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CASE.07『同業者にご注意』
「はあ……」
こんなに憂鬱な朝があっただろうか。
昨夜は色んなことを考えていたお陰でろくに眠れないまま朝を迎えてしまった。
ナハトのことは勿論そうだが、やはりサディークのことが気がかりだった。
恐る恐る配給されたタブレット端末を確認してもサディークからの連絡はなかったし、やっぱりやらかしてしまったよな……。
「……はあ」
なんて望眼や貴陸に説明をしたらいいのだろうか。
そんなことばかりを考えてる内に出勤の時間は近付いてくる。
それに、紅音のことも気になるが……そっちはモルグや兄さんを信じるしかないし。
ナハトは……わからない。きっと仲直りは出来てないのだろうけど、それでも昨日はちゃんと送ってくれたしな。
でも、絶対怒ってるよな。ナハトさん。
何もかもが上手く行かない。が、こんなに落ち込んでたってどうしようもない。
スーツに着替え、鏡の前、ネクタイを締め直して「よし」と自分自身に喝を入れる。
とにかく、俺にやられることをやろう。
――そうすることしかできないのだ。今の俺には。
そんなこんなしていると、玄関で呼び鈴が響いた。どうやら誰かが迎えに来たようだ。
「はい」と慌てて玄関口へと向かい、扉を開けばそこには予想してなかった人物が立っていた。
「え……ナハトさん?」
「……なに? 俺がいたらまずかった?」
「い、いえ! ち、違います……!」
昨日の今日だ、今朝は来ないだろうと思っていただけに当たり前のようにそこに立っていたナハトに心臓が停まりそうになった。
「……モルグもノクシャスのやつも忙しいから俺だってさ、あんたのお世話。残念だったね」
「そ、そんなことありません……っ!」
寧ろ、暫く避けられる覚悟をしていた身からしてみれば嬉しい誤算というか、なんというか。
その先を上手く言語化できず、しどろもどろと口籠る俺にナハトは「ふ」と仮面の下で鼻を鳴らして笑う。
「アンタって本当嘘が下手」
「な、ナハトさん……」
「もう準備できてるんだろ? ……じゃあ行くよ、俺もこの後予定あるから」
「は、はい……」
……やはり、昨日のことを引き摺ってるのだろう。ナハトの態度はどことなくよそよそしいというか、まるで初対面のときに戻ったみたいだ。
いや、いつも通りの刺々しさと言われたら確かにそうかもしれないけど……ううん、わからない。
それから、俺はナハトとともに部屋を出て食堂へと向かう。道中に会話らしい会話などなかった。
途中、すれ違う社員たちの視線を感じつつも俺たちは社員食堂へとやってきた。
やはり今回もナハトはなにも食べないらしい。俺は焼鮭定食を頼み、ナハトの要望により個室を借りることになる。
が、やはり個室の中でも会話はない。
……と思っていたが。
「紅音朱子のことだけど」
「え?」
「……ボスからなにか聞いた?」
テーブルに肘を付き、頬杖をついていたナハトはそっぽ向いたまま尋ねてくる。
ボス――兄とはまだ会えていない。「いえ」と小さく首を横に振れば、「ふーん、あそ。じゃあいいや」とナハトは再び口を閉じた。
「ま、待ってください……なんかあったんですか?」
「さあね」
「さ、さあねって……」
「その内ボスから直接聞くんじゃない、お前なら」
その口振りからして、どうやらナハトは既に何かを聞いているということのようだ。
いくらボスの弟である俺に対しても簡単に教えてくれないナハトに寂しさを覚えるものの、ナハトらしいとも思えた。そして、ナハトはそのことについて俺になにか話したかったということか。
……今度、兄さんに会ったときに聞いてみようかな。
そんなことを思いながらも、はぐらかされた俺は「分かりました」とおずおず身を引いた。
それから、ナハトとの会話はまた途切れる。
紅音がどうなったのか気になって仕方なかったが、きっとナハトは何を聞いても直接教えてくれないだろうというのは分かっていたので観念して大人しく焼鮭をつつくことにした。
