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 ナハトはクールで、落ち着いていて、いつだって冷静な判断をする。  そう思っていたが、それでもナハトのことを知れば知るほど思ったよりもマイペースだったり、年相応なところを見てきたからだろう。ナハトのことが気掛かりだった。  収容室を後にし、通路まで出来たがナハトの姿は見当たらない。  どうしよう、見失ってしまった。そう辺りを見渡したときだ。 「あいつと話したいことあったんだろ」 「……っ!」 「……なんで俺の後追いかけてきてんの? 馬鹿なの?」  扉のすぐ横にナハトは静かに佇んでいた。  あまりにも気配がなかっただけに飛び上がりそうになったが、それ以上にナハトが待っていてくれたことに安心した。 「すみません、俺、ナハトさんの気持ちを考えてなくて……その、失礼なこと言ってしまったんじゃないかと思って」 「言ったしした。あんたがボスの弟じゃなかったら締め上げてた」 「え……?!」 「……」  じょ、冗談ですよね……?という俺の声は掻き消えていく。ナハトは何も言わない。  ともかくだ、とにかくちゃんとナハトには俺と紅音――レッド・イルのことは説明しておこう。 「ナハトさん、その……レッド・イルは、俺の友達なんです」 「で? だからなに?」 「えう……その、ナハトさんの気持ちも分かるんですけど少し待ってもらいたくて……」 「待ったらあいつ、始末していいの?」 「……っ、だ、駄目です……!」  あまりにも当たり前のように言ってくるので慌てて止めれば、ナハトは大きな溜息を吐いた。そして、無言でこちらを見る。 「ほら、結局そういうことでしょ」 「え……」 「俺とあいつ、どっちが大切なの?」  ――まさかこのタイミングで、こんな究極の選択を迫られる日が来るなんて俺は思ってもなかった。  それもその相手は知り合って日は浅いもののたくさんお世話になったナハトと、昔の親友だ。  そんなこと言われても、そもそも土台も違う。  口籠る俺に「ほら、即答できない」とナハトは冷ややかに笑った。 「な、ナハトさん……っ」 「アンタがお人好しなのも能天気のお花畑なのも知ってる。……けど、勘違いするなよ。俺がお前に良くしてやってるのもボスの命令だから。別にアンタの友達だから許してやるつもりもサラサラない」 「っ、…………」  ナハトの言葉はナイフのように切れ味が鋭く、冷ややかなその言葉に胸が苦しくなる。  そんなこと分かっていた、最初から。俺と一緒にいるのも兄の命令だからって。  それでも最近はナハトのことを知って、ナハトが少しずつでも心を開いてくれてると思って本当に嬉しかったのも事実だ。  多分それはナハトの言うとおり俺が能天気だからで、実際は――。 「…………おい」 「……っご、めんなさい……ぉ、おれ……」  こんなに自分が涙もろい人間とは思わなかった。  ぼろぼろと溢れる涙にナハトがたじろぐのが見え、これ以上引かれるのが嫌で俺は慌てて顔を隠す。そしてそのままナハトの前から立ち去ろうとしたとき、ナハトに腕を掴まれる。 「っ、は、はなじでぐだざい~~……っ」 「嫌だ。……ってか、なんで泣くわけ? 意味わかんない」 「う、うう……っ、な、ナハトさんにはわかりません……っ! ぉ、おれみたいな……お花畑……」 「はあ? なに? それ逆ギレ?」 「し、じでない゛でずッ! だ、だから離し――」  離して下さい、とナハトから離れようとしたら「煩い」と更に引っ張られ、そのまま壁に押さえ付けられた。  いきなりのナハトの行動に驚いて思わず硬直した矢先だった、ナハトは着けていた仮面を外す。  案の定怒ったような顔のナハト。それよりもなんで仮面を外したのか。 「っ、な、んで、仮面……ッ」 「……アンタの逆ギレ泣き顔、ちゃんと見ておこうかと思って」 「ぎゃ、逆ギレなんて……」  して、るかもしれない。なんて言いかけたとき、唇にちゅっと柔らかい感触が触れた。  