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 話し終えた兄は笑う。 「というわけだ。……お前たちもここ暫くゆっくりする時間がなかっただろう。今夜は俺がこいつの面倒を見るから、お前たちも次の任務まで好きに過ごしたらいい」 「了解〜」 「……分かりました」 「……ああ」  上からモルグ、ナハト、ノクシャス。  いつもと変わらないモルグに対し、ナハトとノクシャスはまだどこか不貞腐れた様子だった。  そんな二人に気付いたのだろう、兄は「ナハト、ノクシャス」と二人の名前を呼ぶのだ。  名指しされた二人の顔が再び強張る。 「……はい」 「二人が仲良くなるのはいいが、あまり良平の前で喧嘩はするなよ」 「……元はといえば、そこのノクシャスの馬鹿が言い出したんです」 「あ゛あ゛?! っ、クソ……!」  再び再戦しそうになったが、兄の手前ノクシャスの方が折れた。後方のナハトを睨んだあと、苛ついたように舌打ちをする。  そんなナハトとノクシャスに、兄は「まったく……」と肩を竦めて笑ったのだ。 「さて、用件も済んだことだし俺達はこれで失礼させてもらおう。いつまでも、君の部屋にお暇するわけにはいかないからな」  そう兄はノクシャスを見た。ノクシャスはばつの悪そうな顔のまま「いや……」と何かを言いかけてやめていた。 「とはいえ、君たちにはまた良平のことで面倒かけるかもしれないが……そのときはまた依頼させてもらおう」 「ボスのお願いなら全然いいよ〜、寧ろ僕はいつでも歓迎するよ」 「おい、モルグテメェ……」 「そう言ってもらえると助かるよ」 「それじゃあ、良平」そして、立ち上がった兄は俺の肩に触れる。  帰るぞ、ということだろう。俺はそれに頷き返し、三人にも「お世話になりました」と慌てて頭を下げた。  それから兄とともにノクシャスの部屋を後にした。  扉が閉まる直前、再び後方からナハトとノクシャスの喧嘩する声が聞こえたような気がしたが、すぐに防音ドアによって掻き消される。 「兄さん、あの……」  言いかけたとき、兄に口をそっと塞がれる。  唇に指が触れ、驚いて顔を見上げれば「良平」と兄に名前を呼ばれるのだ。 「これからはお前もうちの会社の社員だ。だからお前も……」 「社長……?」 「……そうだな、安生やあの三人は俺のことをボスとも呼ぶ。これからは俺達は社内では雇用主と社員という関係になる。それを踏まえた上で、俺もお前と接するつもりだ」 「お前もそのつもりでいてくれ」兄弟であることも、兄は信用に値いする人物以外には隠せといっていた。  これまでは殆ど他の人たちと接することがなかったので兄として接していたが、そうか。環境が変わるとなると、もっと警戒しないといけないんだ。  もう今までのように兄さんと呼べることもなくなるのだと思うとほんの少し寂しく思ってしまう自分もいた。  甘えては駄目だと分かってるからこそ、兄に突き放されたように感じてしまうのだ。 「……わかり、ました」 「……おい、そんな顔をするな。なんだか悪いことをしてる気分になるだろ」  すみません、と言いかけるよりも先に、頭を撫でられた。 「勿論、今今すぐというわけではない。それに、社内での話だ。この寮には大丈夫だ」 「ほら、しゅんとするな」と犬かなにかのように頬を手の甲でそっと撫でられ、その優しい声にホッとした。 「兄さん……っ!」 「でも、そうだな……良平、お前は少しのんびり屋なところがあるからな。今の内に新たな環境に慣れるための予行練習をしておこう、と思ったのだが……」 「う、しゃ……社長……」 「……ああ、そうだ。偉いぞ、良平」  なんだか変な感じだ。  兄が社長で、その関係を周りの人たちに隠し通さなければならない。その重大さは計り知れないが、不安と同じくらいわくわくし始めてる自分もいるのだ。 「明日、安生が迎えに来るはずだ。……それまで、お前も部屋でゆっくりするといい」 「あの、に……社長は……」 「……ああ、俺もいるよ」  慌てて言い換える俺に、兄は優しく微笑む。そして柔らかく前髪を撫でつけるのだ。 「……悪いな、本当だったら俺がずっと傍にいてやりたかったが……」  そう続ける兄。その表情はほんの少し暗くなった気がする。  兄の立場も、その心配事も理解してるつもりだ。だからこそ、俺は兄に我儘を言いたくなかった。  けれど、と先程の会話の内容を思い出すのだ。  状況が変わったと言っていた。三人が忙しくなる、その意味を考えたくなかったが――そういうことなのだろう。 「大丈夫だよ、俺、頑張るから」  なるべく心配させたくなくて、そう兄の手を握った瞬間兄は僅かに目を開いた。そして微笑むのだ。 「……やっぱり、お前を連れてきて良かった」  そう、俺にだけ聞こえる声量で口にした。  それから、俺は兄に連れられて部屋へと戻る。  そして食事を取り、二人きりの就職パーティーをしたのだ。とはいえ、食べるのは俺だけだし兄はそんな俺を見て笑ってただけでパーティーとは名ばかりだったが、確かに俺の中の思い出になったのだった。  ――翌朝。  兄の姿はなかった。その代わり、寝室の扉を開いて居間へと向かえばそこには、 「どうも、おはようございます。良平君」  眠たそうな顔をした安生がソファーに腰を掛け、ニュースのチェックをしていた。

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