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炬燵と階段とかぼちゃと従兄弟

 炬燵は「ヒトをダメにする〇〇」に入るものの五位以内に絶対にランクインする。  日曜の朝九時半、リビングの炬燵に足をつっこんだまま、昴はそんなことを考えている。炬燵の前方には先月購入したばかりのテレビが鎮座しており、画面では未攻略のゲームソフトが展開中だ。  データが読みこまれるのを待ちながら、昴は自分が炬燵に対して暫定的に与えた「五位以内」という半端な数字のことを考える。ヒトを、ではなく自分をダメにするという意味では、とっくに一位を獲得しているのではないか。しかし同居人の神里は昴ほど炬燵にぞっこんではないようだ。それどころか、夜など「熱い」といって出ていくこともある。神里は自分よりもでかいから、その分発熱量も多いのだろう。  例年なら一度くらい雪が舞ってもいいころなのに、朝の空には雲ひとつなく、リビングには日射しがさんさんと注ぎこんでいる。エアコンと炬燵のコンボによって昴は心地よくぬくぬくしているが、廊下に出ると途方もなく寒いのだ。  リビングへ数年ぶりに炬燵が再導入されたのは、ここ一年ほどエアコンが挙動不審なことと、今年の冬は寒いらしいという天気予報のためだった。  この家は大家の意向で灯油を使った暖房器具を禁止されている。住人が神里と昴の二人だけになる前は、短い期間、リビングに当時の住民がお金を出し合って購入した炬燵が置かれていた。しかしやがて、席取りから光熱費の分担にいたるまで、炬燵をめぐる戦いが何度も勃発したのである。 「炬燵戦争」は二度の冬にわたって断続的に展開され、炬燵で論文を書きたい住人とゲームをしたい住人のあいだに深刻な亀裂を生んだ。結局、炬燵がなくてもなんとかなる神里が休戦を提案し、最後は「共有スペースに炬燵は置かない」という協定が結ばれて、落着したのだった。  それからずっと炬燵は納戸にしまいこまれていた。しかし先月、神里とふたりで大画面テレビを購入した際、エアコンの調子が悪いことが話題にあがった。電気屋の店員はここぞとばかりにエアコンも買わせようとしたが、昴と神里の家はいつまで住めるかわからない借家であり、エアコンの購入には慎重であるべきだ――という話になって、その結果「炬燵」の存在が思い出されたのだった。  結論として、冬と大画面テレビと炬燵、そして休日の組み合わせは最高だった。昴は軽快な音楽に乗ってコントローラーを操作するが、音量は絞り気味だ。ときどき天井のあたりでピシッ、ミシリ、ドン、と音が響く。最初のふたつは古い家が軋む音で、最後のひとつはたぶん神里が鳴らしたのだろう。  昴はテレビ画面に視線をすえたまま、コントローラーをピコピコ操作する。上の方からまた、トンットンットンットンと音が響き、近づいてくる。あれは神里が階段を降りる音だ。神里の足音はやたらと響く。  途中で一回止まったと思ったら、すぐツトトト……と軽快な足音になって、リビングの戸ががらりと開いた。 「宅急便、昴が受け取ったのか?」 「うん。それで目が覚めた」  昴は画面をみつめたまま答える。 「何時に来た?」 「八時半」 「朝の?」 「最近は早いらしい。おまえの代わりに受け取ったから1ポイントな」 「ああ……そうだな」  神里の実家から荷物が届くのは予告されていた。ルールとして、各自の荷物はできるだけ各自が受け取ることになっている。代わりに受け取った者には、エクセルの戦績表――いや、家事分担表に1ポイントが追加される。  神里は両腕に抱えた段ボールをドサッと炬燵の端に置くとガムテープを剥がしはじめた。  昴はわずかに肩を傾ける。神里の体は存在感があるので、なんとなく集中がそがれる。