予想してなかった感触に目を見開けば、ナハトは自分でも驚いたような顔をしているではないか。  ――今、キスされた? 「な、んで……」 「煩い」 「いま、キス……」 「だから煩い」 「ナハトさん……っ」 「……」  とうとうナハトは何も言わず仮面を被り直す。 「ナハトさん、ズルいです」俺は顔を隠せる仮面はないのに、とナハトを見上げれば、ナハトは「ズルくない」と吐き捨てて歩き出す。  自分から引き止めておいて、今度は俺を置いていくのか。そう思うと体が止まらなくて、俺は慌てて「ナハトさん!」とその服の裾を掴んだ。 「ちょっと、なに」 「なにって……なんで今、キス……」 「知らない、俺はなにもしてない。虫でもついたんじゃないの?」 「な、なんでそんな分かりやすい嘘吐くんですか……っ?!」 「あーもう、離してッ!」  そう声を荒げるナハト。仮面で表情は分からないが、横髪から覗く耳がじんわりと赤くなっているのが分かった。肌が白い分より分かりやすい。  ナハトが照れている。  そう自覚すると今度はこっちが恥ずかしくなってきた。いつの間にかに涙は止まってて、子供みたいにナハトにしがみついてる自分にはっとして手を離せば、ナハトはこちらを見た。 「……離しました」 「なにその顔」 「取り乱してしまったのはすみません。……けど、お、俺はナハトさんのことも……っ」  これだけはちゃんと伝えよう、そう半ばヤケクソになりながら改めて言葉を口にしようとしたときだった。 「ストップ」とナハトに口を塞がれ、もご!と言葉は強制的に遮られる。どうして、とナハトに目を向ければ、ナハトと仮面越しに目があった――気がした。 「今は、アンタの言葉は聞きたくない」 「な、なんで……」 「そういう気分じゃないから」  そう言ってナハトは俺の顔から手を離した。  酷いです、と言える立場ではないのは自分でも分かってた。最初にナハトを傷付けてしまったのも俺だ。 「ナハトさん、どこに……」 「……部屋。戻るんでしょ。部屋まで送る」 「このまま置いていったら一生ここで道に迷ってそうだしね」と冷ややかに続けるナハト。それでも、こうしてナハトが待ってくれているだけで嬉しくなる自分もいる反面、複雑な気持ちもあった。  こうしてナハトが待ってくれるのも兄のお陰で、先程のナハトの言葉が蘇っては俺は思考を振り払う。そして今は何も考えず、「お願いします」とナハトの好意を受け入れることにきた。  ◇ ◇ ◇  ――evil本社、司令室。  壁一面に浮かび上がる無数の映像を眺めながら、革のチェアに腰をかけたレヴェナントは部下たちの報告を静かに聞いていた。  映るのは赤髪捕虜の青年・紅音朱子だ。今現在はバイタルは安定しているようだ、映像には再びモルグによって眠らされている紅音――レッド・イルが映っていた。 「……とまあ、僕からの報告はこんなところかなぁ」 「報告ありがとう、モルグ」  そうレヴェナントが応えれば、白衣の男はにこっと笑う。  モルグ曰く、紅音朱子の体には追跡用のチップが埋め込まれていた。  それだけならば連中のしそうなことだと納得できたが、どうやら問題は他にもあるようだ。  紅音朱子の殆ど全身は無茶な改造手術が加えられており、それの影響は知らないが脳や記憶もいじられいる形跡がある。  だからこそモルグたちが協会のことを聞き出そうとしても何も答えることができなかった――紅音朱子にはレッド・イル時の記憶がない。  その話を聞いたとき、レヴェナントは腹の底から沸々と怒りが込み上がるのを覚えた。あの男のやりそうなことだと。拳を握り締め、深く肺に溜まった空気をゆっくりと吐き出す。 「それで、どうします~? こっちも乗っ取り返して返します? そこから逆探知することもできますけど」 「したところであちらさんの考えるようなことだ、彼は早々に処分されるだろう。そしてまた第二第三のレッド・イルが創り出されるだけだ」  ――そう、ヒーロー協会の大型新人の答えがこれだ。  