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02

 安生からのスーツからは新品の匂いと、それからなんだかいい匂いがした。  俺のサイズに合わせてくれてオーダーメイドしてくれたのだろうか、皺もなくぴっしりとしたスーツに腕を通しただけで背筋が伸びるようだった。変なところがないか姿見の前で何度もくるくると回り前後を確認したあと、忘れないように社員証を首から下げる。それをポケットに仕舞えば、本当に自分が社会人になったのだとしみじみとした気持ちになった。  ……当初想像していた社会人とは大きくずれているが、それはそれだ。  髪も整え、よし!と気合を入れ直した俺はそのまま寝室を出て安生の待つ居間へと移動した。 「あ、安生さん! 着替えました……!」  扉を開けば、安生がこちらを振り返った。そしてくしゃりと笑ったのだ。いつものどこか醒めた愛想笑いとは違う自然な笑顔だ。 「ああ、よく似合ってますね。少しネクタイがよれてるのが気になりますが」 「あ、あれ? 確認したはずなのに……」 「いえいえ、誤差のようなものですよ。それにしても良平君の晴れ姿を見れないなんて、ボスもさぞ悔しがることでしょうねえ」 「へへ……」  ここまで手放しに褒められるとなんだか気持ちよくなってしまうが、気を引き締めなければならない。慌てて緩む頬を引き締める俺に、安生は小さく笑った。 「それじゃあ準備も済んだことですし、食堂で朝食を摂ってから部署に向かいましょうか」 「食堂?」 「ええ、社員専用の食堂があるんですよ。顔見せがてら覗きましょうか。これから君がお世話になるところでもありますので」 「は、はいっ」  社員食堂ということは、やっぱり他の社員もいるのだろう。  ジムや建物内ですれ違うことは多々あったが、自分が正式な立場として顔見せするのとはまた変わってくる。  ちゃんと挨拶しなきゃとか、そんなことをぐるぐる考えてる内に目が回りそうになる。  とにかく、深呼吸だ。こういうのは第一印象が大切だって本でも読んだことがある。 「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ、良平君」 「安生さん……」 「ナハト君たちと仲良くなれる君です、きっとすぐに溶け込めますよ」  安生の言葉は力強い。  じんわりと胸のうちが暖かくなったあと、幾分緊張が解けたようだった。  というわけで、俺は安生とともに社員寮から本社へと移動する。移動のためのエレベーターに運ばれ、やってきたのはevil本社。そのロビー。  社員寮のジムとは訳が違う。そこには俺や安生のようにスーツを身に着けた者から、テレビで見かけたことのあるようなヴィランたちが行き交っていた。 「わぁ……たくさん人がいる」 「そりゃそうでしょ、無人なわけないし」 「確かに……って、え」  いきなり背後から聞こえてきた声に驚き、振り返る。そこには黒衣を身に纏った仮面の青年――もといナハトが立っていた。 「あれ? ナハト君じゃありませんか、珍しいですね。こんな時間にいるなんて。君は夜行性だったはずでは?」 「……今戻ってきたところ。そしたら、間抜けな声が聞こえてきたから」  そう素っ気なく答えるナハトに「ああ、そういうことでしたか」と安生は笑った。  そしてナハトはこちらをじっと見る。仮面越しにナハトの視線が爪先から天辺まで向けられるのだ。 「あの、ナハトさん……」 「その姿、馬子にも衣装ってやつだね」 「え?」 「……まあ、悪くないんじゃない?」  そしてジロジロとこちらを見ていたナハトはそのままふい、とそっぽ向いた。  これは、もしかしてナハトさんなりに褒めてくれてる……?!  嬉しくて「ナハトさん……っ!」と声をあげれば、ナハトに「うるさい、騒ぐなよ」と怒られた。声セーブしたつもりだったのにどうして……。 「丁度よかった、ナハト君も一緒に社員食堂で朝食でもいかがですか?」 「いやだ。俺は飯は一人で食う主義だから。それにこの時間帯に固形物を喉に通す気になれないし」 「ですよねえ。残念ですが、それではまた……」  これで失礼します、と安生が続けようとしたときだった。安生の肩を掴んだナハト。 「おや、まだなにか?」 「……別に、着いていかないとは言ってないけど?」 「な、ナハトさん……」  素直じゃないというか、いやこれは寧ろ素直なのか?  安生もこれにはにっこりしていた。  ナハトとなかなかゆっくり出来ていなかったので嬉しい反面、安生がいるとはいえこの間のことを思い出してどんな顔をして対面すればいいのか俺は未だ決めかねていた。  けど、ナハトはいつも通りなのだから俺もいつも通りでいるのが普通か?  一人だけ変に意識しててもおかしいしな、と思いながらも俺は安生、ナハトとともに社員食堂へと移動することとなった。

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