食事を終え、俺達は個室を出た。食堂内はぼちぼち社員たちで賑わっていて、例のごとく人混みを裂けるように食堂の片隅を通っていくナハトの後を追いかける。
なんだろうか、食堂の雰囲気が変な気がした。
レッド・イルが捕まったことで話題はもちきりなのかと思ったが、そんなことはない。もしかしたら紅音のことは伏せられているのかもしれない、それどころか他の社員たちはなんだか神妙な顔をしてこそこそと話している。
近くのテーブルを通ったとき、『スパイ』という単語が聞こえてきた。話の内容まではわからなかったが、堂々と立ち聞きするわけにもいかない。
「なにボサッとしてんの」とナハトにどやされつつ、俺は「すみません」と慌てて再び歩き出した。
――営業部前。
エレベーターを抜け、今回もまた結局部署の前まで送ってもらうこととなった。改めてお礼を言おうとしたときには既にナハトの姿はどこにもなく、寂しさを覚えながらも俺は気を取り直して営業の扉をくぐるのだった。
営業部には既に望眼が出社していた。
そして、例に漏れず今回も望眼しかいないようだ。本当にこの営業部署には俺と望眼以外の社員が存在するのか不思議になってかるほどの出社率だ。
自分のデスクでドリンクを飲んでいた望眼は、俺に気付くとにかっと爽やかな笑顔を浮かべる。そして「よお、おはよ。良平」と手を振ってきた。
「望眼さん……おはようございます」
「って、酷い顔だな。寝不足か?」
「……やっぱり、わかりますか?」
「ああ、特にお前はわかりやすすぎるな。……なんかあったのか?」
流石望眼というべきなのか。心配そうに聞いてくる望眼に、俺は「実はその」と口籠る。
……サディークとのこと、伝えた方がいいのだろうがどこまで言えばいいのかわからなくなる。
元はと言えば俺がサディークを誘ったようなものだし、けど、サディークの能力が怖くなって逃げ出したのも俺なわけで……。
「サディークか?」
一人言葉を選んでるとき、望眼の方から図星を指されてギクリと凍りつく。
「え、あ、なんで」
「なんでって……わかりやすすぎんだって、良平は」
「う、ごめんなさい……」
「なにがあったんだ?」
「その……なんて説明したらいいのか……」
サディークのことを尊重して俺は能力のことは伏せておこうと思った。けどそうなると、やはり説明がし難い。
「も、望眼さん……」
「ん?」
「望眼さんは、その……担当の方と変な感じになったことってありますか?」
恐る恐る尋ねた瞬間、望眼は飲みかけていたドリンクを勢いよく吹き出した。
「ゴホッ! ゲホッ!」
「望眼さん?! だ、大丈夫ですか……?!」
「ま、待ってくれ……ゲホッ……変なところに入った……」
「す、すみません……」
慌てて俺は近くのデスクにあったティッシュを望眼に手渡し、そのまま背中を擦って望眼が落ち着くのを待った。
……そして、数分後。
どうやら調子を取り戻した望眼は、口元をハンカチで拭いながら気を取り直すかのように咳払いをする。
「……その、変な感じっていうのはあれか? ……単刀直入に言えば、ラブだとかそういう……」
「えーと……その、ラブっていうか……」
「まさかその先か?」
口籠る俺になにか察したのだろう、声のトーンを落とす望眼。恥ずかしいが、相手は頼りになる先輩だ。
顔が熱くなるのを感じながら小さく頷き返せば、そのまま望眼は目頭を抑える。
「も、望眼さん……?」
「……いや、まあ確かに職業柄親密になることはあるが……あるけどあいつ、まじか」
「う……その、でも俺も悪かったっていうか、サディークさんだけのせいじゃないっていうか……っ! ……あ」
黙っておくつもりが名前を出してしまった。
どうせ気付かれている気もしていたが、望眼は頭を抱えたまま「オーケー、わかった」と俺を宥めるのだ。
「……取り敢えず、何があったか聞いてもいいか?」
そう尋ねてくる望眼に、俺は小さく頷き返した。
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