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最終話 新しい季節

「樹生さんのマッサージ、気持ち良さそうスね、翔琉さん」 「おお、まあな。樹生はプロだから。……お前らには貸さないぞ」 「……後でどんだけ翔琉さんにボコられるか、考えただけで怖くて無理っス」  試合前の練習を終え、思い思いに休息をとるサンダーズの選手たちはリラックスしている。翔琉とチームメイトの軽口を聞きながら、樹生は、床に寝転がった翔琉の怪我した方の膝回りを特に念入りにマッサージする。  翔琉はチームメイトに対し、樹生は自分のトレーナーで恋人だと、堂々と紹介してくれた。最初は戸惑いの目で見る選手もいたが、トレーニングに真剣に付き合い、試合前後の身体のケアをする献身的な樹生の姿に、みんなが一目置くようになるまで、それほど時間はかからなかった。  今日のサンダーズの相手は、因縁のウォリアーズ。今では樹生の過去の事情についても知るマネージャーが樹生に耳打ちした。 「三芳、こないだ他チームとの試合で負傷しましたよ。右脚ギプスで松葉杖です。どうも前回と反対側の膝前十字靭帯断裂みたいで」 「多いんですよね……。膝前十字靭帯断裂の患者が、反対側を痛めるって」  三芳のリハビリも担当していた樹生は、理学療法士の顔に戻って表情を曇らせた。  翔琉の試合前のケアを終え、お手洗いを済ませてアリーナへと戻る途中、ウォリアーズジャージに身を包み松葉杖をつく男の後ろ姿が樹生の目に留まる。……元カレの三芳だ。ハッと立ち止まると、視線に気づいた彼は振り返り、薄っすらと笑みを浮かべた。 「樹生、来てたんだ。岡田と付き合ってるんだってね。おめでとう」 「ありがとう。慎、右膝前十字靭帯痛めたって?」 「……うん。樹生、術後リハビリは継続が大事って言ってくれてたのにな。ごめん」  怪我が精神的にもダメージだったのか、三芳の頬は少しこけ、憔悴の色が滲んでいる。一度は好きになって付き合った相手だ。樹生は、いたわるように励ましの言葉をかけた。 「僕に謝る必要ないよ。怪我して一番辛いのは本人だもん。左膝の怪我は乗り越えたんだから、もう一度頑張って。できるよ、慎なら」 「樹生、幸せそうだね。大事にしてもらってるんだな。岡田のほうも『前にも増して男気(おとこぎ)が出た』って、チームメイトから頼られてるみたいだし。良い付き合いしてるんだな」  三芳の表情や声は淡々としていて、嫌味はない。樹生と付き合っていた時は、世間に向けて格好付けようと、いつも多少無理していた。その虚勢の張り方は可愛らしく、決して樹生は嫌ではなかったが。 「慎も少し変わったね。前より素直になったみたい。少しでも良いところをみんなに見せようとして頑張ってるとこも好きだったけど。今の慎となら、もっとうまく行ったかも」  素直に伝えると、三芳は苦笑した。 「マジか。……俺、良い彼氏じゃなかったよね。本当にごめん。言い訳みたいだけど、付き合ってた時、俺、本当に樹生が好きだったよ。気持ち確かめるようなことばっかしたのは、捨てられるのが怖かったんだ……。ちなみに、もう一回チャンスある感じ?」 「ふふふ。人のものになったら、急に惜しくなっただけでしょ? 万に一つもないよ」  含み笑いしながら共犯者のような眼差しで見つめると、彼は一瞬寂しそうな色を目に浮かべたが、すぐいつもの気障(きざ)な表情に戻る。 「じゃ、岡田が浮気したり、別れたりした時は、いつでも」 「翔琉は誰かさんと違って、寝た女の数を自慢するようなバカじゃないから大丈夫」 「うっ。今そこでディスられるとは」  古い友人同士のように軽口をたたき、二人は笑い合う。三芳とのことは、自分の中で完全に過去になった。樹生は感慨深く思った。 「そろそろ始まるよな。試合」 「……うん」 「じゃ」  くるりと背を向け、三芳はウォリアーズベンチの方向へと歩いていく。可能な範囲で裏方の仕事をやるつもりなのだろう。 (慎の怪我が治って、また一線で活躍する姿が見れますように)  心の中で祈りながら樹生が戻るのは、愛しい恋人が待つサンダーズのベンチだ。  恋人は、目を細めて樹生に微笑み掛ける。 「試合終わったらさ、引っ越し先、見に行こうよ。良い天気だし」  交際三か月を迎え、二人は同棲することにした。物件を契約したのは、つい数日前だ。(こと)(ほか)、翔琉は樹生との同棲を楽しみにしている。樹生は頬をほころばせた。  翔琉が樹生の勤め先に運び込まれて、早くも一年。あの日は、厚い雲が立ち込める暗い空から冷たい雨が降っていたし、三芳への未練を引き摺る樹生の心も暗かった。しかし今日は見事な五月(さつき)晴れだ。短いオフもしっかりトレーニングを積み、新しいシーズンを万全のコンディションで迎えられそうで、翔琉本人も樹生も表情は明るい。 「おーい、翔琉! 試合始まるぞ。イチャイチャも一旦終了な」  チームメイトから呼ばれた翔琉は、悪戯を見つかった少年のように肩を竦めて舌を出し、コートに向かって走り出した。その軽やかで確かな足取りを、樹生は見つめ続けた。              (完)

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