いや、以前はそんなことは思わなかったのだが、ここ一年ほど、神里について前とはちがう方向で「気にしている」自分に気づくのだ。階段を降りるとか、玄関で靴を履くとか、そんな些細な物音が聞こえるようになったのも、それ以来だと思う。  神里の実家から送られてきた荷物にはみかんの絵が描いてあるが、何度も使いまわされているのが明らかなので、中身はちがう可能性が高い。神里には季節ごとに荷物が送られてくる。昴はコントローラーを弄るのをあきらめた。 「それ何?」  神里は丸めた新聞紙を炬燵布団の上に転がした。 「かぼちゃだな。それにゆず」 「かぼちゃ?」 「小豆の缶詰もはいってる。冬至と……正月用だな」  昴には意味がわからなかった。 「なんで」 「いとこ煮を作れってことだろう。このまえ帰った時に料理の話になって、そんなことをいわれた」 「は?」 「かぼちゃのいとこ煮だよ。小豆とかぼちゃを一緒に煮たやつ」 「従兄弟?」  生まれてはじめて聞く言葉に、昴はつい「はあ?」と声をあげてしまった。 「鶏肉と卵、鮭とイクラで親子丼になるのはまあわかる。でもかぼちゃと小豆で従兄弟だって? そりゃないだろう。いくら植物が交雑しやすいっても、系統図を考えてみろ」  神里は手をとめてまじまじと昴をみつめ、それから吹き出した。 「いいじゃないか、かぼちゃと小豆がいとこでも。どうせ昔ついた名前なんだし」 「ほんとにそんな名前の料理があるのか? 神里の実家で適当に呼んでるだけなんじゃないのか」  昴は用心深く問いつめた。これにはいくつか理由もある――自分の無知をいいことに不正確な知識を教えられているのではないかと思ってしまうのである。そもそも昴は自分に世間的な、あるいは家庭的な常識がかなり欠落しているのを自覚していた。神里はそれを知っていながらときおり適当なことをいうから、警戒が必要なのだ。  ところが神里はゲラゲラ笑いだした。 「そんなことないって。実家だけじゃなくて親戚のうちでもいとこ煮っていってた。疑うなら検索しろよ」  もっともだ。昴は炬燵布団の上に転がっているスマホをつかみ、タップする。いとこ煮、と入れただけでいちばん上にレシピサイトがあらわれた。 「ほらな」  神里が得意げな顔をしたが昴は無視した。レシピには興味がないので、由来が書かれたサイトを探す。 「いとこ煮とは……あずきと野菜の煮もので、神仏への供物を集めて煮た行事食が始まり――」 「ほらほら」 「へえ。かたい材料から順に入れて煮るのか。『おいおい(甥)、めいめい(姪)にかけたごろ合わせが名前の由来ともいわれています』」 「おいおい、めいめいだって」  神里はケタケタ笑った。「それどこに書いてあんの」 「日本うま味調味料協会」 「見せろよ。そんな団体があるのか」  神里が手元をのぞきこんできたので、昴はぱっとスマホをもつ手を離した。同居人のこういう動作が最近どうも昴の集中をそぐのだ。別に今は何に集中もしていないが。 「ようするにかぼちゃを煮て、缶詰の小豆とあわせればいいんだろ」 「作るの」 「せっかく送ってきたからな……昴はかぼちゃ、好きだっけ?」 「わからない」昴はまずそう答えて、すこし考えた。 「嫌いじゃないと思う。正確にいえば好きとか嫌いとかいうほどの興味がない」 「まあ、そうだよな。ゆずは風呂にいれるか」  神里は昴の返事に対して特に何も思わなかったようだ。とりあえず食うよな、といいながらみかん箱を抱えるとキッチンへ行った。昴はテレビ画面を眺めた。軽快な音楽が流れる中、水色の髪をしたRPGの主人公は道の真ん中で立ち尽くしている。キッチンの方から水の流れる音が聞こえる。  そういえば昴はまだ朝飯を食べていない。宅急便に起こされたあと炬燵に入ってそのままゲームをはじめてしまったからだ。神里の朝飯を分けてもらうと宅急便ポイントも相殺になるが、分けてもらえるならその方がいい。  