協会は紅音自身に固執していない。精々ヒーロースーツに適応する丁度いい肉体ぐらいしか思っていないはずだ。  実際、昨晩のレッド・イルが襲撃時に負傷したときから今まで彼が変身することはできなかった。スーツと変身能力だけ回収されたか、それとも見限られたか。どちらにせよ彼を探しに追手が来ることもない現状が協会の答えだ。 「モルグ、当初の予定通り彼の体に埋め込まれていたチップは処分しろ。そして脳から協会に関連する残った記憶を抜き取れ、解析はお前の班に任せよう。それから彼が――まだ紅音朱子だった頃と同じように辻褄を合わせて戻しておけ」 「ですがボス、そうすると彼は……まだヒーローを目指していた純粋な少年に戻るわけですがいいんですか?」  レヴェナントの言葉に口を出したのは、レヴェナントの背後に影のように付き従っていたスーツの男――安生だ。そしてその問い掛けに対してレヴェナントは「ああ、構わない」と即答する。 「……あの目には覚えがあるんだ、よくな」  そして一人ごちるように口にするレヴェナント。その言葉には自嘲が混ざっていた。安生は「分かりました」とだけ答える。 「モルグ、手術後の様子は定期的に知らせてくれ。記憶が定着次第簡単な仕事を任せるようにする。最初は抵抗するだろうから警護はノクシャスに任せよう」 「分かりました、予めノクシャス君には自分から伝えておきます」 「じゃあ僕はボスに言われた通り、紅音君を元に戻してくるねえ」 「ああ、頼んだ」  早速司令室を後にするモルグを見送り、司令室にはレヴェナントと安生、二人だけが残された。  安生――ニエンテという男は元より感情の起伏はないに等しい。それでも安生と名乗るようになってからは幾分か空気は和らぎ表情豊かになったが、それもあくまでそう見せかけているだけなのだとレヴェナントは知っていた。 「――レヴェナント」  この男が自分をボスと呼ばずにヴィランネームで呼ぶときは上司や部下ではなく、かつて敵対し、そして一緒にここまできた友として接そうとしているときだとレヴェナントはよく知っていた。 「ああ」 「協会は俺たちに喧嘩を売っている。お前だって分かってるだろう」 「安生、お前の血の気の多さは相変わらずだな。ただ新しい玩具を見せびらかしたいだけだ、あの男は」  かつての上司であり、現在はヒーロー協会の会長である古い知人の顔を思い浮かべた。ヒーロー・イビルイーターとして現役で活動していたときはなんの疑いもなかった。正しいと思っていたし尊敬していたあの男――大帝誓(おおみかどちかい)の顔を。  今はただ嫌悪感しか抱くことはない。そしてあの男に利用され食い扶持にされた青少年たちに憐れみを覚えた。 「レヴェナント、お前には危機感が足りない。モルグの腕は確かだが、紅音朱子を始末せずに生かしておくのは危険だ」 「……そう心配するな、安生。彼は“大丈夫”だ」 「確かに、言われてみれば昔のお前に似ているな。……無鉄砲で、そのくせ横暴で自分が正しいと信じて疑わないお前に」  安生の言葉に耳が痛くなったが、そんな自分に着いてきてくれた友だからこそなのかもしれない。  なにも言い返せず、レヴェナントは苦笑を漏らした。 「とにかく安生、紅音朱子の件に関しては俺に任せてくれ。……お前もネズミ探しで忙しいんだろう?」 「……まさか俺がこの件に関わらないようにこんな面倒な仕事を押し付けたんじゃないだろうな」 「手伝いたいのは山々だが、そっちに関しては俺はあまり下手に動けないからな。悪いな」 「……まあいい。ボスの仰せのままに」  この男は相変わらずだ。なんだかんだ憎まれ口を叩きながらも自分のことを信じてくれてるのだろう。  こういうときだけ普段の軽薄な笑顔を浮かべてみせる安生にレヴェナントは小さく笑みを浮かべた。  夜は明けていない。  ――未だ、休むには早い時間だ。

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