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「ど、どうしたの? トリッド……」
「ズルいよな、なんか。良平って」
「え、え……怒ってる?」
「別に、怒ってねーよ」
嘘だ、と喉元まで出かけたが、紅音はその先を言うことを許してくれなかった。
「そうか、……お前はそうなんだな」
紅音相手に隠し事が通用すると甘く考えていた俺も俺なのかもしれないが、だとしてもまさかこんなに気を悪くするとは思ってなくて戸惑った。
紅音が大変だというのに呑気に惚気けるな、ということかのだろうか。だとしたら機嫌が悪くなっても仕方ないのかもしれないが。
「と、トリッド……」
「で、誰?」
「え? いや、その」
「居るんだろ、好きなやつ。あ、もしかして良平、兄さんとか言い出さないよな。……お前、昔っから好きだったもんな、あの人のこと」
言いながら思い出したようにパッと明るく笑う紅音。紅音に笑顔が戻ったことにホッとするのもつかの間、口ごもる俺にその目は細められる。
「違うのか?」
「に、兄さんのことは……好きだよ。勿論、尊敬もしてる」
「“は”ってことは、それ以外にもいるのか」
「くお……トリッド、この話はやめよう。多分、面白くないだろうし……トリッドだって興味ないだろ、俺の話なんて……」
多分何言っても紅音に面白くない思いをさせるだろうということだけは分かり、強引に話題を終わらせようとしたとき、「ある」とトリッドは頬杖を突いてこちらを見上げた。
「あるよ。……俺がいない間のお前のこと、興味ある。ってか、知らないことのが落ち着かねえかも」
「……きっと面白くないよ、そんなこと知っても」
「面白いとか面白くないとかじゃなくてさ……あー、だめだ。なんで俺お前と喧嘩してんの?」
深く溜息を吐き、紅音はそのままそっぽ向いた。
「駄目だな、俺」
「トリッド……なにかあったの?」
「いや、なんも。全然。面白くねえくらいなんもねえよ」
「……」
紅音の様子がなんだかおかしいのは一目瞭然だ。とはいっても、食堂に来たときは至っていつも通りだったのだ。だとすれば、『好きな人』の話をしたのがやはりなにか紅音の琴線に触れてしまったようだ。
そして、それを秘密と誤魔化したことが。
「トリッド」
「……なに?」
「最近ずっとお仕事ばっかりだよね、……たまには休みとかもらってるの?」
話題転換にはあまりにも露骨過ぎるかなと思ったが、紅音は無視はしなかった。
「いや……取り敢えずここに来てからは仕事に慣れるのが優先だったからな」
「え、じゃあ休んでないの?」
「そんなに驚くことか?」
「お、驚くよ……っ! そうじゃなくても、仕事してないときトレーニングルームに籠もってるんだし……」
いくら生身ではないとは言え、と言いかけて、胸が苦しくなる。
……ヒーロー協会でのレッド・イルの扱いを考えれば自由時間はある方なのかもしれないが、それでも紅音の心身は摩耗し続けるわけだ。
「トリッド、休もう。何日か休めないの?」
「……そりゃ、ノクシャスに言えば聞いてくれるだろうけど、別に休んだってな」
「ゆっくりするんだよ、時間気にせずに寝たり、好きなことしたりして」
「好きなこと……」
「トリッドはなにかないの? やりたいこととか……あ、トレーニング以外でだよ」
「ないな」
即答だった。
そういえば、学生のときからそうだった。ストイックで真面目。無駄な時間を過ごしていると不安になる、といつかの紅音が零したことがあった。
典型的なワーカーホリックだ。
担当でありながら、もっとここまで紅音が余裕無くなる前に気付くべきだったと気付く。
「……っ、わかった」
そのまま紅音の手を取れば、「良平?」と驚いたように紅音がこちらを見た。
「俺とデートしよう、……紅音」
君に必要なのは、仕事から離れるための時間だ。担当と社員ではなく、学生時代の友人として俺は紅音の手を握った。
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