神里とはこんな調子で何年も暮らしている。この家の元住人たちにはあいかわらず「おまえらほんと仲がいいな」と感心されている。先日、昔の住人も含めた鍋会をこの家でひらいたのだが、スーパーに買い出しに行った時の様子を他の連中がみて、そんな話になってしまった。  はたからみると「仲が良すぎる」らしいのだが、もう何でもいいんじゃないか。最近の昴はそんなことを思っている。神里と同居するスタイルが自分にあまりにもぴったりしていて、今のところ、急にこれが終わったらどうなるのかも想像できないのだ。  とはいえ、永遠にこの家に住んでいられるわけではない。地方赴任している家主が帰ってきたら、取り壊して建て替えるはずで、それは来年だったか再来年だったか、あと十年二十年こうしているわけでもない。  いつごろだったか、神里となんとなく妙な雰囲気になったことがあった。  今はそんなこともない――のだが、昴が神里を前とはちがう風に「気にかける」ようになったのはそれからだ。 「昴、飯は?」 「食う」  神里が呼んだので昴はキッチンへ行った。コーヒーと昨夜のおかずの残りがテーブルに出ている。トースターの中でパンが炙られているので、昴は冷蔵庫をあけてジャムとマーガリンを出した。神里はかぼちゃを調理台に並べている。昴は椅子に座り、トーストができるのをぼんやり待った。 「どうした?」  神里がたずねた。 「なにが」 「ぼうっとしてるから」 「べつに。ここに住めなくなったらどうしようかって思ってた」 「何をいきなり。他のところ探すしかないよなあ」  神里は昴に背を向けたまま、のんきな声で答えた。 「俺と昴の会社の中間くらいで探すといいんじゃね?」  完全に同居が継続する前提の発言に昴はめんくらった。 「ここを出てもまだシェアするの?」 「え、」神里がふりむいた。「昴はその気なかったのかよ」 「あ、その……神里がいいならいいけど……」昴は口ごもった。「ほらその……なんでもない男二人でずっと同居って」  トースターがチンと鳴った。神里は皿をテーブルの上に滑らせながら「じゃ、なんでもなくなければいいのかよ」といった。 「だから……僕んとこはいいけど、そっちは家族に何かいわれたりしないのかって思っただけだ」 「ああ、どうもそういう疑惑があるらしい」  神里はシャリシャリとマーガリンを塗りながらさらっといった。 「疑惑?」 「ずっと友達と同居してうまくやってるっていったら、付き合ってんじゃないかって」 「は?」 「前に実家帰った時に、自炊するかって聞かれてさ。料理とかエクセル表の話していたら、うちの母親と妹がハマってるBLドラマの話になって」 「はあ」 「男同士のカップルが料理を作る話」 「……」 「母と妹に滔々とそのドラマにどれだけ萌えるか語られたんだが、結論としてはおまえがどんな生き方をしても幸せならそれでいいと」 「……」 「昴、そんな怖い顔するなよ」  神里はトーストを口の中に入れたままいった。 「なんでもいいだろ。うまくいってるんだから」 「食べながら話すなよ」  何と答えればいいのかわからないままそういうと、神里は叱られた子供みたいな目つきで口をもぐもぐさせている。昴はトーストにジャムを塗りながら、世間というのはよくわからないものだと思った。神里の家族は昴にとって「大いなる世間」なのである。ともあれ、当面は世間の目を理由にこの同居を解消する必要はないらしい。  トーストを片づけおわると昴は皿を洗うために立った。神里は座ったまま自分のスマホを検索していた。「かぼちゃのいとこ煮」のレシピを探しているらしい。かぼちゃと小豆が従兄弟だなんて、ようするに他人ってことじゃないか? 皿を洗いながら昴はそんなことを考えている。

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