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第66話

 ゆさゆさと肩を揺すられて名前を呼ばれた。 「やっぱり寝てるじゃないですか。すぐですから移動しましょ」  案の定、シャワーを浴びて身形を整えた宮下に起こされる。動くのが面倒くさくてダダをこねると、子どもじゃないんですから、と子どもみたいに叱られた。  これを着てと服を手渡されたけれど面倒くさくて、一緒に寝たらあったかいから……と言ったら、問答無用で首に服を通される。  これをされたら面倒くさいっていう自覚はあったけれど、世話を焼かれているのが心地よい。  ……て、俺、本当に面倒くさいな?  ふ、と正気に戻って袖に腕を通す。のろのろと用意されたパンツを履くと、次はこれとスウェットを広げて準備されている。素直に子どもがされるみたいに着替えを手伝ってもらって服を着る。  宮下のこういう甲斐甲斐しさはとか腰の低さみたいなものは現代っ子っていうか、本当感覚が若い。って、年齢も若いんだから当然なんだけど、なんていうか年の違いというよりも世代の違いを感じる。  テレビでも新聞でも『イクメン』なんてもてはやされて、男も育休を取って当たり前なんて俺が同じ年代の頃はあり得なかった。自分で過程を持つことはないだろうから、どっちがいいなんてことは思わないけれど、宮下と結婚したら幸せなんだろうな、と漠然と思う。  優しいし、いつまでも礼儀正しくて俺のことを立ててくれるし、マメだし、愛情表現は率直で可愛いし。それにきっと子どもも好きだろう。  俺の世話を焼くように自然に子どもの面倒をみる宮下が容易に想像出来て、胸がもやついた。  そこのところは、宮下が好きでいてくれる気持ちを優先しようと決めているけれど、それでもつい考えてしまう。  もし、宮下が女と結婚したなら──?  昼に見かけた壮大の影響だろうか。  俺と付き合っていたあの頃の面影を残したまま、家族と一緒にいる壮大は幸せそうに見えた。それが表向きで、実際は見た通りだけではないことなんて充分承知している。それでも、  それでもきっと壮大は街中で奥さんと手を繋いで歩けるだろう。当たり前のように同じ家に帰って、そこで子どもの成長してゆく姿を見守るんだろう。周りの人も、それを当たり前に受け入れて、寄り添う家族をあたりまえの光景だと、特別な幸せだなんて思いもしないんだろう。  そういう平凡を与えられない、ということ。その重さごと全部受け入れようと思っても、それはことある毎にちくりと胸を刺してくる。  たぶん、これが年を取るってことなんだろうな。  若い頃だって誰かと比べてはひがんだり、妬んだり、時には優越感に浸ったりもしたけれど。今だってもちろんそれが無くなったとは言わない。だけど、不思議と焦燥感は無くなって、その重さを淡々と受け止めている。  人生が終わるような絶望感はないけれど、一歩ずつのその重さ、それが辿り着く先。  わかっているんだ。女と結婚なんてしなくても人生がきちんと進んでいくこと。子どもなんていなくても幸せだと思えること。  だっていま、俺が幸せなんだから。  子どもの頃はともかく、宮下と一緒に過ごすまでこんなふうに甘える自分なんて知らなかった。子どもみたいに全てを預けることで、こんなに心の中まで満たされるなんて知らなかった。  甘やかすことで愛しさを育てる。だけどそれは同時に、甘やかされることで信頼を育てているのかもしれない。  今まではきっと無意識にしてきたそれを始めて意識する。  愛情を育てるってのは、恋人でも、夫婦でも、親子でも一緒なのかもしれない。  幸せの積み重ね。その一歩いっぽ。  ふいに思いついたそれに、じわりと胸が熱くなる。  服を着たままぼけっとこたつに座り込む俺を放って、二人が眠れるようにベッドを整えて布団をめくり上げる宮下を見る。  年の差は確かにある。男女だって二十も違うと言えば怪訝な顔をされることもあるだろうし、もしかしたら結婚したいと言えば反対されることだってあるだろう。  