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第53話

 ──普通に、普通に。  自分にそう言い聞かせながら、普通を探す。  ちょうど宮下の影になって壮大の姿は隠れたけれど、どうしても気になってしまう。  チラチラと壮大を気にしながら、努めて宮下に集中しようとして、それ自体がもう気にしすぎだって、と自分でつっこんだ。  嫌なんだけどな、過去の恋人に拘っているとかそういうの。だけど自然と心臓はバクバクしてしまうし、視線は泳いでしまうし、会話に集中も出来なくて。  間違いなく言えるのは、これは未練じゃないっていうそれだけ。  壮大のことは気になるけど、一番はそういう自分を宮下に気付かれて愛想を尽かされるのが怖い。普通にしていたい。未練なんてないんだという態度でいたい。すぐそこにいる壮大なんて、今の俺には関係ないんだと説明したい。  そもそも宮下は壮大を知らないし、長く長く引きずった俺の未練みたいな、後悔みたいな、それだって知らない。このまま何事もなかったみたいにしていれば、何事もなかったまま通り過ぎるはず。昔の知り合いに偶然再会した、それだけの出来事。  ああでも、こんな事を考えているのが拘っている証拠で、気もそぞろな自分が恨めしい。できるならこの居心地の悪さを、未練があるからじゃないと説明したい。って、それが往生際悪いんだとわかってはいるけれど。  まさか、昔の恋人との再会でこんなに動揺するなんて思っていなくて、そんな自分に動揺するっていうか。他のやつ相手にはこんなふうになったことないんだけど……。  その、特別だと認めているみたいなのを宮下に知られたくないと思う。  一緒に見ようと約束した映画の話をして、やっぱりあの服も良かったなんて話をして、時間を過ごす。店のソファは適度に居心地が良くて、「ソファもいいな」とこぼしたら、今度インテリアショップに行ってみようかという話になった。  一緒に過ごすものを選ぶ幸福。先の約束。  それができるのが嬉しくて、動揺した心が癒される。  宮下が手洗いに席を立つ。  いつの間にか壮大たちは居なくなっていて、普通を装うあまり妙に疲れた自分に、これじゃ普通じゃないだろと苦笑した。でも壮大が席を立ったことに気付かずにいられたことにホッとする。  起こしていた身体をとさりと背もたれに預けた。やっぱりソファもいいよな。でも今の部屋には合わないし狭いから、やっぱりどこかに引っ越したい。  ぼんやり考えていると「あった。全く……」と、聞き覚えのある声が聞こえてドキリとした。  反射的に声の方に顔を向けると、居なくなったはずの壮大が戻ってきて、さっきまで座っていた場所の床から何かを拾い上げる。そのまま振り向いて、こっちを見て「あ」と声を上げた。  見つかった!  反射的にそう思ったけれど隠れる場所もない。  仕方なし「あれ、壮大?」なんて、今初めて気づきましたみたいな顔をして声をかける。 「梗平!? ほんとに?」  こっちの心中なんて気付きもせず、記憶よりもいくぶんかふっくらした顔で壮大が笑いかけてくる。けれど、その少し気の抜けるおっとりとした声や、豊な表情はそのままだ。  俺も「久しぶり」とぎこちなく笑って、でもそのぎこちなさは、壮大には気付かれなかったらしい。 「本当、久しぶり。今忘れ物したっていうから探しに来たんだ」  そう言う手にはいかにも女の子の好きそうな可愛らしいカードがあった。その何でもないただの再会を喜ぶ仕草にホッとして、でも遠くでずん、と心が重くなる気がする。かける言葉がみつからなくて、当たりさわりのない再会の挨拶を選んだ。 「そっか。元気そうだな」 「うん、梗平も。今日は一人?」 「いや、今席外してるけど連れと一緒で……」  何と説明しようか、むしろ説明する必要なんてないんだけど、と迷うと「恋人?」と声を潜められる。 「あー…、そう。今、席たってて」 「そっかぁ。……良かった」 「……ん。まあ、何とかやってるよ」  小さく笑ってもう一度「良かった」とこぼした壮大に、俺の頬も崩れる。 