泣きたい気持ちを隠すようにビールジョッキを煽って、だけどいくら飲んでも楽しい気分にはなれなかった。仕方なく煙草を片手にいつかの河川脇に逃げ出す。  カナカナカナ……と鳴くヒグラシの声が切なさを増長させる。陽気な夏祭りの喧騒に、より独りなんだと感じて寂しくなる。 「あーぁ……、バッカだなぁ、俺……」  泣きたくて、煙草に火を付け呟いた。  あの時、何も考えずに『付き合う』と言っていれば。せめて「考えさせて」か「待ってて」と言っていれば……。  こんな所で泣いたらまずいと心の端を過るけれど、酔っぱらいの身体と心は理性の言う事は聞いてくれない。  年甲斐もなくボロボロと涙があふれ、子どもみたいに泣いた。  ──涙と一緒に、好きな気持ちも流れ出ていけばいいのに……。  メロドラマみたいな事を本気で考えて『おっさんのくせに気持ち悪い奴だな』と自分で突っ込んだ。  あの子が宮下と出会う前に好きだと告げればよかった。好きになった時に言っていれば……。次から次へと後悔は沸いて出るけれど、そんな勇気がない事は自分が一番よく知っている。  年を取る程、勇気が出ない。ただ真っ直ぐに「好きだ」と告げる、その一言がこんなに重い──。  だって、きっと、もう、今度こそ、本当に最後の恋だ。  だけど、誰が好き好んでこんなおっさんを選ぶだろう。二十歳も年上の、親とそう変わらない相手をずっと愛していられるだろう。きっと、すぐに若い、新しい恋人ができるはずだ。女性も愛せるなら尚更──。  泣いて余計に酒が回り、ぐるんぐるんと世界も回った。立っていられなくなり地べたに座り込んで泣いていると、自分を呼ぶ声がした。 「──加藤さん! やっぱりここに居た」  一番に見付けて欲しい人の声。一番に聞きたい人の声。 「みやしたぁ……」  呂律の回らない口で恋しい人の名前を呼ぶ。  酔いで理性を手放し、絶対に告げられない筈の言葉を、気持ちをその本人にぶつける。 「みやした、おれのころ、すきらって、もういちどいってぇ。きらいにならないれ……、あのひとのとこいかないで──」  嗚咽の混じった聞き取りにくい酔っぱらいの言葉──。一体どれだけがきちんと宮下に届くんだろう。  言葉を尽くしても、届かない想いがある事を知っている。熱を伝えても届かない事も知っている。だけど、伝えなければ、伝わらない事も知ってるから──。  伸ばされた宮下の手に縋り付いて訴えた。しっとりと汗で吸い付く肌が自分の宮下への執着のようで気持ち悪いけれど、手は離せなかった。  じっと自分の言葉を聞いていた宮下が「加藤さん」と名前を呼んだ。  涙が盛り上がっている気がするのは、俺が泣いて視界が歪んでいるからだろうか──。  三年前と同じに、頬を捕らえられる。それから、三年前と同じに──。  情熱的なキスを与えて唇が離れた。三年前よりは大人になった、舌に残るカルピスサワーの味。  くたりと宮下に身体を預ける。涙はキスに驚いて引っ込んだけれど、酔いは回ってほんわりとした気持ち良さだけが身体を支配している。  そして、三年前と同じ──、 「加藤さん、好きです。付き合って下さい」 「おれもすきっ」  三年前と違う言葉で応えた。

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