男性が年上なら受け入れられるかもしれないけれど、女性が俺の年だったら、簡単に子どもを産んで家族をなんてことだって考えられないかもしれない。  それにもし、女性でも若くても子どもを授からなかったら、そっちの方が辛いのかも知れない。  そう思えば別に特別じゃないのだ。結婚しないことも、子どもを持たないことも。  それから、二人で愛情を育てて家族になってゆくことも。  今まで漠然と一緒にいたい、と思っていたことの答えを見つけたような気がした。今までも言葉の上では考えたことはある。けれど、初めて誰かと家族になりたいと実感した。  宮下とずっと愛情を育ててゆく、家族になりたい。  そう思った自分にびっくりして、だけどすとんと受け入れる。  他の人はどうかは知らないけれど、そう思えるのはきっとこの年になったから。今じゃ無ければ、宮下と出会っていてもそう思わなかったかも知れない。  ぱちりとこたつの電気を消して、ベッドに行きましょうと俺を誘導する袖口を引いて、屈んだ宮下にキスをした。  ぱちくりと驚くその表情に、笑顔がこぼれる。  胸に落ちてくる、すきだ、っていう感情。  たぶんそれがきっかけで、原動力で、大切なぜんぶ。 「よし、ベッド行く」  そのまま首に腕をかけて抱き付き、起き上がらせてもらう。身長はともかく、ちぐはぐな体重にふらつきそうになるのが可愛くて、なんだかいたずらっ子みたいな気持ちになる。  くすくす笑っていると、とさりとベッドに転がされた。 「もう、重いんですから」 「悪い、悪い。ほんと、ダイエットしないとな……」 「俺は、ぷにぷにしてるのも嫌いじゃないですけど」 「んー……、けどさ、長生きしないとって思ってな。宮下と生きて行くんなら、俺の方が二十歳も年上じゃん。六十歳のときに四十歳だろ、七十歳のときに五十歳だろ、俺が八十歳まで生きたって宮下は六十歳だもんな」  自分で言った言葉の重さに、少しだけ胸が痛む。俺からしたら六十歳なんてあと二十年もなくて想像できない程の未来ではないけれど。きっと宮下からは六十歳なんて想像できない程、未来の話だろう。 「じゃあ、俺が七十歳で宮下さんが九十歳、八十歳で百歳ですね。そう考えると案外年の差なんてない気がしますね」  あっけらと全く逆のことを言われて、つい笑ってしまう。確かに、八十歳と百歳じゃどっちも長寿のおじいさんだ。そう思えば心の重石なんて軽くなる気がした。 「そうだな、百まで生きればな」 「定年て何歳でしたっけ?」 「まあ、俺の時はだいたい六十五歳だろうな、きっと」 「うーん……。そしたらやっぱり時間が自由になる仕事に転職かなぁ。それか宮下さんが起業して俺もそこで働くとか?」 「なんだ、それ」 「宮下さんが仕事辞めたら、ずっと一緒に居たいなーって思って考えてたんですけど……」  余りに先まで一緒にいるのが当然みたいに言われて、思わず呆気に取られる。  しかも俺の定年て二十年後とか? それって宮下の人生ほとんどの時間と同じ長さだぞ。  そう言って笑いたかったのに、思わず胸が詰まってしまった。そんな先のことまで当たり前に言う恋人はなんて心強いんだろう。  時間に対する感覚が違うんだということはわかるけれど、それでもそう思ってもらえるのが嬉しくて。  それに今だって自分の思考に驚いたばかりで、俺は自分のことですらよくわかっていない。なのに宮下が何をどう感じているのかなんてわかるわけもなくて。  考えてもわからないことを杞憂するより、何年経っても少しでも長く一緒に居たいのだというその気持ちを、素直に言葉どおりに受け取る。  ベッドの上で転がったまま腕を伸ばして、宮下が来るのを待つ。自分の言葉の意味の重さと甘さに少しはにかんだ宮下が膝をついて、腕の中に宮下が納まった。  ふふ、と思わず笑いがこぼれる。  愛しくて、幸せで。  ずっとずっとこんな日が続けば、それはきっと幸せにな一生なんだろうと思った。

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