「ずっと酷いことしたって気になってて、ぜんぶ俺が悪いんだけど……」  視線を逸らしてしゅんとされると、何となくこちらが悪いことをしているような気になった。確かに長いこと引きずったし、落ち込みもしたけれど。でも今、壮大を見ても胸の痛みもないし、泣きたくもならない。  むしろ「俺は幸せだよ」と言いたいくらいで、壮とのことはとっくに過去にしてたんだと、改めて気が付いた。 「気にしなくても良かったのに。済んだことだし、仕方のないことだろ。壮大が幸せにやってるならいいよ」  話してみれば、笑って何のこだわりもなくそう言える自分におどろいて、でも何だかスッキリした。 「梗平……」  壮大が名前を呼んだところで、視界のすみに宮下を捉える。  こだわりはないけれど、宮下とはちあわせするのも何だか嫌で壮大を急かす。 「昔のことだし、いいって。家族待ってるんだろ。行かなくていいのか?」 「そうだ、行かなきゃ。ほんとごめんね。なんて今更言っても遅いんだけど……」 「いいって、もう気にしなくて。……その、俺もけっこう幸せにやってるんで」  早く話を切り上げたくて言ったのに、自分の言葉にじわりと顔が赤くなる。  なんだ、幸せって。朝から……いやここのところずっと幸せだと思ってるけど、改めて言葉にするとこそばゆくて頬がゆるむ。 「そっかぁ。……ほんと良かった。じゃ梗平、またどこかで、」  そう言って立ち去ろうとする壮大に「こんにちは」と戻ってきた宮下が笑顔で声をかける。 「加藤さんのお友だちですか?」 「あっそう、そうです。久々に会って……、ね?」 「そう、偶然会って」  びっくりして宮下を見上げた壮大が俺に視線を投げた。  ……言いたいことはわかる。  どうみても宮下とは親子って言われた方がしっくり来るし、顔はともかく、むかしの俺の好みは長身よりも小柄だったし……。  つまりは、これが本当に恋人か?と聞きたいわけだ。ちらりと宮下を見て、また壮大を見て、それだけで壮大は察してくれたようだ。  どんどん顔が赤くなりそうで、小さく深呼吸して平常心と自分に言い聞かせた。 「どうも、いつも加藤さんにお世話になってます。後輩の宮下です。壮大さん? さっき、名前が聞こえたので……」 「あっ、えっと、壮大です。どうも……。梗平の会社の後輩さん?」 「そうです」  にこにこと笑いながら丁寧にお辞儀をして名乗った宮下に、壮大はきょとんとして、それからあからさまに驚いて確認する。  まあ、それもわかる……。男と付き合うのに学生時代ならともかく、同じ職場の人間とかそんなのなかなかない。 「壮大、家族待ってるんじゃないのか?」 「あっ、そうだった……! ほんと梗平元気そうで良かった。また、話し聞かせてね! じゃ、宮下くん、せっかくだけどごめん、家族待たせてるから」  またね、と壮大が手を振ってそそくさと離れる。  壮大を立ったまま見送った宮下が「俺たちも行きますか」とうながして、俺も立ち上がった。そのまま横に並んで歩き出す。 「壮大さんて、同級生ですか?」 「いや、昔の行きつけの店の常連みたいな……。なんで?」  何か察したのかとドキドキして聞いた。 「名前で呼んでたので。仕事関係はみんな『加藤さん』だから」 「そういやそうだな。子どもの頃からの知り合いじゃないと名前で呼ぶこと少ないよな」  壮大とは店で出会った時から名前呼びだったから気にもしていなかったけれど、確かに下の名前で呼ばれることは少ない。  名前呼び、確かに気になるか。 「奎吾、って呼んで欲しい?」  隣の顔を見上げて聞いてみる。えっ、と驚いた顔をした宮下が俺を見て、それから照れたように口元をゆがませる。 「あの、俺も梗平さんて呼んでもいいですか?」  そんな──、真っ赤な顔してそんな可愛いこと言われても、嫌なんて言えるわけがない。  つか、そんな顔されたら俺も釣られてしまう。 「いいよ、呼んで。ただし会社では今まで通りな」 「わかってます。……きょ、梗平さん」  自分で言っておきながら、更に赤くなる宮下に笑う。  本当、こういうところ……、可愛いんだよな。

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