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エクセルの更新(1)
紫色の髪を逆立てた眉毛の太い筋肉男が奇声をあげ、目にも留まらぬ速さで両足を回転させて技を決めた。
神里友佑は読みかけの本を開いたまま、テレビの前でコントローラーを操作する同居人を眺めた。何度かやりなおしていたゲームのステージをクリアしたようにみえるのだが、栖原昴は特段の表情もうかべることなく指を動かし続けている。
昴はゲーマーだ。少なくとも神里の基準ではそうだ。
神里は反対に、実家を出てからはまじめにゲームを遊んだことがほとんどない。しかしゲームを遊ぶ人間をみるのはけっこう好きだった。ゲームはプレイするのではなく見るもの。何かのはずみでそういって、昴に眉をひそめられたことがある。
もっとも昴が嫌そうな顔をしたのはそのときだけだし、神里が横に座ってゲーム画面をみていても、特に迷惑している様子はない。
七月末、日曜日の夜である。すでに猛暑日が数日続き、古い木造二階建ての家はじりじり熱を貯めていた。太陽光線は悪の親玉で、リビングの窓には遮光カーテンを下ろしっぱなしだ。一日中どこかの部屋のエアコンが稼働し、キッチンは暑いので朝もリビングで食べている。
神里は本を閉じ、二階に上がった。自分の部屋のエアコンを入れてから階段を降り、洗面所に行って歯ブラシをとる。歯を磨きながらリビングをのぞくと、昴はまだゲームに集中していた。
この家は、今風の数え方をすれば5LDK+2S――と表記するのだろうか。一階に広めのリビングと台所、廊下に沿って風呂トイレ洗面所と納戸、奥にもうひとつ、付け足したような畳の部屋がある。二階には畳敷きのニ部屋とフローリングの二部屋、それに一階よりも小さめの納戸がひとつ。
もっとたくさん人が住んでいた時は、二階の四部屋すべてのエアコンが生きていたが、今は昴と神里が寝る二部屋だけである。それぞれの「趣味部屋」として使っている二部屋のエアコンは、かつての住民が出て行ったあとに壊れてしまった。いきおい夏はふたりともリビングか自分の部屋か、どちらかにこもることになる。
神里の部屋のエアコンは他の部屋よりも新しい。二階にもう一度上がるとまずまず快適な温度になっていた。ハーフパンツを脱ぎ、トランクスとTシャツで布団に寝転がる。スマホでニュースを読むうちに、いつのまにか眠ってしまった。
三時十五分に目が覚めた。
時間が正確にわかったのはスマホを握りしめていたせいだ。エアコンは夜間モードで健気に動いていたが、神里の喉はカラカラだった。面倒臭さと戦ったあげく、起き上がって部屋を出る。もう月曜日になった丑三つ時、昴はとっくに寝たにちがいない。神里は足元灯を頼りに蒸し暑いキッチンへ行き、冷蔵庫をあけた。自分用のスポーツドリンクをごくごく飲み干したとき、うしろでカタリと音が聞こえた。
オカルトを信じるたちではないのだが、神里はぎょっとしてふりむいた。
「昴か。びっくりした」
冷蔵庫の光に照らされた昴の顔は怪談に登場しそうな白さだった。膝まである長いTシャツの下から白い脛がのぞいている。
「氷欲しいんだけど」
「氷?」
「うん」
麦茶でも飲むのかと思ったら、昴は氷を二重にしたビニール袋に入れている。
「どうしたんだ?」
神里がたずねると、昴は表情も変えず「エアコンが動いてない」といった。
「え、それまずいだろ」
「氷で冷やそうと思って」
「そんなんで大丈夫か?」
昴は答えなかった。ビニール袋の結び目を握り、振り回しながら行ってしまった。
本人が大丈夫というのだから、まあいいか。
トイレに行って二階にあがったが、昴の部屋は真っ暗だ。神里はエアコンの効いた室内に戻った。布団に横になるとあっという間に眠ってしまう。
月曜日の朝になっても、昴はなかなかあらわれない。
昴が月曜の朝に弱いのはいつものことなので、神里は気にしなかった。牛乳パックを冷蔵庫から出し、タンパク質増強が売り物のグラノーラの袋と、皿とスプーンをリビングに運ぶ。台所は蒸し暑くて、朝食を食べる気分になれないのである。
最近の神里はグラノーラに凝っている。こんな天候では朝から火を使って朝食を作る気にもならないし、食物繊維その他の栄養素も入っているし、意外に腹持ちもいい。さらに色々なメーカーが色々な種類の商品を販売しているから、あれこれ買って食べ比べているところだ。
「おはよ」
昴がくたびれた顔でリビングをのぞいたので、神里は口をもぐもぐしながらいった。神里とちがい、昴はまだTシャツ姿だ。グラノーラと牛乳パックをちらっとみて、ぐったりした顔のまま廊下に消える。神里はその時になってやっと夜中のことを思い出した。
「エアコンは?」
ふたたびリビングにあらわれた昴にたずねると、無表情で首をふる。
「帰って様子みる」
「昴の部屋の、古いタイプだよな。前から調子悪かったか?」
「気づかなかった」
よく眠れなかったにちがいない。今度は不機嫌な口調でそういって、昴はリビングの戸を閉めた。次に開けた時には皿とスプーンを持っていたので、神里はグラノーラと牛乳を昴の方へ押しやった。昴は気乗りのしない様子でグラノーラを少しだけ皿に入れ、牛乳を注いだ。
「もうだめかもしれない。お釈迦になったかも」
スプーンでかき回しながらぶつぶついったので、神里は思わず「お陀仏ともいうな」と返した。昴はしげしげと神里をみかえす。
「自分が仏教国に住んでいる実感がわくね」
「月曜の朝から何いってんだ。エアコンなくて眠れるか?」
「さあ」
「今晩も動かなかったら、ここで寝たらいいんじゃないか」
神里は顎でリビングのエアコンをさした。
「ここね」
昴はなんとなく不満そうだ。
「帰ってから決める」
――といったものの、結局その日の夜も昴の部屋のエアコンは動かなかった。電気屋に修理を依頼するにしても週末まで待たなければならない。
月曜の夜、昴は納戸から扇風機をひっぱりだし、氷の袋と共に自室へ消えたが、火曜の朝になるとさらに消耗していた。やっぱり下で寝ればという神里に不承不承うなずいたのは水曜日の夜である。昴はタオルケットと枕を持ちこみ、リビングのソファを占拠した。
ところが間の悪いことは重なるものだ。土曜日の昼間、今度はリビングのエアコンが壊れたのである。
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