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番外編 晴れて風なし
正月飾りとはこんな形だっただろうか。
一月一日の夕方、栖原昴は玄関の鍵をあけながら、正面にかけられた縄の輪をみつめてふと考えこんだ。一昨日の朝ここを出たときに自分で鍵をかけているのだから、同じものをみているはずだ。それなのにちっとも見たという記憶がない。鍵をかける寸前にスマホを忘れたのに気づいて取りに戻ったから、そのせいだろうか。
それにこれをドアに飾ったのは同居人の神里だ。昨年、といっても五日前の十二月二十八日のことである。神里はその後すぐ北海道の実家へ帰省して、戻るのは三日の夜中だろう。
昴は静かな家に入って靴を脱いだ。習慣で「ただいま」といいかけてやめ、リビングの電気をつけて暖房を入れる。神里が帰省した次の日に大掃除をしたので部屋の中は片付いている。テーブルに鎮座する鏡餅(プラスチックの型に丸餅が入ったもの)は神里がスーパーで買ってきたものだ。鏡餅といい正月飾りといい、まめな男である。自分は三が日いっぱい帰省しているくせに。
年末年始や盆になると、実家が遠方にある神里の方がちゃんと帰省しているのは妙なものである。昴の実家は在来線で三時間もかからないが、帰省してもどうせ父ひとり子一人で親戚づきあいも少なく、子供の頃の友人もほとんどは地元を離れている。父親と仲が悪いわけではないのだが、地元に帰っても暇だから長居はしない。
今回は三十日に実家へ行って墓の掃除や買い物、さらに年賀状の宛名書きを手伝い、昨日の大みそかはテレビやネットの配信番組をみて、年が明けて今朝は父親が作った雑煮を食べ、昼まえに地元の小さな八幡社へ初詣に行き、数少ない親戚である叔母と合流してみんなで回転寿司を食べ、そのまま帰ってきた。
部屋が暖かくなってきた。昴はテレビの前にすわり、リモコンをぽちぽち押して正月特番をいくつか眺めたが、思い直してゲーム機のコントローラーにもちかえた。昨年からやりこみ中のゲームを再開したが、どうも気分がのらない。サウンドトラックと効果音はいつもと同じなのに、静かだと感じるのだ。
そういえばここへ引っ越してからというもの、休日に昴がゲームをするときは神里が近くにいるのがデフォルトになっていた。昴にはさっぱり理解できないが、神里は常日頃から自分はゲームの「見る専」だと宣言している。といってもネットのゲーム実況には興味がなく、昴がプレイするのを見るだけだ。手こずったステージをクリアしたあとなどは昴の隣でうなずいていたりする。
昴にしてみれば自分の成果でもないのにいったい何に満足しているのかと思うのが常だったが、今のように一人で画面を眺めていると、どうも物足りない気がする。
ぼうっとしているとスマホが揺れた。メッセージアプリに初日の出のスタンプ。神里だ。律儀なやつだ、と昴は思う。こっちも元旦らしいスタンプを探したが、これというものがみつからない。
昴はスマホと鍵をつかんで立ち上がった。そろそろ腹が減ってきたが、料理をするのも面倒くさい。今日は元旦だ。働かなくていい日だ。コンビニに行こう。
コンビニの惣菜コーナーではおせちセットの小さなパックが売られていたが、昴は買わなかった。実家の父も定番おせちは用意しなかった。父子そろっておせちはあまり好きではないのだ。
キャリーケースも重ければ両手にぶらさげた袋もずっしり重い。こんなことなら宅急便で送ればよかった――となかば自分を呪いながら神里友祐は玄関ドアの前に立った。
天候がいまいちで飛行機の出発が大幅に遅れ、予定よりずっと遅くなってしまった。ドアには鍵がかかっている。ポケットをごそごそ探っていると、突然ドアが勝手にひらいた。
「おっ?」神里の口からは間の抜けた声がもれた。
「昴、なんでわかった?」
「音」
昴の手がキャリーを指さし、神里は段差を越えるたびにキャスターがうるさい音を立てたのを思い出した。だが、昴はまだ何かいいたいことがあるような顔で神里をみている。
「おまえ帰るの今日だったっけ?」
「え? 二日に帰るっていったろ?」
昴が変な顔をしたように思ったが、神里は気にせず、よっこいしょ、と年寄りくさい掛け声をかけながらキャリーと袋を中に入れた。冬の北海道から戻ると東京の家の寒さにはびっくりさせられるものだが、リビングは廊下とうってかわって暖かい。テレビに映っているのは去年の大河ドラマだ。リアタイでは一度もみなかったが、大みそか、実家で録画をみるよう親ときょうだいに強要された神里にはすぐわかるのである。
「あれ配信? 昴、大河みるんだ」
「ああ、うん。けっこう面白くて」
「実家で途中までみててさ。俺も見たい。ずっとゲームしてるかと思った」
昴はもの言いたげな目つきでみたが、神里はおみやげの袋をがさがさ鳴らしてテーブルにあけた。
「たくさんあるな」と昴がいった。
「親に持たされたんだ。餅とか黒豆とか海苔とかお菓子とか。酒とハムとソーセージも。重かった」
「送ればいいのに」
「何か食う? おせちも少しある」
神里の実家は毎年大量のおせちをつくる。数の子、黒豆、栗きんとんは神里の好物なので、ありがたくもらってかえったのである。しかし昴はそっけなく首を振る。
「いらない。あまり好きじゃない」
「やっぱり」
「わかってるなら聞くな」
昴はそういって吟味するようにテーブルの上を眺め、サッと手を出してチョコの箱をとった。神里は昴と並んでテレビの前に座った。実家は両親にきょうだい、甥姪やいとこたちも集まって騒がしいことこの上なかったので、ふたりだけの静けさにほっとさせられる。昴はぽりぽりチョコを食べながらテレビをみている。大河ドラマは面白かったが、神里はだんだん眠くなってきた。疲れていたにちがいない。それに隣の男に肩と膝がくっついているせいか、もたれるのにちょうどよくて、気持ちがいい。
「寝るのかよ」
昴がぼそっとつぶやいた拍子にハッと目が覚めた。
「寝るなら歯を磨けよ」
「昴は?」
「僕はまだ」
一応目を覚ましているつもりだったが、神里のまぶたはまたくっつきそうになっている。もたれたままぼそぼそと喋った言葉の意味を自分でも深く考えていない。
「昴、寝るときは俺の部屋で寝ろよ」
「なんで」
「ベッドが大きいだろう」
「おまえがいたら狭い」
「大丈夫だって。そういやまだ挨拶してないな」
「は?」
「あけましておめでとう」
とたんに昴は吹き出し、神里の首をぺちぺち叩いた。昴の手はひんやりして気持ちがよかった。そのまま顔を傾けるとなんとなく唇が触れあった。チョコの味がした。
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