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第52話

「行きたい店ありますか?」と聞かれて、拘りはないと言うと、この辺では一番大きなショッピングセンターに行くことになった。  一年程前にできたそこは何度も話題に上ったものの、実は行ったことがない。若い頃なら新しい何かがオープンすれば、とりあえず行っとけと足を運んだものだけど、今じゃそんな機動力はない。  億劫になったというよりは、興味がなくなったとでもいうのか。自分の生きるテリトリーはもうだいたい決まっていて、拡大する程の気力がないというか。  人生守りに入った感じ。  ……というと、なんだかもう老後みたいに思えて、これじゃダメだと思う。思うけれど、若い頃より付き合いは増えた分一つひとつの密度が減って、結局のところ安心安全、安定志向。おかげで、ここ数カ月は宮下に一極集中できているわけだ。  あとはもう一つ、一人の外出が面倒くさくなった。だから、宮下が一緒に連れ出してくれるのなら、俺としては歓迎というかありがたい。  やたらと広い駐車場に車を止めて、店内へと続く通路を歩く。壁には一階に併設されている映画館のポスターが貼ってある。 「映画かぁ」 「何か見たいのあります?」  聞かれて、貼られているポスターをざっと眺める。 「今はないな。なんだっけな、漫画原作の……、公開いつだっけ? あれは見たい」  映画化されるという、中国の戦国時代が舞台のタイトルをあげると、宮下もちょうど見たかった、と言って一緒に見に来る約束をする。  家で互いの好きな映画やドラマを見たことはあっても、一緒に映画館に来たことはなくて、デートみたいだと思う。  ……いや、今、こうしているのもデートなのか。  でも、なかなか事前に約束することは少なくて、会って一緒に過ごしてから、流れでどこか行く?みたいに出掛けることが多いから、たまに先の約束をするとワクワクした。  ショッピングセンターの中は程々に混んでいて、特に家族連れや女性同士が多い。男同士の連れもいるけれど、割と若い感じの、宮下くらいの年頃かそれより幼い中高生くらいがメイン。  そうそう、これもショッピングセンターから足が遠のく理由のひとつなんだよ。同年代の男性と言えば店員か、家族に連れられてきたお父さん。それでも、紳士服のエリアに来ると人気《ひとけ》が減って、男性率も高くなり、ちょっとホッとする。  若い頃にはそれなりに好みがあって選んでいた服も、今は特段こだわりはなくて、選びたいという宮下に任せた。  試着なんてスーツを買う時くらいしかしないのに、色違いやデザイン違い、色々な服を渡されて着せ替え人形になる。  確かに宮下は格好良いし、普段の服もセンスよくおしゃれで、いつもこんなに時間かけているのか、と思うとそれも納得する。けれど何度も脱いだり着たりを繰りかえしているとそれだけで疲れてくる。 「これ、どっちがいいと思います?」  色違いのTシャツを広げる宮下に、楽しいのはわかるけど、と少し呆れて聞いた。 「どっちもいいと思うけど……、いつも服買うのにこんなに時間かけてるのか?」 「まさか。自分のはネットとか、店に来てもそんなに悩まないですね。加藤さんにいつもと違う服着せるの楽しくて」 「……じゃあ、さっさと決めよう。んー、シャツはそっちの色の濃い方」  にこにこと言われて怒る気にはならなかったけれど、早く終わらせたくなって適当に答えた。  全部コーディネートしたいという宮下に合わせて、上から下まで一式と、パンツを二本。なんとか服を買い終えて一服する。  本当は煙草に火を点けたいところだけれど、最近は喫煙者には優しくない。もちろん煙草の吸える場所なんてなくて、代わりにコーヒーショップに入る。  混んではいないけれど「席を取っておいて下さい」という宮下に甘えて注文を任せ、席を探す。横並びの席が良かったけれど空いてなくて、ソファに向い合せる壁際の席を確保する。  ふう、とため息をつく。