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 その糸目の研究員に連れてやってきたのは、いくつものセキュリティの壁を抜けた先だった。厳重な機械の扉を潜り抜け、やってきたのは本社同様の通路が広がる空間だ。  しかし辺りに人気はなく、俺と研究員、二人分の足音が静かに反響していた。  他に人の姿は見当たらない。  そんな静かな通路を抜けた先、顔と指紋、社員証のコードを読み取られ、何枚目かの扉が開かれる。そこは先程まで辿ってきた通路とはまるで空気が違った。  薄暗く、どこからともなく響くのは機械の音だろうか。至るところから監視カメラの視線を感じながらも、堂々と歩く研究員に俺はついていった。  この会社にこんな施設があったなんて。  ここがなんのための施設かはあまり考えたくないが、この先に紅音がいる。そう考えると自ずとこの先がどこに繋がるのかは想像ついた。  再び、俺たちを認識し扉が開いたとき。そこに広がっていた空間に息を呑む。  まず視界の中に入ったのは薄暗い部屋の中だった。その壁は一面のみガラス張りになっており、更に向こうに広がる部屋を監視するための部屋だとわかった。  薄暗い中にもいくつもの機械が置かれてるこちら側とは対象的に、ガラスの向こうの部屋の中には無駄なものは一切ない。  あるのはただひとつ、ひとつの椅子があるのみだ。  その椅子にうなだれるように座る人物の影、薄暗い部屋の中でも目立つその赤い髪には見覚えがあった。 「……っ、紅音君……っ!」 「やあ善家君、ちゃんと連れて来られたみたいだね~よかったよかった」  そう思わずガラス張りの壁に向かって駆け出そうとしたときだった。近くから聞こえてきたその脱力しそうなゆるい声に立ち止まる。 「も、モルグさん……」 「彼は今傷修復中だからもうちょっと起きないかもねえ。……あ、考藤(かんとう)君、善家君連れてきてくれてありがとねえ」  俺の側に立っていた考藤と呼ばれた糸目の男に対し、モルグは「もう帰っていいよ」と続ける。  そんなモルグの対応にどう返すわけでもなく、「それでは失礼します」と考藤は会釈してそのまま立ち去った。  ……クールな人だ。結局道中一言も話さなかったし。  お礼だけは言っておこうと慌てて「ありがとうございました」と頭を下げるが、出ていこうとしていた考藤が立ち止まることはなかった。  そして扉は自動で閉まり、再びモルグとの二人きりになる。 「モルグさん、あの人は……」 「あー彼は僕の研究室の……まあ、副室長みたいな子だよ。信頼できて君を任せられる人ってなると彼しかいなかったから頼んだんだぁ」 「あ、いつもあんな感じだから気にしなくていいよ」と俺がなにか言う前に先にモルグに答えられてしまった。  よかった、もしかしたら知らぬ間に怒らせてしまったのかと思っていただけにホッとした。 「取り敢えず、あとは彼が目を覚ますのを待つって感じだけど……そういやサディーク君は?」 「え?」 「あのあとバタバタしちゃったから気になってたんだよね~、ってか一緒じゃないんだ。もしかして考藤君が帰らせた?」 「あ、えーと……そのぉ……ちょっと色々あって……」  語尾を濁せば、「色々?」とモルグは目を輝かせた。なんで楽しそうなんだこの人は。 「へ、変な意味じゃないです! ……その、気まずくなってつい、そのまま置いてきたというか」 「あ、ふーーん? なるほどねえ」 「も、モルグさんがあんなこと言うからですよ……っ!」 「あはは、それはごめんねえ。でもま、後から彼には謝っておくよ。一応。君のメンツのためにもねえ」  モルグはからからと笑う。本当だろうか、と思いながらも俺はサディークの能力のことは言うのはやめておくことにした。  ……だって、会社のデータや履歴書にも載ってないってことは言いたくないってことだもんな。  意図的に人を避けてたサディークがああやって自分の秘密を教えて触れてきてくれた。そう思うと改めて自分が酷い突き放し方をしてしまったと後悔した。 「俺も、サディークさんには改めて謝らないと……」 「ついでにキスしてあげたら喜ぶかもね」 「も、モルグさん……っ!」 「冗談。喜ぶのは僕だけど……っと、意識取り戻したみたいだね」  そんな他愛な……くはない会話をしていると、どうやらガラス張りの向こうの部屋で紅音が意識を取り戻したようだ。 