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第12話

「お客さん、着きましたよ」  運転手の青年に声を掛けられてハッとする。眠る気はなかったがついうとうとしていたらしい。アパート横の共同駐車場に車を停めてもらい代行業者が帰るとタイミングを計ったようにメッセージの着信の音が鳴った。  なんとなく不安になっていたせいもあって、部屋まで少しの距離も待てずにスマホを確認し『宮下』の文字に安心する。 『お疲れさまです。今日の飲みは街の方ですか? 社用車見かけたので加藤さん居るかと思ったけど、会えませんでした。早く会いたいです』  ストレートな思慕の言葉。きゅっと傷んだ胸に思わずニヤリと頬が緩む。鍵を出すのももどかしく急いで茹だった部屋に入り、蒸し暑い部屋の換気の為に窓を開けながら返信のメッセージを打った。動きながらするせいで何度も失敗して打ち直す。落ち着いてからすればいいのは解っていたけど、とにかく早く何かを伝えたくて仕方なかった。 『おつかれ。帰りに見かけた。俺は今、家に着いたよ』  少しだけ迷って、宮下を見かけたことを伝えた。 『本当ですか? だったらもうちょい粘れば良かったな。俺は今電車の中です』  あっという間に不安が飛んでウキウキしてくる自分の現金さに笑う。 『明日会えるだろ』 『そうですけど。5分くらいしたら電話していいですか? 少しでいいので』 『わかった』  まだ電話がかかってきたわけでもないのに、緊張してドキドキする。そういえば、と学生時代を思い出した。  携帯電話はあったけど今みたいに当たり前じゃなくて、父親の使わなくなったポケベルを貰って使っていた頃。初恋だった友達からの『デンワスル』のメッセージにドキドキしながら電話の前でその音が鳴るのを待っていた。  このドキドキはあの時に似ている。  この年になって初恋に似ているなんておかしな話だけれど、今の気持ちはあれに一番近い。……多分、心臓の音もあの時並みだ。  動悸に息切れ、気が遠くなるような気がして部屋の中をうろうろと動き回り、電話の着信音に驚いて足をぶつけた。 「加藤さん?」 「うん……」  五分間待っていたはずなのに、呼び掛けられても上手く受け答えさえできない自分がもどかしい。スマホの向こうからはガタガタと賑やかな音が聞こえていた。 「今、駅か?」 「そうです。後になったら加藤さん寝ちゃうかと思って、先に電話しました」 「待ってるから、後でも良かったのに」  その方がゆっくり話せたのに、と少し惜しく思う。 「だって、宮下さん酔ったら寝ちゃうし」 「……電話来るって解ってたら、起きてるよ」 「でも、……すぐに声聞きたかったんです」  こそっと、内緒話をするように声を潜める。その声の向こうには車の排気音や遠くに誰かの話し声がして、どんな場所で離しているんだろうと気になる。駅舎の隅で長身を隠すようにして電話してるんだろうか。  想像したら、たまらなく愛しくなった。 「……バッカだなぁ」 「そうですよ。加藤さんのこと考えてたらバカになっちゃうんです」 「お前……、そういうの反則だからな」 「照れてます? 可愛いなぁ、加藤さんの照れてる顔、見たいなぁ」 「可愛くねーから……」  困って拗ねたみたいな声が出て、それを聞いた宮下がクスクス笑う。 「まだ、家着いてないんだろ? 早く帰れ」 「もう少し声聞きたいです」 「……明日、待ってるから、な」 「うーん……、じゃあ「スキ」って言ってください。そしたら帰ります」 「うぇっ?」  変な声、出た……。宮下がスマホの向こうでぷくくと吹きだしている。 「……ぁっ、すみません。予想外の返事だったんで」 「悪かったな」 「なんか、加藤さんが恥ずかしがってくれるのすごい可愛くて、嬉しいんですよね。……ね、言ってくださいよ」  声が、甘くなったのは気のせいか? 「……あ……、えっと……」  それくらい言ってもいいか、と思ったのに言葉が喉につかえた。ストレートな言葉がやたらと恥ずかしくてハードルが高い。 「えっと……、あの、宮下、すっ……、ぅぐっ、……んっ、えっと、」  見られているわけでもないのに落ち着かなくなって、意味もなく回りを見回す。……といっても、自分の部屋の中なのだけど。 「す……、なんですか? 続きは?」 「すっ……」 「……」  この辺で許してくれないかと思ったけど、どうやらどうしても言わせたいらしく、宮下は黙ったままだ。  覚悟を決めろ、俺! 最初にした告白で「スキ」なんて何度も言っただろ~! と思うのに、何だこの一言のハードルの高さは……。 「ぁあー……!! もうっ! スキ!! 言ったからな、早く帰って寝ろ!」  そんで、明日早くに来い! 耐えきれず逆ギレして一気に言い切った。 「……そんなに叫ばなくても。俺も加藤さん大好きです」  電話で聞くからか、今までにない程甘い声。  ……なんだ、この破壊力……。 「……俺も、だよっ」 「ん~、加藤さん、本当に可愛いなぁ」 「その、可愛いってのはやめろ」  なんか、すごい違和感があるから。だけど、宮下はそんなこと聞いちゃいない。 「可愛いんですもん。なんか自分でも驚きなんですけど、予想外の加藤さんに可愛いが止まらないんですよねぇ。加藤さんが可愛くなくなったら言わないんですけど、それは無理っぽいし。……早く会いたいです」  直接囁かれているようで耳がゾワゾワして、思わず一度スマホを耳から離した。宮下は外でこんなこと言ってて恥ずかしくないのか? 「……とりあえず、早く、帰れ」 「はーい。明日、早くに行ってもいいですか」 「いいけど……、寝てるかもしれないぞ。それに、そんなに早く来て何するんだ?」 「何ってわけじゃないけど、早く会いたくて」 「~~……っ、まぁ、いいけど……」  ……だから、どこから出てくるんだ、その恥ずかしい言葉は。素直なんだろうけど、おじさんの俺には直球すぎて眩しすぎる。 「行く前に連絡しますね。寝ててもいいですから」 「わかったよ。起きてるって……」  なんだこの恥ずかしい感じ。どっからどう聞いても人目を気にしないバカップルの会話なのに、電話を切るのが惜しいなんて、多分俺もどうかしてる。 「……おやすみなさい」 「ん。気を付けてな。おやすみ」  通話が切れるまでと待ったのになかなか切れず、「……切らないんですか?」と聞かれ「切るよ」と今度こそ通話を切った。通話終了の画面に、身体から力が抜けてゴロリと横になる。  ……本当、何やってるんだ。  でも『好かれてる』実感が嬉しくてふわふわする。んふふふふと、一人で笑ってスマホを眺めた。  ──うん、まだ酒が残ってるなぁ。  明日、何しようか。今度こそ、少しくらい触ったりできるだろうか。  あっという間に眠りに落ちながら、俺はにまにま笑っていた。

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