ちょうどこちらを見た宮下に手をあげて場所を知らせて、どさりと座り込んでしまったら、自分の身体の重さに気付いた。  大して歩いてないのにと思ったけれど、疲れの原因が歩いた事じゃなくて昨日からのアレコレだと気付いて、一人で赤くなる。  合間には寝ているし、時間は空けているけれど、そりゃあ疲れるか。宮下は平気そうだけど、若いもんなあ、と笑顔の店員に話しかけられている姿を盗み見る。  恋人の欲目ってだけじゃなくて、ざっと見渡してみてもカッコいいんだよな。何よりも背が高くてスタイルがいいから、良い顔がよけいに見栄えがする。  宮下の後ろに並んだ若い女の子たちも、隣の家族連れの奥さんもちらちらと宮下を見ているのがわかる。けれど宮下はそんなの気にするそぶりも無くて、時おり俺に視線を送っていた。  そんな姿が誇らしくて、少し自慢したいような。  ──コイツ、俺の恋人なんですよ。  なんてな。誰にも言わなくていいけど、でもちょっと見せつけたい。  ……いや、やったところで良くても上司、下手すりゃ親子だって思われるのは重々承知ではあるんだけど。それでもそんな俺に好きだって言ってくれるのが恐れ多くて嬉しい。  思わずじっと宮下を見つめていたのに気が付いて、さすがに恥ずかしくなり視線を逸らした。わざとらしく店内の混雑を眺める。  と、ほど近いテーブル席に見覚えのある顔をみつけて、一瞬止まった。  斜め向こうの四人掛けの席、子ども二人の家族連れ。可愛らしくおそろいに二つに分けた髪を結った女の子は小学生くらいだろうか。奥さんは向こうを向いていてわからない。けれど、子どもの年齢を考えればたぶん間違いなくて……。 「壮大」  思わず口の中で呟いた。  ほぼ十年ぶりに見た元恋人は、あの頃の面影を残したまま、少しだけふくよかになって、より優しそうに見える。  反射的に隠れたくてぱっと下を向いた。せめて背中を向けて座れば、と席を移動する前に、宮下が両手にカップを持って現れる。  腰をあげようとした俺に気が付いて、どうしたんですか、と声をかけられ、何でもないとごまかす。心臓はドキドキとこれでもかと鳴っていたけど、動揺を悟られないように平静を装った。  小さなローテーブルに置いたカップは、まるでケーキのようにたっぷり生クリームとその上にトッピングも乗っている。 「すげえな、何だそれ」  自分ではまず頼まないメニューに目を大きくすると、新作ですって、とメニューの説明をしてくれる。けれど、壮大がいた動揺でとてもじゃないが、説明は耳を素通りしてしまう。 「どっちがいいですか? こっちがおすすめですけど」  嬉々として話す宮下の説明を聞きながら、どっちにしても甘そうだと素直におすすめされたラテを手に取る。 宮下の手にあるのはよく似ているけど、上に乗ったトッピングの色が違って、更に冷たいフラペチーノらしい。  フラペチーノ、と言葉を聞いたことはあるけれど、それがどんなものかはピンと来ない。がまあ、よく冬にそんな冷たいもの食うよなってのが感想。もっと暖房ガンガンに入れた部屋でなら食べてもいいけど。  いただきます、と言いながらカップの上に盛られた生クリームをすくって口に運ぶ。ふわりとした甘いクリームが下の上で溶けて消える。 「甘いな」 「中のコーヒーは甘くしてないんで大丈夫だと思うんですけど」 「へぇ。なかなかこういうの自分じゃ頼まないから新鮮だな」  どうしたって、自分で頼む時には定番のシンプルなものにしてしまう。 「と思って、思い切りやってみました。結構美味しいんですよ、甘いのも」 「あの名前がなぁ」  メニュー表に書かれた大量のカタカナ名前を思い出す。あれを見ると、何がなんだかわからなくなって、普通のでいいやと思ってしまう。 「店員さんよく覚えられるし、言えますよね。あれ、舌噛みそうで」  おどける宮下に笑いながら、今度は直接口をつけて一口。確かにベースのコーヒーは甘くなくて、上に乗った生クリームが優しくてほっとする。  壮大を見かけた動揺が、少しだけほぐれた。

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