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番外編 北海道づくし

 昴と神里の住居は「ダグウッドハウス」と名付けられた集合住宅である。閑静な住宅街の中にあり、二階建てのテラスハウスが二棟並んだ敷地はハナミズキの木に囲まれている。スーツケースを転がしてその横を通りすぎると、てっぺんのあたりで忙しい羽音が響いた。 「なんだあれ」と昴がいった。 「鳥だろ」 「なんで鳥が?」  神里は白っぽい灰色の枝を眺めた。飛び立った鳥たちは一本向こうの木の梢へ移動し、枝の先端をつついている。  ハナミズキは漢字で「花水木」と書き、英語ではdogwoodという。春はピンクや白の花(木によって色がちがう)が咲き、秋はきれいに紅葉する。東京では街路樹などで時々みかける樹木なのだが、神里はここに引っ越してくるまでまったく意識したことがなかった。一月の今はすっかり裸になり、白っぽい灰色の枝の先端に白く丸い実がついている。 「実を食ってる」 「実」  昴はオウム返しにいった。「人間も食える?」 「さあ。ナナカマドみたいなやつじゃないか」 「ナナカマド?」 「雪が積もるころに赤い実がつくんだ。鳥はいいけど人間には毒だから口にいれるなって、子供のころ親にいわれた」 「それ北海道の話?」 「そう。赤い実がなってる木、見なかったか?」  昴はきょとんとした顔をして「気づかなかった」といった。ま、そうか。神里だって、何かきっかけでもないかぎり、知らない土地の街路樹をじろじろ眺めたりはしないだろう。とはいえ、北海道から東京にちょうど帰ってきたところで、ここには生えていない木の話をしているのもすこし可笑しい。  年末の三十日から一月四日の今日まで、昴とふたりで神里の実家へ行っていたのである。両親はこっちで昴に会ったことがあるが、他の家族や親戚は初めてだったし、母親はせっかくだからと毎日どこかへ行きたがり、父親は昴を相手に年末年始のお笑い番組レビューをやりたがる――といった具合で、なんとも忙しない年末年始だった。  定番の観光地である旭山動物園でペンギンと散歩するのもやったし(昴は道民のいう「冬靴」を持っていなかったので、神里が高校生のころ履いていた靴をずっと履いていた)夜は入籍や結婚式はどうするのかという真面目な話もあって、なかなか濃い数日だった。  が、こうして帰ってきた以上、今はとりあえずダラダラしたい。たぶん昴も同じ気分だろう。これと理由はいえないが、なんとなくわかるのである。  神里がスーツケース二つをもちあげて玄関前の段差を越えているあいだに、昴は鍵をあけている。ドアには出発前にぶら下げた正月飾りがかかっていて、ポストに輪ゴムで束ねた年賀状が入っていた。  神里にとっては玄関に入ってもまだひんやりと寒いことが「東京の冬」を実感させる。いまや遠い昔のように思えるが、大学に入って一、二年ほどは東京には冬がないような気がしていた。雪が降らないし積もらないからである。そのくせアパートの部屋は北海道の実家よりはるかに寒いのが不思議だった。  そんな「冬」にも今はすっかり慣れているが、今日はドアが閉まったとたん、いつもは意識しない匂いを嗅いだ。いい匂いではないが悪臭でもない、この家の匂いだ。  昴がさっさと靴をぬぎ、リビングの暖房を入れた。神里は母親に空港で渡された紙袋を持っていった。おみやげに持って行けとおしつけられたものだが、ホチキスで口が閉じられている。 「それ、何が入ってるんだ?」  昴がダウンを脱ぎながらいった。 「軽いからお菓子じゃないか? とうきびチョコとか。腹へったし、開けて何か食おう」  神里は無造作に紙袋の口を引っ張る。バリッと音がしてホチキスの針が飛んでいき、昴が顔をしかめて拾い上げた。持つべきものは神経質な同居人である。いちばん上に入っていたのは予想通りとうきびチョコだったが、その下には『白い恋人』や『六花亭』『き花』のパッケージが見える。 「いろいろ入ってるな」と昴がいう。 「おふくろと妹の意見が一致せずにいろいろ詰めこんだとみた」 「ジンギスカンはなし?」 「冷凍になってしまうからな。昴、ジンギスカン気に入った?」 「店で食べたのはすごく柔らかかった」 「あれは特別だ。家じゃふつうはあんな肉食べないんだ」 「ふーん」  チョコやお菓子もいいが、今はもうちょっと「どうでもいいもの」が食いたい。そう思いながら箱をひっぱり出すと、一番下にちょうどいいものが入っていた。神里は四角いカップめんをふたつテーブルに並べ、紙袋を畳んだ。 「やきそば弁当食わない?」  昴は返事をしなかった。北海道限定の文字をじっとみつめている。 「昴?」 「どうして弁当なんだよ。カップ麺なのに」 「……四角いからだろう」  昴がまだ不審そうな顔をしているので、神里はつけくわえた。「スープもついてるんだ」 「それなら『やきそば定食』の方がいいんじゃないか?」 「定食ならご飯と小鉢か漬物がないと」 「やきそばが主食なのにご飯がいるのか」 「定食なら、っていっただろ。それで弁当なんだって」  神里は口から出まかせにいったのだが、昴は急に納得した表情になった。 「なるほど」 「それで、やきそば弁当食う?」 「食う」  神里はやかんに水を汲んでコンロにかけた。実家に帰る前に空にしていったから、電気ポットも冷蔵庫もすっきりしすぎている。やかんからうすく湯気が立ち上りはじめる。換気扇の音以外は何の雑音もなく、やけに静かだった。  実家はずっと人が出たり入ったりして、昼も夜もざわざわしていたせいか。これはこれで「正月」という感じだ。昴とふたりの正月。  そう思いながら横をみると、昴はやけに神妙な顔でやきそば弁当のパッケージを読んでいた。  そういえばこのカップ麺、こっちのスーパーじゃめったに売ってなかったか。 「北海道づくしか」  何気なくつぶやいたのに、昴はすかさず「何?」と聞いてくる。 「何でもない」  こうして二人の一年がはじまる。

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