「行ってみる?」と視線を投げかけてくるモルグに、俺は食い気味に「はい!」と頷いた。  モルグはガラス張りの向こうの空間へとつながる扉を開き、そのままツカツカと歩いていく。  その足音に気付いたのか、ぴくりと紅音の肩が動く。そして弾かれたようにこちらを見上げるのだ。 「……っ、お前……」 「やあ、おはよう紅音君。遊びに来たよ~」 「っ、紅音君……」  まだ目覚めて間もないはずだ。それでもしっかりと紅音の目はこちらを捉えており、善家、と小さく唇が震える。  モルグから聞いていた通り、しっかりと全身の傷は完治しているようだ。両腕を背後に回すように拘束された腕が痛々しい。 「紅音君、具合は……」 「善家、なんで……お前がここにいるんだ」 「あー、そういうのはいいからさ。君は取り敢えず旧友との再会を喜ぶべきだよ、今はね」 「も、モルグさん……」 「……」  俺がここに来る間に何があったのか知らないが、それでも紅音の目には確かに俺に対する疑念が含まれていた。 「……それに、そうゆっくり談笑してる時間もあんまなさそうだし」  そう、モルグがぽつりと口にした矢先だった。  目の前の紅音の目が見開かれる。その視線が向けられてるのは俺ではなく、その背後。 「――それは、俺が来るからってこと?」  静かな空間にその声はよく通った。  冷たく、柔らかさを感じさせない鋭い声。今はもう聞き慣れていたはずなのに、まるで他人のように冷たいその声に驚いて俺は思わず振り返る。 「な、ナハトさん……っ!」  漆黒の仮面を被ったナハトがそこにいた。  その下の表情は見えないが、ナハトが紅音を見ていることだけは分かった。空気が一気に張り詰める。  ナハトに会えたことが嬉しいはずなのに、今まで見たことのないナハトの顔に、その剥き出しの敵意に戸惑う自分がいた。  そして、考えるよりも先に俺は慌ててナハトと紅音の間に立つ。ナハトと対峙するような形になったとき、ゆっくりとナハトがこちらを向いた。 「退けよ、善家。俺はこいつに用があるんだよ」 「……っ、お、俺も……俺も紅音君に用があるので! 順番は守ってください……っ!」  恐らく、このまま放っておくとナハトが紅音に報復するのは分かっていた。ナハトの気持ちも悔しさも身近なところで見ていただけに分かったが、それでも紅音の話をまだ俺は聞けていない。  紅音の様子が変わったのも気になってたし、なにか原因があるのかもしれない。せめて話を聞いてからでもいいのではないか、そう言うつもりでナハトの仲裁に入ったのだが、それはナハトの地雷も同然だったようだ。 「……」  無言だ、無言なのだ。その仮面の下のナハトの表情を考えるだけで体が震えそうだが、ここで下がっては駄目だ。そう半ばヤケクソになりながらも「ナハトさん……っ」と呼び掛けたときだ。 「ナハト、彼の処遇については今ボスたちが話し合ってるからさ。止められてるんだよ、一応。君が勝手な真似をしないようにって」 「……だから、俺にこいつが捕まったことを教えなかったってこと?」 「だってナハト手が早いから。仕事人に仕事されたら困るでしょ? 僕の研究もまだ済んでないってのに」 「けど、善家君呼んでおいて正解みたいだったね」震える両手で紅音を庇ってた俺を見て、モルグはにこりと笑った。そして、ナハトは舌打ちをする。  どういうことなのかわからなかったが、先程よりも幾分ナハトの周囲の空気が和らぐのを感じた。 「……本当、腹立つやつ」 「それ僕に言ってる?」 「全員に言ってんだよ」  そう吐き捨てたかと思えば、そのままナハトは踵を返してこのガラス張りの部屋から出ていこうとするのだ。どう見ても怒ってる。 「も、モルグさん……ナハトさんが……お、俺……」 「あー、大丈夫大丈夫。追いかけてもいいよお。どうせまだ時間はあるんだし、僕も紅音君と話さないといけないことがあるからねえ」  紅音とのことも勿論気にはなったが、そのモルグの言葉を聞いて自然と足は動いていた。「ありがとうございます、モルグさん!」とお礼を言いながら、俺はナハトのあとを追うことを選んだ。

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