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番外編 道民の誇り

 泡立てた洗顔フォームを顔に塗りたくったとたん、ピンポンとチャイムが響いた。  昴は洗面所から出ていくべきか少し迷った。いや、正確にいえば計算した。  日曜の九時半である。宅急便でも来たのか。仮に運送業者だとしたら、うっかり待たせて不在票を入れられたくない。しかしこのタイミングで玄関へ出るには――  一、急いで泡を洗い流す。二、手と顔を拭く。三、Tシャツを取って着る(昴はパジャマのズボンをはいているだけだった)。  神里はどこだ? 昴がトイレに行ったときはまだベッドにいたが、今はリビングにいるかもしれない。それなら自分が洗顔フォームを洗い流しているあいだに玄関へ出るだろう――と、そこまで考えるのに何秒要したかは不明ながら、昴の予想は当たった。 「お荷物です」 「はい、どうも。サインしますか?」 「このままでいいですよ」  ドアを閉める音がして、神里の足音が廊下を通りすぎていく。昴はそのまま顔を洗い、Tシャツに着替え、鏡を見ながら歯を磨く。いつもの手順だ。  ドアの外で足音が響いた。 「昴、中か?」  昴は歯ブラシを咥えたまま、ドアを内側から叩くことで返事をする。口をゆすいでドアをあけると神里はもういない。キッチンに行くとテーブルの前で段ボールをガサガサ開いているところだ。 「何?」 「親からなんかきた」  昴は何もいわずに神里の手元をのぞきこむ。蓋をあけたとたん、新聞紙のインクと、かすかな土の匂いがした。 「おいおい、何キロ送ってきたんだよ」  神里が呆れた声でつぶやいた。中身はジャガイモ、それだけだ。かなりの量がある。 「北海道産だな」 「そりゃそうだ。道民だからな。多いな……しまう場所を考えないと」  神里が首をひねったので、昴はおもわず「なんで?」とたずねた。 「へんなところに置くとすぐ芽が出てくるんだよ」 「カレー何回か作ったらなくなりそうだけど」  そう昴が指摘したのは、最近神里にカレーブームが来ていたからだ。スパイスの効いた激辛カレールーがうまかったといって、週末のたびに違うメーカーのものを試していた。 「それがさすがに飽きたんだよな。二週間前に送ってくれればよかったのに」 「もらっておいて何いってるんだ。とりあえず朝飯にしようぜ」 「あさめし……」神里は段ボールと昴の顔を交互にみた。 「昴、ジャガバター食う?」 「ジャガバター?」 「そうそう、道民の誇りにしてお土産ランキングベスト3のジャガバター」 「そんなすごいんだ?」  昴は真面目に聞き返したが、神里はけろっとした顔で「さあ。適当にいってみた」といった。なんだよ、と昴は思った。これだから地元民は。 「まあいいや。食べる」 「よし」  神里はシンクの前に立ち、ジャガイモを洗いはじめた。昴は二階へ着替えに行った。神里の部屋のドアは開けっ放しで、ベッドは起き抜けのままだ。窓をあけて換気していると、下から呼ぶ声が聞こえた。  キッチンに戻るとコーヒーの香りがしている。神里は背中を丸くして、オーブントースターからアルミホイルの包みを皿に乗せているところだ。  ホイルを破ったとたん、ふわっと湯気があがった。ジャガイモには十字の切れ目が入っている。神里はテーブルナイフとフォークで切れ目を広げ、バターをあいだに落とした。茶色の皮がめくれて、薄黄色の肌がみえる。 「塩とかバターとか、あとは適当な」 「オッケー」  昴はいそいそと皿の前に座った。あつあつのイモの表面を溶けたバターが流れていく。一振りした塩の粒がきらっと光った。 「うまそう」 「俺が作ったから当然」  向かいあって座った神里はどことなく自慢げな顔をしている。ついさっき、二週間前に送ってくれればよかったとか言ってたくせに。でも今はバターの香りの方が重要で、それは神里も同じなのだ。  バターまみれのジャガイモは口に入れるとほくほくして、ほんのすこし甘かった。

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